「誇り」
「アイヌ神謡集」
知里幸恵編訳・岩波文庫
幾千年も口承で伝えられてきたアイヌのユーカラ。ユーカラは、神々が主人公となってその体験を語る「神のユーカラ」と、「人間の英雄伝」とに分かれる。さらに神のユーカラは、動物神・植物神・火や風の神などが語る「カムイユカル」と、人間の始祖であるオイナカムイが語る「オイナ」とに分かれている。
知里幸恵さんは、ユーカラの伝承者を祖母に持つアイヌ民族の少女だ。カムイユカルにローマ字で音を起こし、それに美しい響きの日本語訳をつけた。まだ十代だった少女は、言語学者の金田一京助氏と出会い、アイヌ民族の文化を文字に残すことを決心する。彼女は金田一氏から贈られた白いノートにユーカラを書き写した。その出版作業の為に上京するが、心臓の病が悪化し、出版を待たず十九で夭逝した。知里さんはその仕事を天命と心得ていたのだろう。死ぬ間際まで原稿校正のペンを離さなかった。独特の擬音と詩のように響く文章は、口にした時とても心地よい。口承で伝えられたその舌ざわりが随所に残っている。少女の無垢な魂によって綴られたユーカラを読んでいると、失ってしまったもののことを思わずにはいられない。そこに書かれたお話すべてが、物質文明によって壊されていく自然とそこで育まれた精神そのものを表わしているような気がして仕方ない。
「『銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに』という歌を私は歌いながら、流れに沿って下り、人間の村の上を通りながら下を眺めると、昔の貧乏人が今お金持ちになっていて、昔のお金持ちが今の貧乏人になっているようです」これは梟の神様の歌だ。弓矢で遊ぶ子どもたちを見ていた梟の神様は、中に貧しい少年を見つけ、その子の瞳がとてもきれいだったので、福を授けてやる……。
知里さんは上京時の事を手紙で故郷に書き送っている。初めて見た東京の街はきらびやかだった。が、「それは夢の国のようで、私には縁のない世界」と言い切っていた。また、取材に来た新聞社の人が「アイヌ人じゃなかったらいい娘さんなのになあ」と口をすべらせたのに対し、「私はアイヌの血が流れていることを誇りに思っている。何を恥じることがあろうか」と書き綴っていた。ユーカラを文字にする為に撰ばれたとしか思えない、短いけれど張り詰めた彼女の生涯。彼女の魂のまわりにも、銀の滴と金の滴が降り注いだに違いない。その誇り高い魂のまわりに。
以前、初めて映像化されたというアイヌ民族を撮ったリュミエール社のフィルムを観た。寒々とした雪のコタン。熊送りの風景だった。モノクロで無音の映像。はためく衣装や髪のなびく様から、風の音と空気の冷たさが感じられた。天に上る魂と地に満ちる感謝。厳しいけれど美しい自然の中で、まわりのものすべてと同化して生きてきたアイヌの人々の暮らしが見えるようだった。穏やかなイメージが先行するが、同化とは相手を取り込み奪ってしまうことに他ならない。己の命を生かすものは他のものの命である。本来なら誰もが生きるために獣や鳥を殺めねばならぬし、その痛みを心に負わなければならない。非情にも思える命の循環。取り込まれた命は、礼節と感謝とによって償われる。自分の手を汚さずに生きられる現代社会では、己に取り込んだ命への感謝を忘れず、礼節を尽くすのは本当に難しい。だが、命はつながってひとつ。自分だけの命ではないと思うことで、生きる誇りが保たれてゆくのではないだろうか。
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