「楽しみ探し」
「独楽吟」 橘曙覧・グラフ社
メールの着信音がした。携帯を開くと「当選おめでとうございます」の文字が躍っていた。応募した記憶がないキャンペーンの当選通知。無視していたら再通知が届き、なおも放っていると、最後通告なるものが届いた。「放棄とみなして権利は他の方に」。割り切れない気持ちを残しながらメールを削除した。本来なら当選は嬉しいもの。詐欺だと初めから疑ってかからねば身を守れない世の中にうんざりする。「フィッシング」の言葉通り、魚になった気分だ。政り事から暮らしの安全に至るまで疑惑だらけ。釣り針の餌には食いつかない、自分の目と耳で確かめて行動したい。そう決心しても、あちこちに釣り針が光り、その先には美味しそうな餌がぶらさがっている。
昔話の多くは、宝をどっさり授かってめでたしめでたしと幕が下りる。だが、宝物だけでは幸せにはなれない事も、物語は教えてくれる。宝を得るまでの艱難辛苦、或いは実直な生き方の中にこそ、幸福への鍵が隠されているのだと。欲張りや傲慢、怠慢、見栄っ張りな登場人物たちが幸福になった試しはない。
宝はおまけ。金銀財宝は、幸福の一部。本当の幸福は、じんわりとほのかに温かいもの。他人と較べることなく、日々の暮らしの中で、実感するもの。
「例えば?」と拠り所を求める時には『独楽吟』がお薦めだ。穏やかな世界に導いてもらえる。
江戸時代末期の歌人、橘曙覧が残した『独楽吟』。五十二首の連作には、ささやかな幸福感が詠まれている。どれも、わかるわかると、膝を打ちたくなるものばかり。いずれの短歌も「たのしみは……」で始まり「……時」で締められている。権力、名声、出世、財産、全てを退け、清貧で自由な生き方をした橘曙覧だからこそ、このように素朴で温かい和歌が詠めたのだろう。
「たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人を見し時」
「たのしみは 百日ひねれど 成らぬ歌の ふとおもしろく 出できぬる時」
「たのしみは 心をおかぬ 友どちと 笑ひかたりて
腹をよる時」
「たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物を食ふ時」
「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」
「たのしみは 常に見なれぬ 鳥の来て 軒遠からぬ 樹に鳴きし時」
「たのしみは 野寺里山 日をくらし やどれといはれ やどりける時」
「たのしみは あき米櫃に
米いでき 今一月はよしといふ時」
「たのしみは 三人の児ども すくすくと 大きくなれる 姿みる時」
「たのしみは 昼寝目ざむる枕べに ことことと湯の 煮えてある時」
「たのしみは 昼寝せしまに 庭ぬらし ふりたる雨を さめてしる時」
「たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かえりける時」
解説はまったく必要ない。詠まれているのは、ささやかな心の動き。お金や物に価値を置かない、精神世界の充実。出世だとか富を得るとか、もっと刺激的で華やかな出来事が舞い込んだなら、たちまち色を失ってしまいそうな慎ましい事々。
楽しみは、作り出すだけではなく、見つけ出すものかもしれない。日々の楽しみを数えあげたら、幸せ探しも容易にできそうだ。一首ずつ味わっているうちに、「独楽吟」をもじって、詠んでみたくなった。
「たのしみは 心にうかぶ はかなごと 思いつづけて コラム書く時」
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