最近の女子会で、意見が合わない友達のこと
スニーキングミッションとでも、言うべきだろうか。
30代も終わりに近づいている今日このごろ、
同じくらいの年の友人とお茶をしていて、会話のやり取り中、とにかくもやもやする事が多い。
このお茶会を無難に乗り切るのが、私のスニーキングミッション。
気の所為ではないはず。
毎回、もやっとするからだ。
自分と友人との意見の食い違いについて、ものすごく悩んでいる。
人に相談しようにも、相談相手たちと意見が合わないのが悩みなので、誰に聞いたらいいのか、分からない。
なので、noteを書き上げながら、自分なりに答えを模索してみることにする。
そもそも私は、友人が少ない。
濃ゆく狭くがモットーの、いつも同じ子と一対一の女子会。
主に年齢差が3歳以内の友人と、月に何度か女子会する。
友人たちの職業や結婚、人柄などもちろんバラバラ。
彼女たちの悩みもバラバラだが、独身貴族を地で行く私はいつの間にか聞き役になっている。
趣味が合う子や、ソウルメイトのような子、高校時代から一番仲の良かった子。
今回は、この中でも趣味が合う子について悩んでいる。
私よりいくつか年下の彼女は、とにかくきつい介護施設の職員。
私が過去務めていた介護施設も相当ブラックだったが、彼女のいる施設もすごい。
聞けば聞くほど、心のエネルギーが持っていかれる。
そして世の中の、さもありなんな荒んだ心を吐き出しては、果てはヘイトスピーチまで言論が展開していく。
アジア圏の文化を愛してやまない私からすると、このヘイトスピーチを聞かされるときが一番苦しい。
SNSが主らしい彼女の情報は、あまりにも的が外れていて聞いていられない。
そしてふと、かのヒトラーが蔓延らせたファシズムの芽を感じるのだ。
私がそういう主義というよりは、私がファンを公言するヒラリー・クリントン女史のある時のスピーチから思い出したことだった。
母校イェール大学での女史のスピーチの時、まだ世の中はコロナ禍前。
しかし世界情勢は怖いくらい傾きを見せ始めていて、私は食い入るようにスピーチに耳を傾けていた。
誰かに選ばれた情報しか耳に入らないのならば、それはファシズムが栄える要因になりうる。
彼女は警告を込めてそう言っていた。
とまあ、また変なことを説教臭く書くと、どなたにも読んでもらえない記事になってしまう。
話は戻るが、ヘイトスピーチを繰り返す友人について、
彼女の人格の問題ではないとは、思うようにしている。
今の世の中のシステムと、人に余裕を与えない環境が、自然とそういう情報を流行らせていて、そこに目が行ってしまうのだろう。
とにかく、人の良いところに目を向けないと、私だっていつ何かに飲み込まれるかわからない。
人の心は、すぐに変化するし、今日の私は正論を聞けても、明日の私は誰かに憎しみをぶつけているかもしれない。
3〜4歳からの付き合いの彼女。趣味が合うと言ってもここまで続いているのはすごいことだと思う。
これからも、彼女の良いところをたくさん見ていける自分でありたいし、
ん?と思うことは誰も完璧ではない事だと、なるべく流したい。
何より、彼女のお母様がかなり重篤な病気であったり、家庭環境のひどさが際立つ今は、せめて聞き役くらいこなしたい。
私だって、今よりすごい時期があった。
人の事を、やっぱり悪く言える立場ではない。
お互い様だ。
あの修羅場のような時に、手を離さないでいてくれた友人は、今確かに残っている子達なのだ。
スニーキングミッションは、慣れるまで続くけれど、人生の先輩だって通った道だと思うことにする。
良いときもあれば、そうでないときもある。
たัから振り返ったとき、やっぱり続く友情に奇跡と誇りを感じるのではないかしら。