安曇野いろ「祭り」
昔の祭りの記憶は、まっ暗な闇と夜店の青白い光輪の中にある。
目を無くしたかと思うほどの濃い闇だった。神社と夜店だけが煌々として、人の姿が青い輪郭を描いていた。紅白の幕を張った船形の山車の上には、牛若丸や弁慶が飾ってあった。小遣いを握りしめたわたしは、神さまや牛若丸や弁慶より、夜店のおじさんの方が気になっていた。
翌朝は、必ず社へ行った。踏み倒された草の上には、水風船の切れ端や外れクジが落ちていた。朝の光に暴かれ、祭りの跡は空々しく物悲しい。どこかこの世のものならぬ境に立っている、妙な気分がした。慌てて日向に飛び出し、顔見知りの道祖神まで駆け戻ると、ほっとしたものだ。
安曇野の秋祭りは、御船祭りと呼ばれる。穂高神社はもとより、地区ごとの小さな神社でも、山車は船の形と決まっている。山国なのになぜ船の形? と不思議な気がするが、もともと安曇族は北九州から渡ってきた海の民らしい。
今年は七年に一度の祭りの当番だった。大人になって初めて参加した御船祭りでもあった。
山の木を切るとき、栗の木は獣のために残しておくこと。木は根元から、竹は頭の方から割るときれいに割れること。木の縛り方、御幣の切り方、料理の味付け……年配者から若手へと多くのことが伝えられた。
雨の中、力を合わせて曳く船。祭囃子を奏でる子どもたち。伝承とは、命を生き継ぐこと。伝承の糸が人と人を繋ぐ様を、神事を通して感じた二日間だった。
2016・9・26掲載