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「共に」

「虫といっしょに庭づくり」
 曳地トシ・曳地義治/築地書館

 春が近づいてくるたびに、昨日とはどことなく違う空気に、呼吸が深くなる。わずかな季節の変化の兆しにも胸が躍る。春は行きつ戻りつおずおずと近づいて、やがてすっかり大地を包み込む。啓蟄のうずきに土はさくさくと身をほぐし、陽の光を吸い取ってふっくらと肥える。新生の季節。木々の細い枝にも小さな芽が光る。こぼれた種から、そして眠っていた球根から、黄緑の頭がのぞいた。「おはよう、おはよう」とにぎやかに聞えてくる土塊(つちくれ)の中の声。「この子はどこの子? どこからきたの?」と思うような新顔もいくつか混じっている。鳥や風の仕業だなと、小さな贈り物を受け取った気分になる。
 ターシャ・テューダーの庭に憧れて、毎年どっさりと球根を埋めてきた。だが昨年の秋は、新しい花の仕込みをしなかった。今年は素朴な野菜の花を楽しもうと思っている。庭の中心の日あたりのいい場所では既に、冬を越したキャベツ、玉ねぎ、ニンニク、イチゴ、菜っ葉類が黒いマルチのベッドでご満悦だ。小さな鉢には、エンドウとユウガオの種も眠っている。虫との闘いがない冬の「保育」は楽だった。キャベツはきれいに丸々と太って、手を触れた瞬間、きゅっと音をたてる。湯上りの赤ん坊みたいな手ごたえだった。
曳地トシさん、義治さんの講演を聞いた。曳地さんは、農薬や化学肥料をいっさい使わない植木屋さんだ。講演のタイトルは「虫といっしょに庭づくり」。この言葉だけで虫嫌いの人は逃げ出してしまいそうだが、講演を聞いて、どんなに虫がけなげに世界を守っているかがわかった。
大まかな計算ではあるが、例えば一羽のハイタカが一年で食べるシジュウカラの数は八百羽ほど。一羽のシジュウカラが一年で食べるマツシャクトリムシの数は約一万二千五百匹。一羽のハイタカが生きるためには、何と約一億のマツシャクトリムシが必要になる。
このように、生態系のピラミッドの底辺を支えているのはたくさんの虫たちだ。彼らは土や朽木を分解し、花の受粉を助け、他の生物の餌になり、その死体は土の栄養にもなる。底辺にいるものほど、けなげでたくましく、地道に生きる。
生態系バランスが取れた循環型の庭では、人間が手を出さずとも、鳥や天敵の虫が害虫を駆除してくれる。土が豊かになると植物も活力を増し、自分で自分の身を守る。そこに光と風を通してやれば、命はかがやく。反対に、農薬を使うと、害虫ばかりか益虫も土の中の微生物も何もかもが死んで、鳥も来ない土もやせた庭になってしまう。そこにまた、化学肥料を加え農薬をまくという悪循環が起きる。必要以上に消毒が行われている現代社会。しかし、時としてそれは「消毒」ではなく「加毒」になるのだと気付かされた。
農薬で大量虐殺せずに、一騎打ちをして欲しいと曳地さんはおっしゃった。「テデトール」と「アシデフーム」が一騎打ちの道具。自分の手で取って足で踏んだ時、やはり気持悪さと心の傷みが残る。その傷みこそが命のつながりの実感になる。
生き物はみなつながりの中で生きている。地球をひとつの大きな毛糸玉に例えてみよう。ぐるぐるほどけば、一本の長い生命の糸になるはずだ。合理化と欲の為に人間が断ち切った糸のひきつれで、毛糸玉は今、歪んでいる。歪んだ毛糸玉をきれいに丸くするために、共在する生き物の声を聞こう。特に、底辺でピラミッドを支えているけなげな小さなものたちの声を。


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