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初志貫徹の難しさ。大人の習い事を邪魔してくるもの。
唐突だが、
あんなに希望を持って始めたピラティス教室へ通うことが、急に苦痛になった。
理由を考えてみた。
まず、毎度行く前に吐きそうなほど緊張する。
夜の薄暗く広い公民館で、濃く出来上がったコミュニティに一人挑むように参加するピラティス。
ピラティスそのものはいいが、この教室での時間に辛さを感じる。
ここはど田舎。
とにかく人間関係というものが、何にでもシリアスに影響する。
ここに馴染みがあるとはいえ、ここで育ったこともないし、同じ年の知り合いは皆無。
どこへ行っても何をしても、常に知らない人しかいないのだ。
転勤族の人はすごいと思う。
こんな思いを人生で何回繰り返しておられるのか、そのメンタルへの負担への対応たるや、尊敬に値する。
私の通うピラティス教室は、田舎なのに人が多い。
年齢も割と若い人も多くて、それが余計に辛い。
私より若い人で20代の人もいるし、30代から40代前半の人もかなりいる。
残りは50〜70代の人。
こちらも入っていける空気は皆無。
あと何となくだが、余所者のという私への認識が態度から漏れている。
そういうのは、少しで良いのでオブラートに包んで頂きたい。
そして、どのグループも、固くサークルを組んで楽しそうにしている。
ピラティス自体は個人種目だけど、椅子を出したり施錠掃除係がまわってきたりする。
そんなことも前回知った。
体験の日はやはりお客様。
そういう煩雑なことは、説明もされず。
肌がきれいだの美容は何だのと聞かれ、ここなら入っていけるかもなんて軽く考えていた。
しかしどうだろう、前回行ったときは既に弾かれているかのように居づらかった。
しょぼん。
今の私は、効果音を使うならばこれである。
自分から人と仲良くなる努力をしたり、声を掛けたりするのは、得意なほうを装って生きてきた。
ここでもそうしてきたのだが………
だからこそ、難しい。
その私はあくまでもハリボテであり、何度も何度も貫き通せるほど強くない。
だから、終わってからのメンタルへの負担が酷い。
身体は楽になっても、心が重くなるのでは結局意味がないではないか。
慣れるまで通うのが、普通だとは思う。
けれど、メンタル持ちが感じるこの負担はシリアスに捉えねばならない。
実は、習った動作はノートに記録してきている。
別にやめてもどうということはなく、続けられる。
これはまずい。
もう辞めそうだ。
思えば、小学生から習っていた水泳も書道もピアノも、こんな思いが一番嫌だった。
大人になってコミュニケーション能力で乗り切れるかと思ったが、今回のこれはどうもキツい。
身体に良いことは分かっているので、買った道具とともに続けようとは思う。
けれど、伯母が生きていたときから、ここのコミュニティから感じてきた疎外感。
それが大人になった今の私に、直感として話しかけて来る。
ここはとても、馴染むのが難しい、と。
あぁ、いやだいやだ。
もう行きたくない。