「欲張らない」
「長い長いお医者さんの話」K・チャペック作/中野好夫訳/岩波書店
数年前、茨城から、福島に旅した。
福島では人に会うのが目的だったが、ひなびた湯岐(ゆじまた)の温泉宿も楽しみのひとつだった。湯岐の名は、水戸藩主、藤田籐湖の命名で、東湖は此処で、中風の病を治したらしい。三十七度から九度と書いてあったが、「つかる」より「まとう」が当てはまるやわらかな湯だった。
他に人がいなかったので、湯船に長々と体を伸ばし瞑想した。体から疲れが溶け出していくのがわかった。湯殿は白く煙っていたけれど、まぶたの裏はすっかり緑色に染まっている。外でウグイスの声がした。「ささ鳴き」の声は場所をかえながら、そこかしこから聞こえてきた。
ガラス戸が開き、年配の婦人が入ってきた。
「オネーサンはどこが悪いの?」顔を合わすなり、そう訊ねてきた。いきなり悪い所を聞かれて面食らったが、湯治場ではこれが挨拶代わりなのだと気がついた。湯治に来たのではなく観光だと答えるのもつまらない気がして、腱鞘炎気味の手首の事を告げた。すると「ここの湯は痛風にも効くんだよ」と、痛風患者にされてしまった。
「私はいつも二週間来るんだけど、この湯に入るとしばらくは痛みが取れて楽になる。痛くなったらまた来るんだ」と、腕をさすりながら言った。そして、混浴の湯船を勧めてくれた。「むこうは、広くて気持ちいいよ。混浴といっても恥ずかしいのは最初だけだよ。すぐに慣れるから、後で入っといで」。
混浴に入る勇気はなかったけれど、病を癒しに集まる人の心のつながりを思った。遠慮無しの物言いが好ましかった。温泉は、衣服ばかりか心をよろっているものまで剥ぎ取ってしまうらしい。体と心に付いてまわる煩わしい世間体や肩書きや義務を忘れ、二週間も湯につかって過ごしたら、どんな病も治るのではないかと思われた。
春先に腰を傷めて、整体に行ったら、病気にならない為には養生が肝心と教えられた。では、どうしたらいいのかと訊ねたら、整体師さんは「欲張らないこと」と、たったひとことを告げてくれた。禅問答の答えのような返事だった。以来、何かにつけて「欲張らない」と呪文のように唱えているが、気がつくと欲張っている。おいしいものがあれば食べ過ぎてしまうし、面白いことがあれば、無理して出かけてしまうし、エトセトラ。養生とは、簡単なようで本当に難しい。
「長い長いお医者さんの話」というチャペックの作品がある。気まぐれ魔法使いのマジャーシュは、弟子を怒鳴りつけようとして、梅の種を喉に詰まらせてしまう。治療にきた四人の医者の診たては、「急性ウメタネマク気管支カタル」。手術の前に医者が語る話が、病とは何かを考えさせてくれて面白い。マジャーシュの手術は無事成功(手術と言っても一、二、三で背中をどやしつけるだけ)。飛び出した梅の種はものすごい勢いで遠くまで飛んで行き、二匹の牡牛を撃ち殺し、地面に三万三千三百三十三ミリめり込む。悪いものを吐き出したマジャーシュは、医者の勧めに従い、気候のいいところに転地し、人の役に立つ魔法を研究しながら、二百年の養生をすることになる。
背中をどやすだけで、病が飛んで行くなら嬉しいけれど、そう簡単にいくわけがない。ただ、欲張って体に溜め込んだ悪いものなら、一、二の三で吐き出せるかも。
だがその前に、「欲張らないこと」。これが肝心要かもしれない。