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とりあえず、声を出して歌ってみよう

 わたしは、好きなことや趣味が結構多い人間だと思う。自己紹介にも書いたけれど、本が好きだし、ヨガが好きだし、自転車も好きだ。それから、アニメを観たり、絵を描いたり、お話を書いたり、もちろん文章を書くことも好きだ。散歩も好きだし、滅多に遠出はしないけれど、お出かけするのも好きだ。この前のハイキングはとても楽しかった。涼しくなったら、山登りもしてみたいなと思う。(海はまあ、山の次かな。)最近は食べることも楽しくて、食事の時間、おやつの時間が幸せでたまらない。

 その上、できるようになりたいと思うことも多い。料理ができるようになりたいし、お菓子も作れるようになりたいし、歌も歌えるようになりたい。(ほとんどは気持ちの問題だと分かってはいるのだけれど、わたしは声が小さくて、多少のコンプレックスでもある。声の出るときと出ないときのムラをなくしたい……)そう、つい最近、二十四才にして人生三回目か四回目のカラオケに行って、あまりにも声が出ず悔しい思いをしたのが直近の、できるようになりたいマイブームのきっかけである。このマイブームはたびたび周期的にやってくる。

 それなのに、今まで自分は、随分もったいないことをしてきたなと思う。そう、やりたいことも、できるようになりたいこともたくさんあるのに、わたしはどこかで、自分のやることに気持ちの上でセーブをかけてきた。あれもこれもできるほど人生はそんなに長くはない。自分には本があるから、ヨガがあるから、書くことがあるから、歌が歌えなくても別にいい。そうやって、声を出すということはわたしにはちょっと労力のいることなので、たとえば家で音楽を流しているときなんかに、一緒に口ずさんでみるとか、声を出してみることをやらない言い訳にしてきた。そう、だけどそれは、言い訳でしかなかったのだと思う。

 それに、あれもこれもやろうとしている、ように見えるのは、一つ一つを分けて考えているからだ。文を書くこと、絵を描くこと、料理、歌……。物事に境界を引いて、それぞれを別のものとして捉えているから、あれにもこれにも手を出そうとして、定まらないように思ってしまうのだ。でも、そうやって境界を引いてしまうのはもったいない。境界を引いて、制限をかけてしまうのは。ほんとうは全部つながった、一つの行為なのに。パンを作りたいと思ったとき、パン作りは料理、料理は自分の専門外。そうやって、自分のやることに制限をかけてしまうのはもったいない。
 ちょっと前に、「転生したら第七王子だったので気ままに魔術を極めることにしました」というアニメを観た。主人公のロイドは、題名のとおりとにかく魔術を極めているし、極めていく。その貪欲さに、わたしは、ああいいなと思った。彼はとにかく貪欲で、そして、魔術を極めるという一つの行為をしているにすぎないのだけれど、決して物事に境界を引いて、自分のやることに制限をかけたりしない。武術もやるし、剣術もやるし、魔術付与もやるし、魔獣使いにもなるし、とにかく色々やる。そんな彼を見ていて、ああこれでいいんだな、こうやって生きていきたいなと思った。やりたいこと、できるようになりたいことがあれば、ごちゃごちゃ考えていないで、その気持ちに素直に、貪欲にいればいい。

 そうはいっても、わたしは比較的、そうやって貪欲に生きてきた。だからこんなに、好きなことや趣味が多くなったのだ。わたしはよく、字がきれいだと驚かれる。習字を習っていたのかと聞かれるが、そんなことはない。きれいな字が書けるようになりたくて、きれいな人の字を真似し、好きなバランスを自分なりに研究し、日頃から丁寧に書くように心がけてきただけだ。ロイドの生き方やスタンスには、共感できる部分がある。いや、わりとそっくりそのまま、共感できるかもしれない。わたしもたぶん、同じように生きてきた。ただいつからか、ちょっとそのことを忘れ気味だった。ロイドには、そのことを思い出させてもらった。ありがとう。

 わたしには、やりたいことや、できるようになりたいことがたくさんある。上に書いたことは、その内のほんの一部でしかない。今よりもっと、文を書けるようになりたい、絵を描けるようになりたい、ヨガができるようになりたい。朗読できるようになりたい。ダンスをやってみたい。やっぱり、バスケもやってみたい。(中学生のとき、入部先としてバスケ部にも興味があったけれど、メンバーとうまくやっていける自信がなくて諦めてしまった。)六才のときから習っていたピアノをまたやりたいし、自分で楽しめるくらいには弾けるけれど、もっともっと弾けるようになりたい。最近、本やアニメを観たせいで、バイオリンだとかチェロだとか、弦楽器もやってみたくなっている。ここには書ききれないくらい、山ほどある。

 そういうものを、諦めてしまうのはもったいない。人間の一生なんて高が知れている、一生の内にそんなには無理だ、なんて、諦めてしまうのは。人生はそんなに長くはない。だから、やるんじゃないか。やりきれなかったら、来世の自分に任せよう。だいぶ、欲張りな文章になったと思う。でも、欲張りでいい、貪欲でいい。まずは、ちょっと声を出すのはな、と思ったとき、言い訳をせずに、声を出してみよう。声が出なくても、気にすることはない。こうやったら声が出るな、こうやったら声を響かせられるな。そうやって研究したり、気づいたり、できるようになるのが楽しくて、好きなのだ。せっかく生きているのだから、とことん楽しみ尽くしたいし、いくつになっても、常に挑戦し続けられる人間でありたいと思う。そして、そのことを、それでいいんだよということを、人にも共有できる人間になりたいと思う。

 前回からちょっとご無沙汰な記事になってしまいました。ほんとうは一ヶ月に一本は書きたいのですが。(自分の世界に引きこもってしまいがちなので)保証はできないですが、次はもう少し早く書こうかな。
 最後まで読んでくれてありがとう。それでは、また。

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