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(21)それで済むなら

 昔── いつの昔か知らないが、たとえば映画で、下宿を共にする人どうしが顔を洗いに、井戸端のような所で「おはようございます」といった挨拶をする場面を見たことがある。

 歯を磨きながら、何となく世間話、いい天気ですね、寒いですねとか、話をするのだ。

 また、何かの本で、たしか戦後文学の椎名麟三の何かだったと思うが、「もう私、死にたくなっちゃったわよ」「あらあ、私もよ」というような会話が、やはり共同で使う井戸端のような所で、あっけらかんと為されていた場面を読んだことがある。

 共同で何かをする場所は、貴重な場所であったように思われる。

 生活上、(仕事場、勤務先でない生活・・の場)そこに行かなければならない共有空間。
 人と交われば、会話がある。それも毎日である。いちいち着飾って、行かない場所。着飾ったとしても、それが習慣であれば、だらしなくもならず、だらしなくなったとしても、それだけであるというような場所。

「死にたくなっちゃったわよ」「私もよ」そんな会話が、さりげなく、それも自然にできるような場所というのは、何か微笑ましく思える。

 それも、生活に欠かせない、生活のためにある場所でなのだ。

 そのような場所があった時間には、おそらく彼ら自身が、お互いにカウンセラーのような役割を果たしていたように思える。
 むろん「生活」、その基盤があった上のことで、だから全くそんな気もなしに、互いに互いをセラピーし合っていたような。