100年前の離島のドラマティックなお話
今回はちょっと変わった記事。
母から伝え聞いたお話がちょっとドラマのようだったので、言語化してみることにしました。
お付き合いください。
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私は3年前から、一風変わったところに住んでいる。
やむを得ず、ここへ引っ越した。
まだ新しい家、それを残して一人暮らしの伯母が亡くなり、いろんな経緯で私達家族が引っ越すことになった。
これはフォロワーさんならご存知かもしれない。
さて、引っ越し先は元離島という立地。
所謂、超絶田舎。
周りも海と湖に囲まれた、とても特殊な地域。
娯楽などないし、本屋も大型スーパーもない。
隣県や県庁所在地とは、道路と橋とで繋がり、孤島感はまったく感じられない。
近くに空港もあるし、県庁所在地より物価も安いのが救いだ。
しかしまあ現実は、極端な観光地か空き家か畑か墓しかない。
不思議なことに、とにかくテレビ局がよく来る。
さて、私は人生ずっと県庁所在地で暮らしてきたので、ここへ引っ越しせざるを得なくなった事を、
島流しに遭ったと呼んでいた。
どれだけ田舎をバカにしていたかわかる。
それくらい、最初はここに住むのが嫌だった。
なにせ方言が特殊で、私と父は、未だに時々言葉がわからない。
ここ出身の母はネイティブだが、とにかく日本語か?と疑う言語のオンパレードなのが暮らしにくくてたまらない。
そして、なんだか笑ってしまうくらい日本語じゃない音に聞こえる時があるので、ネイティブの方の方言に吹き出してしまった時の場の空気の気まずさ。
なんとか慣れたいものだ。
さて、そんな私達家族の住む地域は、もちろん親戚に囲まれた空間で気を使う。
絆の強い繋がりは、時に我慢や気配りもあってこそ成り立つ。
さて今日の本題。
親戚の家に行く途中、いつもポッカリと開いている宅地がある。
今は家も立っておらず、もちろん、住人も持ち主もわからない。
すでに人の気配が感じられなくなって、ずいぶん経っているようだった。
こじんまりとしたその宅地は、高台でちょうど見晴らしがよく、県庁所在地のある方角の海が見える不思議な位置にある。
その見晴らしから海を見ながら、母はおもむろに、言った。
「ここにはね、昔それはそれは美しいおばあさんが住んでたのを、覚えてるのよ。
若い頃は、よりキレイだったと思わせるくらいキレイな方でね。○○○○○○屋さんて、有名な商店(地元大手企業)の社長さんのね、お妾さんが住んでらしたのよ」
ドラマのような話に、私は食いついた。
それはちょうど100年ほど前ぐらいだろうか、私の曾祖母が若かった頃の話だそうだ。
その頃はここもまだ離島も離島。
ポンポン船と呼ばれる、昔の船で行き来するしかない時代だ。
社長は毎週土曜の最終便に乗って、その女性に会いに来ていたそうだ。
その社長の乗ったポンポン船を、高台の見晴らしのいい家から、まだかまだかと見つめて、その美しい人が待っていた、という話だった。
いつも着物を着た、すらっとした美人だったそうで、母が目にしたときは相当なご年齢だったようだが、
それでも丸顔に、パッチリとした二重目で上品な方だったそう。
雨の日も風の日も、ポンポン船で桟橋につく社長をお迎えに出ていたそうだ。
まるで、ドラマのような話だった。
二人がそうなるまでの馴れ初めも、年の差も、事情も何も分からない。
昔々の話なので余計にドラマティックに、想像だけが独り歩きする。
そのお妾さんの存在も、通っていた社長の事情も風にそよいで、今は人の気配なき空き地に、ただ時間の流れを感じた。
ちなみにその社長の子孫の方は、母の元上司だ。
袖振り合うも多生の縁とはよく言うが、ご縁というものは、深いも浅いもあるものなのかもしれない。
親戚の家に行く道すがら、私はあの空き地を通るたびに、いつも二人のドラマを勝手に想像する。
ずっとずっと昔、
着物を着た美しい女性が、ただひたすら海の方を眺めて、待ち人の乗った船を待っている姿を。
そして感じる。
田舎にも、ロマンがそこかしこに隠れているのだと。
母は最後に一言、付け加えた。
「昔はね、もっともっと大らかだったのよ」
と。