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「情愛」

 「きつねにょうぼう」 長谷川摂子・再話/片山健・絵/福音館書店

 ぽつぽつ降っていた雨は止んだが、空は灰色で冷たい風が吹いていた。「そら、もう冬が来たんだぞ」とささやきながら、枯葉が足もとを転げて行く。その日は朝の読書で、四年生に絵本を読む日だった。本は選んであったのだが、重く暗い空を見ているうちに、子どもたちに昔話を届けたくなった。心にしみこむ情緒のある物話がいい。こんな冬の始まりの日には、そんな本こそふさわしい。そこで、「きつねにょうぼう」を読むことに決めた。日本には多くの異類婚の昔話が残っているが、「きつねにょうぼう」もその類である。
暗い雨の晩、山の田んぼから帰る男の後ろを、ひたひたと付いてくるものがある。振り返ると、そこにいたのは若い女。女は男の家に泊めてもらい、そのまま居ついてしまう。やがて男の子が生まれ、「ててっこうじ」と名付けられた。ててっこうじが三つの春、女は機織をしながらふと外を見た。外は、椿の花盛りだった。花に見とれ、女は狐の正体を現してしまう。正体がばれ、女は山に帰っていく。その年の田植えの朝、山から歌が聞えてきた。男とててっこうじが山の田んぼに行くと、女が田植えをしていた。女はててっこうじに乳を飲ませ、黙って山に戻る。秋、男の田んぼの稲は見事に育った。だが、なぜか穂が出ない。膨れた茎をむくと、そこから白い米がざらんざらんと出て来た。男とててっこうじは、その米で楽に暮らした……。
話も骨太なら、片山健さんの絵が力強い。暗い色使いなのに、眺めていると内側から鮮やかな色が溢れ出て来る。その色合いの繊細さ複雑さは、日本の大地と空の色だ。ぬくもりと湿り気。かつて、自然と人との間で交わされた静かな情愛の色だ。いや、かつてではない。今も、朝方や夕刻の景色にその色を認め、温かな気持ちになる事がある。
山奥に暮す主人公の男は、自然と共生して生きていた。男を慕って現れた狐は、自然の権化でもある。人は人、獣は獣と区別したら、このような話は生まれない。獣にも、樹や石ころにさえも魂があると信じ、畏れ敬いながらも情を交わしてきたからこそ生まれた物語だ。
苗を植え終えた田んぼの畦で、母親がててっこうじに乳をふくませ、男が見守っている場面がある。早苗が朝風にそよぎ、水鏡には三人の姿が映っている。
ててっこうじが乳を飲む音。母親の白く温かい胸。哀しみを堪えた男のまなざし。夜明けの空の色、湿った空気……そのすべてが、いつか見た光景のように懐かしい。田んぼは「母」。そこに、日本の原風景がある。
正体がばれたら去るのが、どうやら異類婚の約束事らしい。どの昔話を見ても、化身を解いた獣は元の世界に還って行く。人間の裏切りが破綻を招いている昔話が多いなか、この物話では、気を許した狐の方がうっかりと正体を現す。それがまた、狐の情の深さを思わせて、別れの場面でいっそう哀れをそそられる。男とててっこうじの暮らしは田んぼのおかげで楽になっただろうが、母のいない寂しさをどう埋めたのだろう。「母」である田んぼを通して、ててっこうじは母親と情を交わしたのだろうか。
地元の小学校では、五年の時に、稲作体験をする。四年生の子どもたちが、来年田んぼに立った時、この絵本を思い出してくれたら嬉しい。六年生は、物語を聞きながら、田んぼでの体験を思い出してくれただろうか。「一本植えれば千本」と狐は田植唄を歌った。祈りと情を込めて……。


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