「寄り添う」
「からすたろう」やしまたろう(文・絵)・偕成社
小学三年から五年まで、甕(もたい)先生に受け持っていただいた。先生は、降っても照っても長靴をはいて自転車で学校に来た。
言葉使いにきびしかったが、「えべや(行こうか)」「そうだじ(そうだよ)」と、時折、飛び出す安曇弁に温もりがあった。アンデルセンなどの長い物語を、昼休みに少しずつ読んでくれた。
印象に残っているのは、「はだか虫」を飼ったこと。通学路にクヌギ林があり、その木には毎年虫がついた。毛がないから、私たちははだか虫と呼んでいたが、コシロシタバという夜蛾の幼虫だ。虫は葉っぱにびっしりと付き、時折、通学路の真上で空中ブランコをした。気持ち悪くて、みんな、ビクビクしながら登校した。
「はだか虫の観察をしよう」と言い出したのは先生だった。花瓶にクヌギの枝を挿し、そこで虫を飼った。最初はおそるおそるだったが、スケッチをしたりクヌギの葉の交換をするうちに、はだか虫への偏見は消えていった。それどころか、葉っぱから逃げて床を這っている虫を、平気でつまめるようにもなった。
クヌギの葉っぱがつやつやと光り始めると、今でもはだか虫の飼育を懐かしく思い出す。恐れも偏見もなく毛虫をつまめるのは、先生のお蔭かもしれない。
五年生で畑を作った時、養豚をしているクラスの男の子の家から、堆肥をどっさりもらってきた。「汚い」「くさい」を連発する私たちに、先生は言った。
「堆肥は汚くない。自然が作ったものに汚いものはない。農家の人はこれを手でまくんだよ」先生は、堆肥を手づかみにして畝に入れていった。私たちも真似をした。堆肥はほかほかして、くさいどころかしだいにいい匂いにさえ思えてきた。畑には大きなジャガイモが実り、私たちはその芋で、でんぷんの実験をした。もちろん、茹でて食べもした。
あの時、先生は余計なことは何も言わなかった。だから、私たちもまったく意識しなかった。でも、大人になって先生の胸中を推し量る時、養豚場の男の子の顔が浮かぶ。あの子はどんなに嬉しかっただろう。先生の目線はすべての子に注がれていた。「自然が作ったものに汚いものはない」。先生の言葉は、今も私の心を明るくする。
『からすたろう』は、人の心に寄り添うこと、教育者の原点を私に教えてくれる大切な本だ。子どもの前で読んだことは一度もない。泣かずに読む自信が無いからだ。
これは、学校で居場所をなくした「ちび」という男の子の話だ。ちびは、先生からも友達からも無視されたまま、遠い山奥から学校に通って来る。ちびが五年生になった時、若いいそべ先生が担任になった。先生は、子どもたちを野山に連れ出した。ちびが山に詳しいので感心し、時々、ちびとふたりだけで話もした。学芸会で、ちびは舞台に立ち「カラスの鳴きまね」を披露する。最初は馬鹿にしていた人も、ちびのカラスの鳴きまねに心を奪われる。 その声に誰もが、ちびが住んでいるさびしい場所を想った。いそべ先生は言う。
「ちびは日の出とともに山奥の家を出て、日没に家路を辿る。六年の間、休まずに通った。カラスの声を聞きながら……」それを聞いたみんなは、六年の間、どんなにちびに辛く当たったかを思い出して泣く。その後、ちびは炭焼きになった。街に来た彼にみんなが声をかける。「ちび」ではなく、「やあ、からすたろう」と。すると、彼はその名前が気に入ったというようにうなずき、ほほえんで、大人になりかけた肩を自慢げにはって、山へ帰ってゆく。