安曇野いろ「叡智」
『ギヴァー』記憶を注ぐ者
ロイス・ローリー 島津やよい訳
作者のロイス・ローリーはアメリカの児童文学者でハワイ生まれ。連合国陸軍の将校だった父について各地を巡ったのち、第二次世界大戦が終結して間もなく、十一歳から十三歳までを日本で過ごす。この物語の最初の着想を得たのは、彼女が少女時代を過ごした東京渋谷での体験からだと言う。
「日本社会から隔絶したワシントンハイツは、まるで合衆国内の村の奇妙なレプリカのようでした。私はいつも両親に内緒で、自転車に乗り、快適でなじみ深くて安全なコミュニティを抜け出して街へ出かけました。丘を下り、親しみのない、ちょっと居心地の悪い、ひょっとしたら危険な渋谷の街へ入る時、胸が高鳴りました。街にあふれる活気、派手な灯り、騒音など、自分の日常とはかけ離れた感覚がとても気に入っていました……」(ニューベリー賞受賞スピーチより)
なるほどと思う。物語の中での、自転車の使い方は印象的だ。そして丘も。ギヴァーである老人から、記憶を注いでもらった主人公のジョナスが最初に受け取ったのも、丘をすべる橇と雪の記憶だ。最後の逃亡シーンも、自転車で丘を越えてゆく……
とりあえずは、ジョイスのいる奇妙なコミュニティの説明から始めてみよう。
おそらく近未来。十二歳間近の男の子ジョイスは、ちいさなコミュニティの中で暮らしている。「ニューチャイルドの養育係」という役職の父と「司法局」に勤める母。八歳になる妹の四人家族。このコミュニティでは、適正に合ったもの同士が配偶者となり、養育センターで育てられたニューチャイルドを「子ども」として受け取る。一男一女、二名のみ。子どもは「出産母」と呼ばれる役職の人間から生まれる。子どもが成長すると、親は老年者の家へゆき、一切、子どもとの関わりはなくなる。そして最後は「解放」と呼ばれる「よそ」へ移る処置になる。「解放」は祝福されるものと捉えられている。「解放」がどんな意味を持つのか、物語半ばまで明かされない。
子どもには一年ごとに儀式があり、決められた様式にのっとって、様々なことが許可されて行く。中でも十二歳は特別な年だ。それまでは、調和を重んじ標準から外れる行動を避けてきた子供たちに、初めて「差異」が認められる。その子の特性に合った役職が任命されるのが、十二歳の儀式だった。子どもには番号が振られていて、ジョナスは十九番。不安と期待で臨んだ儀式で、ジョナスは自分の番を待つ。けれど、ジョナスの番号は飛ばされる。不安と恐れの中で耐えるジョナス。儀式の最後、ジョナスに与えられたのは、「記憶の器・レシーヴァー」と言う最高の名誉職だった。
コミュニティでたった一人の特別な存在ギヴァー(記憶を注ぐ者)から記憶を受け取るレシーヴァーになったジョナス。ジョナスは次のギヴァーとして生きなければならない。
訓練をするジョナスを通じて、彼が暮らすコミュニティの異様さが次第に明らかになっていく。そこは痛みや苦しみのない世界。愛も喜びの感情もなく、起伏(丘)のない世界。雨も雪も降らず陽の光も射さない。薬を常用することですべての熱情は処理されている。痛みや苦痛、怒りや憂い、性欲も愛と言う感情も。そして、色彩も存在しない。すべてがモノクローム。
ジョナスはかつて一瞬だけ、林檎の紅い色彩を認めたことがあった。ギヴァーのてのひらから記憶をひきつぐうち、彼はほかの色も発見していく。冷たい、暖かい。光、木々の緑や、血のつながった人々の間に流れる愛も「体験」していく。やがては、痛み、悲しみ、殺戮、飢餓などを記憶としてギヴァーから受け取っていく。コミュニティの人々が苦しみや痛みから守られている代わりに、ギヴァーはその記憶一切を一人で引き受けている。そしてそこから得られる叡智によって、危機が生じた時に人々に指示を与える役目を負っていた。ジョナスは、記憶を注がれるたびに、安全で規制が取れたコミュニティに足りなかったものに気づいて行く。ギヴァーとしての訓練はだれにも語ってはいけなかったから、親友のアッシャーやフィオナとも気持ちがすれ違っていく。
衝撃的な時が訪れる。コミュニティにニューチャイルドの双子が生まれ、体重が少ない方を「解放」することが決まる。その時のモニターを、次のギヴァーとして見ることを許されたジョナス。養育係である父が優しい声であやしながら注射針を赤ん坊のおでこに刺す。「解放」とは殺すことだった。今や、殺戮や死の痛みを知るジョナスにとって、父もまたジョナスの心から離れていく。
苦しみや諍いの記憶も怒りや高揚する感情を持たない人々の暮らすコミュニティ。人々は同一化され、淡々と規律の中で生きていく。
「わがコミュニティの人々は、「同一化」の道を選んだのだ。私の前の世代、さらに前の世代、そして前へ、前へ、前へと遡った過去のことだ。我々は色彩を手放したのだ、陽光を手放すのと同時に。そしてあらゆる差異を排除した。我々は多くのものを制御することに成功した。然しその代償に、別のものを捨てざるを得なかったのだ」とギヴァーは語る。
ジョナスはこの社会を変えるべきだと気づく。そして、自分の記憶をコミュニティに解き放とうと決意する。ジョナスは「解放」を告げられた発育不良の赤ん坊ゲイブを連れ、コミュニティから脱走する。自転車に乗って丘を越えて。ジョナスの向かった「よそ」とは、どこなのか示されていない。もし「天国」を意味するのなら、このキリスト教的な結末にとまどいを覚える。
諍いも痛みも飢えや不安もなかったらどんなに幸せかと思う。だが、こうした苦しみの体験から叡智が生まれると知っているからこそ、コミュニティにはその痛みの記憶を受け止めるギヴァーと言う役職があった。避けては通れない痛みや苦しみから逃れようとすれば、かえって幸福から遠ざかることもあるのだと心に留めておきたい。
追記
ロイス・ローリーの『メッセンジャー』を読み、
この物語では、ジョイスが別のコミュニティの長として生きている。
『メッセンジャー』のコミュニティでは、ジョイスのように逃げて来た者たちが多く暮らしている。結末が「天国」に向かったというのは誤読だった。