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クーベリックさんのモーツァルト

ガーディナーさん、カラヤン、このクーベリックさん。それぞれの演奏がある、このミサ曲にも。同じ曲でも、違うんだよな、味。

ルチア・ポップ、ペーター・シュライヤー… 彼らの三重奏、四重唱はやばかった。柔らかくて、しなやかで、世界、包み込まれる。でも、こまやかで、繊細で── 大きいも小さいも、同じことだ、エネルギー…

クーベリックさんといえば、ジュピターを楽譜通りに演奏した人だと記憶する。あの第四楽章の繰り返しもやばかった。巨大な木星の自転を見たよ。永遠みたいに、でかかった!

声、音というのは、すごいものだ。
見えないものどうし、心といっしょくたになるのかね。

厳しさ、優しさ、悲しみ喜び、軽さ重さ…
親しみ、お茶目さ、清らかさ…
汚らしさがない… 洗われちゃうのかね。
洗い流され… 時間なら、今も流れてる、今も、今も。

きれいなものなのかもしれない、流れる。

きたない、きれいもなく。
穢すものがあるとしたら、心ってやつかい?

繋ぎ止めようとする、堰き止めようとする── そのままでいられない、心ってやつかい?

あの、美化されがちな。

この頃は、たいして見向きもされない… 恥ずかしいのか、隠しているのか… 隅っこにいる、縮こまっている、あの心とか呼ばれるやつかい?