内向的復讐感情
内向的復讐感情。
復讐や嫉妬、憎悪や怨恨は、その対象に向けられて初めて形になるものだが…
内向的復讐感情、ここから、始まっているのではないか。外に向かう前に。
私は、ある婦人のことを思い出す。
彼女は、出勤する夫の弁当に、彼の嫌いなピーマンを毎日入れ続けたというのだった。
そして彼は、その妻の悪意に気づかなかった!
だが、それは毎日、ひっそりと、弁当箱の片隅に、常に置かれてあったのだ。
「健康のために」と彼女は微笑んで言った。女らしい、しとやかな女性である。
彼女自身、自分の悪意を、気にも留めていない様子だった。(もちろん、健康のために彼女はピーマンを入れ続けたのかもしれない。だが、何もわざわざ、彼の嫌いなものを執拗に入れることは、しなくてもいいだろうと私には思えた。緑黄色野菜は、ほかにもたくさんあるはずだ。
夫君は、それに対して何の苦情もいわなかった。
ただ、彼女と面と向かい、話を聞いていた私に圧倒的だったのは、何年も毎日弁当をつくり続けた彼女と、つくられ続けた弁当、そしてそれを食べ続けた彼に流れ続けていた時間 ── その時間の重みであった。
彼女は、夫を愛していた。夫も、彼女を、きっと愛していた。
このことは、ふたりにとって、地球が自転するほどの自明の理で、あまりにも当然すぎることだった。
彼女は行ってらっしゃいを言い、お帰りなさいを言い、朝な夕なにご飯をつくり(朝はパンだったが)、掃除洗濯も毎日やった。それは「ひとり身だったら、こんな熱心にしません」と彼女自身に思えるほどだった。だが、それは何としても当然なことだったのだ。
彼女は、絵に書いたように良妻であった。そして彼女は、彼が定年退職するまでの四半世紀、弁当をつくり続けたという事実、このことが、この世の何ものにもまさる、絶対的王者の冠のように私には思えた。
「大変じゃなかったですか」私は聞いた。
「いいええ、全然」彼女は笑って言った、「まあ、でも、よくやってきたんでしょうねえ」
そうして、「おかげさまでしたわ」横に座る、彼女の夫君に、少し頭を下げながら、愛らしい目を注いだ。
「う、ううん…」夫君は、曖昧な返事を返した。
だが、私には、毎日必ず弁当に入れていたというピーマンのことが気になって仕方なかった。それが彼女の、復讐のように思えたからだ。
それが、何のためのものか、何のためにあるものか、私には分からない。
しかし、人間には、復讐感情がある── いかに、どんなに幸福そうに見える人間にも。
内向的復讐感情が…