20230606 晃生ショー劇場へ。蒼稀子さんのストリップの舞台に衝撃を受けた。
2023年6月6日。東大阪の布施にあるストリップ劇場の晃生ショー劇場さんに赴く。晃生ショー劇場さんはヌーディングライブシアターを標榜している。私はストリップ劇場は表現の坩堝、ライブハウスに近いと解釈しているので、この呼称には親近感を覚える。
最近は金持ちならぬ時間持ちなので、開演の昼から最終汽車の間際まで、ストリップ劇場で長い時間を過ごす。あらゆる情報がほぼほぼ遮断されるため、頭が空になっていく。踊り子さんのステージを浴び続けていると、日常が遠ざかっていく。社会問題、個人問題、日頃の鬱憤も一時的だけど完全に忘れさせてくれる。踊り子さんがステージから放つ世界にただ浸る。この日も5名の踊り子さんの入魂のステージが頭の老廃物を一掃してくれた。
この日は初観劇となる蒼稀子さんの舞台に、たとえようもない感覚を覚えた。最終的には心の内奥まで到達する深い衝撃を受けた。
初回は「海へ」という演目。爽やかな夏、ストリップの王道演目としてほほえましい気持ちで観劇していた。しかし、彼女が演目の合間に、何気なく繰り出した身体動作が、形容しがたい独創的な軌道を描いた。ノーガードの頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。体験したことのない感情が胸に迫ってきて、何の脈絡もなく涙が流れた。一体何だろうこれは?
2回目は「転生」という演目。私はストリップの全てを知っているわけではない。ましてや踊りのことなんて何も分からない。だけど彼女の流麗な身体の動きは、理解の範疇を超えた素晴らしさだった。まるで異なる物理法則の世界で踊る人を眺めているような。動きが視覚でも言葉でも捕捉できない。素晴らしい踊りを眺めていると、作品の世界にトリップしてしまう。心の内奥から歓喜が込み上げ続け、鳴咽をもよおした。
蒼稀子さんの踊りは、月並みだけどまるで水や風のように、形がなく、目で捉えようとしても、言葉で捉えようとしても、するりと逃げていった。幾度となく視界から一瞬消えては現れる。いながらにしていないような。
言葉にしても雲を掴むような心地。私の貧困な言葉では伝えようがない。ただただ彼女のステージをもっと観たいという気持ちが心に残った。
4回公演の「転生」を観て、劇場を急ぎ足で離脱した。二回目は世界観により深く同調できたと思う。もうほんとにすごかった。心の琴線に触れまくり、込み上げる何かがありまくりで観劇中に泣けてきた。空腹も忘れるとほどに脳内麻薬ドパドパな幸せな気持ちに包まれた。
ストリップだけをとってみても、世界は広い。こんな人がおられるのか、こんな素敵な表現があるのか、人間にこのような素晴らしい動きができるのかとひとしきり関心した。素敵な出会いに感謝した。
駅のホームでおにぎりをほおばり、晴れ晴れとした心持ちで家路に着いた。