
皇の時代の羅針盤 その二十三
月刊プレジデントイーグル
Vol.23 1996.04.05
人間心理の戦略を活かす
経営者は会社を伸ばす!
先日、作家として活躍している阿部譲ニさんの講演会に参加して、まさに今回のテーマである、人脈が金脈であることを感じました。今の彼を支えている人脈は、麻布中学の同窓生200名だと言うことを聞かされました。
その中には、現総理大臣も含め多くの成功者がおります。彼は、この人的集団と密に人間的に繁がっています。この人脈こそが彼の作家としてのノウハウが隠されているのです。
著作を行うときその人脈を通じて、学び、文献を調べ本にするのです。まさに、人間データベースをもっているのと同じです。これは、すばらしいことです。
このように、ネットワークを張り巡らしていたらものすごい情報をもっていることと言えます。以前より異業種交流とかビジネスネットワークと言って、色々な会がありますが、個人的にこれだけの会をもっている人は少ないのではないでしょうか。
さらに、優れていることは、皆が皆個人と仲間とを大切にしていると言うことです。
先に、信用、信頼について話しましたが、これらがあっても契約や商談が成立しない場合があります。これも結論的には信用がないことになりますが、それでは、あまりにも徒労としか言いようがないのです。
では、これを乗り越えるのはどのようにしたら良いのでしょう。それには、絶対的な信頼が必要です。この絶対的信頼を得る方法を身に付けることです。まず、相手を絶対的に信賴することが100%相手のことを考えて接することなのです。
《人脈は金脈》
人はこの世に生まれたときから、自分以外の人の手によって育てられます。人は人無くして生きられないと言えます。それだけ人は大切なものです。そしてその大切な人を人脈と言います。
この人脈こそあなたの財産です。ですから金脈と言えるのです。ではあなたはどのくらいの人脈が有りますか。いったい人脈とは、何でしょう。私は、自分も相手も知っている。
次に、互いに良く知っている。そして、信頼関係が成り立つ。このような関係を人脈と考えます。例えるならば、血脈関係である親子、兄弟、親戚、縁戚も人脈です。
知脈関係であれば親しい交友者、親友、友人、知人、会員(同窓、同僚、クローズドな会)、師弟、も人脈です。これを考えれば、誰でもが沢山の人脈を持っていることになります。
また人脈を広げるために、茶道では、『一期一会』といい、柳生家の家訓では、『f袖刷り会うも多生の縁。』と言います。これらは、人の大切さとその価値を認めていることだと思います。
『人脈が金脈であり財産である』とするならば、人一人を大切にすることの素晴らしさが分かるでしょう。そのためには、自分自身がその大切な人に成ることも必要なのではないでしょうか。
いくら大切な人と言えども、くだらない人が大切だとは誰も思いません。誰でもできることならば、良い人とお付き合いしたいと願っているのではないでしょうか。
なぜこんなことを言うかというと、世の中には、人を平気でだまして、生きている人間がいるからです。
ではどのようにしたら、よい人脈ができるのでしょう。これが今回のテ一マです。まず、自分を磨くことが大切ですが、基本的に自分も相手も気持ちよくいられる人間関係が必要条件です。
次に、お互いが積極的であり発展的であることが絶対条件です。さらに、相手を思いやり助けられることが必須条件です。このように、いくつかの条件があります。これらの条件をすべて満たすことにより、より良い人間関係が作られて行くのです,
その為に、まず始めなければならないことは、自分を知ることが先です。次に、相手をよく知ることから始めてください。相手をよく知り、相手が本当に自分にとって必要なのか、よく判断することが大切です。
この判断が狂ってしまうととんでもない結果が起こります。相手をよく知るために、よい方法がいくつかあります。その人の、友達を見れば大まかなことは分かります。次に、性格が明るくて素直であるか。
人の話がよく聞けるか。礼儀正しいか。気配りがよいか。協調性があるか。これ以外にもまだありますが、このくらい分かれば充分相手を知ることができます。よい人脈を作るには、何をしたら良いのでしょう。
私は、自分より上の人と付き合うことから始めると良いと考えています。年が上で人望や力のある先輩、師と仰げる人と付き合うことによって、自分を高めながら人脈を広げて行くことができるからです。
また、いろいろなグループや会に参加して人脈を広げることも良いでしょう。細いあれば太く、太い縁であればさらに強く、大きな広がりのある人脈を形成して行きましょう。
よき人脈を作るためには、それに値する自分自身の人間形成が必要です。それは、人格形成とも言えます。人から認められるだけのものを持つことです。例えば、芸術、学問において一つの道を極めることです。
この極めることの大切さを知ってください。極めることにより自信がつきます。自信が本物であれば、人は集まります。生涯求道者であれ。
追記1
祖の世界の、神仏も祖の世界として実在するのです。パラレルワールドのようなものと考えればよいでしょう。
皇の時代の、世界とは違うようです。
この世界を知りたくて、心理学や宗教を学ぶことによって、理論の基礎を学ぶような時間を費やしてきたと今思えば言えます。
初めて理論を目にしたとき、その殆どが理解することができませんが、
心に響く人たちがいます。それが、ゲシュタルトを持っている人たちです。
神的レベルの人は何億年という時間をかけて、生まれ変わり死に変わりして、今この世界に人類として生まれて来ているのです。
善悪もなく、互いの論理の鬩ぎあいをしているようなもので、遠い宇宙から見れば、タダ虫がうごめくようなものである。つまり、差がないという意味です。
つまり、差取(さとり)になります。
追記2
皇の時代には、音楽が無くなるといわれているが、たぶん歌を歌う事が
商売になることが無くなるのだろうと思う。
音楽も数学であり波動でもある。波動が健康や環境を変えてしまう時代がやってくるのだと考えられる。
素粒子や素粒は波動だから波動が思考となり思考が現実化する時代が来る。
という事になる。
その時、善も悪もない状態になる。
進化の極限に近いのであるといえる。
追記3
サッカーとバスケのオリンピックでの結果について、
予測してみる。
サッカーは良い結果を残すと考えられる。
バスケは、残念な結果となる。
男子は、まあまあな結果で終わる。
女子はベストフォーに行けないだろう。
こんな予測はしたくはないが、
あるポイントに目が行ってしまった。
それは、女子の監督との溝があるという事だが、
真意はわからないが、火のないところに、
煙は立たぬである。
サッカーとバスケの違いについては、
簡単である、
サッカーは選手がゲームを作れるようにしている。
バスケは監督がゲームを作ろうとしている。
この違いであると考えられる。
バトミントンのダブルスのローテーションのような、
連携ができていないという事だ。