「存在理由」
「ポテト・スープが大好きな猫」
ファリッシュ作/ルート絵/村上春樹訳・講談社
友人が絵本を紹介してくれた。「このおじいさんみたいに年を取りたいなって息子が言ったのよ」
幼稚園の頃から知っている高校生の息子さんの顔を思わず思い浮かべた。
表紙に描かれた白い髭のおじいさんの顔は、頑固でなかなか手ごわそう。おじいさんが操縦するボートのへさきで、船首の女神像のように誇らしい笑みを浮かべる猫。こちらは、もっと手ごわそうだ。
おじいさんの家は「やかまし街道」のすぐ脇にある。その名のとおり、道沿いの電線にはやかましいブラックバードがずらりと並んで噂話をしている。テキサスの広い空の下。見えるのは、赤いトタン屋根のおじいさんの家だけ。おそらく隣の家は何キロも先だろう。古いバスタブに植えたジャガイモ。郵便受けの脇に、ジャンクメール用の便器が据えてある。柱にぶら下げてあるしゃれこうべみたいなものは、鳥よけだろうか? そして、サンデッキには、揺りイスがひとつ。この外観だけでも、おじいさんが少し風変わりな人だと分かるだろう。
おじいさんはこれまでたくさんの猫と暮らしてきた。数え切れないほどの猫が、やって来ては、去って行った。だが、今は一匹の老いた雌猫がいるだけ。猫はおじいさんが作るポテトスープがお気に入り。おじいさんもこの猫がけっこう気に入っているが、そんなそぶりはちっとも見せない。おじいさんの口癖は、「ネズミ一匹取ったことがない役たたずの猫」。どうも猫は、名前すら付けてもらってないようだ。それでもふたりがうまくいっているのは、一緒にいながら干渉しない、それでいて心の内で互いの存在を認め合う、そんな関係が出来ているからだ。
だが、その関係が崩れる出来事が起きた。いつも一緒に釣りに出かけていたのに、寝ている猫を置いて、おじいさんは一人で釣りに行ってしまったのだ!
目を覚ました猫は気を悪くして家出。おじいさんはひとりぼっちになってしまう。だが、猫は帰ってくる。大きな魚を捕まえて。
その場面の絵がいい。ぼさぼさの毛皮、後ろに寝かせた耳。魚を前足ではっしと押さえ、猫はまっすぐおじいさんをにらみつける。
「あたしだってね、そりゃ少しおばあちゃんにはなっちゃったけどね、やる時にはやるのよ」そんな感じ。
おじいさんはいつもかぶっているテキサスレンジャーズの帽子を脱ぎ、猫のまなざしを正面から受けとめている。忠誠を誓う騎士のようなポーズで。
言葉や行動で表さずとも、わかり合えていたはずの関係が崩れた時、猫は怒った。そして、立派に自分の存在理由を証明した。湖に行き、毛皮をずぶぬれにして、暴れる魚をしとめたのだ。なんというみごとな猫!
やかまし屋のブラックバードや便器の中のジャンクメールに代表される「世間」にではなく、この猫のように、いざと言う時、大切な人のために、「わたしはここにいて、あなたを思ってるの。文句ある?」と存在証明ができたら本望だろう。
「お前は今のお前のままでいいんだからさ」とおじいさんは猫に言う。たくさんの猫と付き合ったおじいさんだからこその台詞だ。「猫は知らん顔をしていました」と絵本には書いてあるけれど、内心は大満足だったに違いない。ポテトスープより、ポテトスープを作ってくれるおじいさんが、猫は好き。これは晩年の男と女の物話だ。思わずつぶやいてしまった。「この猫みたいに年を取りたいな」。