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第13話 死と愛について( i )

「愛と死」でなく、「死と愛」というのが、椎名さんらしいと思った。
 昭和二十三年「群像」九月号初出誌。

「最近、僕は友人── 荒本守也君── の死に会った。僕は、彼をどんなに深く愛していたであろう。それにもかかわらず、僕は彼の死を眼の前にしながら、僕はどうすることもできないのだった。そして、彼は死んだ。だが僕は、彼の屍体を忘れることができないのである。そこには、あるいいがたい超越的なものの暴虐の跡が歴然としていて、僕は何ものかへの極度の憤懣を感ずるのだった。彼は口を苦しげに大きくあけ、歯をむき出していた。

(※ ここから、いささか気持ち悪い描写がありますので、苦手な方は読まないで下さい)

 そこに見える歯ぐきは、色を失って白っぽい紫色になっていた。口の端からは、胃酸のために変色したコーヒー色の吐血が流れ出し、拭っても拭っても流れ出してくるのである。そして手術のために切り開かれた三十センチに及ぶ腹部の切り傷から、絶え間なく黄褐色の液体便があふれ出し、その臭気が死臭と入り交じって強く部屋を満たしていた。── これがストイックに身を持し、愛において誠実だった真摯なクリスチャンの死であった。そしてその彼の死から、僕は到底、彼の復活など信ずることができなかった。

 ぼくにとっては、たしかに死は、一回きりのものであり、そしてただそれだけであることが強く感じられた。人間は、たしかにそのあらゆる瞬間において、死にそして生きているのであろう。いえば人間は、最後の瞬間において死ぬのではなく、生のあらゆる瞬間において死が生を形成しているのであろう。
 しかしそれでもなお、僕は彼の死に対してどうすることもできなかったことを諦めることができないばかりでなく、どうしてもその自分を許すことができないのだ。」

「しかも僕が、キリストであれば、彼を死から救うことができたであろうか。キリストのごとく彼を愛していたならば、彼を死から救うことができたであろうか。
 キリストの如く彼を愛していたならば、『タリタ・クミ』と叫んで、死んだ女を立たせ、『ラザロよ、来たれ』と言って死者を歩ませることができたであろうか。
 そうなのだ。愛が、真の意味における愛ならば、それ以外にはあり得ないのだ。
 他の、いっさいの愛は虚妄である。

 なぜならば、愛とはいかなる不可能もそこにおいて可能となるが故に愛なのであり、そしてかかるものとしての能力であるからだ、全く愛は全的な自由なのだ。
 僕が彼を愛していたというのは、自己錯誤であり、そしてこの自己錯誤は、一つの問いを投げかけることによって、十分に自覚できたはずなのだった。── 本当に自分は、彼を愛していただろうか? という問いを。そして人間的な如何なる愛も、この問いに耐えることができるはずはないのである。」

 … 椎名さんは、共産党員として検挙された後、特高のむごい拷問を受けていた。
 そのとき、あと一発やられたら、自分は死ぬ、と思ったそうだ。その瞬間、(もう、白状しよう)という気になった、という。
 失神してしまったので、仲間を売り渡すような「白状」はしなかった。だが、そう思った時点で、自分は仲間を裏切った、という自責の念に駆られる。
 あれほど「愛していた」はずの仲間を。

 そんな体験も、この「死と愛について( i )」の最後の部分を、後押ししているように思える。
 ぼくには「実存」あるいは「実存主義」というものが、漠然とは分かっているつもりでありながら、ほんとうには分かっていない。

 だが、椎名さんという作家は、たしかな「実存主義作家」なんだと思う。サルトルが出はじめた頃、「深夜の酒宴」を書いていた椎名さんは、「サルトルの真似と思われてしまう。早く出版してほしい」と言ったようなことを、出版社に申し出た、という逸話もどこかで読んだ。

 自分の体験を基礎に、あるいは現実、今起こっていることを自分自身の体験として受け止める。そこから思考錯誤するように、とにかく考え、事象をみつめていく。
 それが「実存」の、ぼくのイメージなのだが。

 この「愛について」という本からは、男女の愛、恋愛にかぎらず、友愛、もっとおおきな愛、について椎名さんは取り組んでいることが、ぼくには通じてくる。
 おそらく、異性への愛も、同性への愛も、また「同志」のようなものへの愛も、発端、根っ子は同じなのだと思う。そうして椎名さんはやはり、頭のなかへ旅に出たのだと思う。ただ、足が、この地面から離れることだけは拒絶して。