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「愛しむ」

 「にぐるまひいて」
 ホール文/クーニー絵
もきかずこ訳 ほるぷ出版

 腕時計を久しぶりに使おうとしたら、止まっていた。外国で買った少し癖のある時計で、デパートに電池交換に持っていくと、「日数がかかります」と言われた。二日後に控えた旅行に持って行きたかったので困ってしまい、地元の小さな時計屋さんを訪ねた。
「別の所で、すぐにはできないって言われたんですけど」それを聞いた時計屋さんの目がきらりと光った。
できるともできないとも言わず、専用のレンズを片目に押し込み、彼はねじ回しを手にした。無駄のない動き。無言の手仕事。五分とかからなかった。仕上げに文字盤のガラスを柔らかい布で拭いながら、こちらを見た。「傷だらけだ。これじゃ、時計が泣きますよ」
恥ずかしい。はさみやペンと一緒に文房具箱に突っ込んであったのを、見られたのかと思った。
「はい。大事にします」そう言って店を出たが、戒められたことが清々しかった。
 似たようなことが以前もあった。盗まれて行方不明だった自転車が一年後に戻ってきた。傷だらけだったので、修理に出した。取りに行くと、自転車屋さんは直した箇所をていねいに説明してくれた。「ちょっと乗ってみて」ポンポンとサドルを叩くおじさん。泥除けの古傷が、絆創膏を貼ったように白く平らになっていた。支えてもらいながら、サドルに腰掛けた。ペダルをこぐ。軽かった。父に助けられ、初めて自転車に乗れた時の気持ちがよみがえった。自転車が道具ではなく、新しい友だちみたいな気がした日のことが……。
「大切にします」おじさんの仕事に報いるためにも、絶対にそうしようと誓った。
 誇りを持って仕事をする人の指先には、思いが宿るのだろう。指を通して物に、愛しむ心が点(とも)される。使う人もまた、その愛しむ心を引き継がねばならないと思う。
行きつけの豆腐屋さんも誇りを持って仕事をする人だ。車で三十分かかるけれど、いつもそこに買いに行く。ある時、豆腐の美味しさを伝えたら、おじさんは無念そうに目をつぶった。「井戸水を使ってた頃は、もっと、美味しかった……」。
豆腐たちは、水の中で涼しげに泳いでいる。使い終わって店先で乾かされている木の道具たちは、丸く磨り減り、清潔な木肌色だ。店先に立つだけでも幸福な気持ちになる。
 捨てられた古道具、百鬼夜行のもののけの出現は、魂があればこそ。愛されていたからこそ。機械で大量生産された物たちは、粗末にされ捨てられても、化ける術も知らず泣くにも泣けないのではないだろうか。
 私の祖母は機を織ったし、母は着物を縫った。手仕事が身についていない私は、祖母が織り母が縫った着物をざっくり断って、座布団カバーにした。リサイクルとは言え……これがもし、自分の手仕事だったら、とても断つ勇気はなかっただろう。物を大切に思う心は、対象にどれだけ自分の時間を使ったかに比例する。自分の時間を使うとは、つまり、愛しむということだ。
 冬が近くなると、いつも手にしたくなる絵本がある。クーニーの「にぐるまひいて」。家族が一年かけて手作りした物と大地の恵みとを荷車に積んで、父親が街へ売りに行き、戻ってくる、たったそれだけのお話。田舎の一本道を行く牛の足取りが、そのまま物語の速度になる。静かで力強い。そして、安定している。季節と手を取り合って、自分の手で生活のすべてを作り出し、愛しんでいた時代があった。足ることを知っていた時代。そんな穏やかな時代が、今、むしょうに懐かしい。
 

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