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労働履歴

 K先生の紹介で、予備校のK塾でアルバイト。大学を辞めた後、大検から大学に行こうとする学生を相手に、彼らとコミュニケーションをとるのが主な仕事。ここで自分は一生働き、骨を埋めるのだと思った。すると、身体が人形みたいに固まって、うまく動けなくなり、1ヵ月ほどで辞めてしまった。

 やはり予備校、Yゼミナールの大検コースでアルバイト。私はここの「卒業生」だったので、自分で自分を売り込む形で入った。講師が教室に入る際、お辞儀をしてドアを開けるという、無意味な行為も仕事のうち。
 主に、自習室の番人をする。英語と国語なら、少しは教えることもできたが、やはり学生の話し相手がメイン。「臨床に興味ないか」と部長から。リンショウ? どういう意図があったのか知らないが、特にそそられることもなく。

 小学生相手の進学塾で、国語の講師のバイト。Yゼミで朝から働き、夕方からこの塾で働いた。二足のわらじは充実していたが、身体がおかしくなって、Yゼミを辞めると同時に辞めた。

 貯水槽の清掃。友達の紹介で始めた。マンションやビルの屋上などにある、貯水タンクに入って掃除をする仕事。水垢汚れが、専用の洗剤をつけたスコッチブライトでごしごしやると、みるみる綺麗になる。その気持ち良さが好きになった。親方と2人で、毎日現場を回った。

 親方との相性も良かった。その仕事の元請けの社長が、私のことを気に入ってくれて、社長の跡取りのような形で、その会社の正社員になった。
 だが、歓迎会の後、いたたまれない気持ちになってしまった。悪い人たちではなかったはずなのに、汚い、口ばかりの、偽善的な大人達の仲間になったような気がしたから。ネクタイは3日で外し、現場に戻って10年続けた。

 その現場に、たまに手伝いに来ていた別の社長が経営する会社で、トイレ・台所の詰まりを治すアルバイトもした。駅のトイレは、スリが、盗んだ財布を流すのが原因で、よく詰まるという。中華料理店などは、油が配管の中に固まって、よく詰まってしまう。
 それを、「カンツール」という特殊な機具を使い、水の通り道を文字通り貫通させる。

 この機具は、コードリールの形状をしていて、そのコードの部分が柔らかい螺旋状の金属でできている。スイッチを入れると、コードが震動し、それを手で伸ばしながら配管の中へどんどん押し進め、財布やら油の固まりを押し出すという仕方。財布などがその先端にうまく引っ掛かり、引き戻して取れる場合もある。

 その社長から、私は正社員になるものと勝手に思われていた。妻からの、「いつまでもバイトでどうするの」といった不安げな目線もあり、1ヵ月ほどで辞める。
 印刷工場で、正社員として。印刷といっても、紙へのそれではなく、電子板(電卓の中などに入っている、配線があちこちにハンダづけされている緑色の板)の、ハンダされてはならない箇所に「ピールコート」という印刷をしていく作業。3ヵ月ほどは続いたか。妙な宗教を熱心に信じる婦人社員が嫌だった。

 ガラス工場で、1ヵ月の短期夜間バイト。テレビ画面のガラスなどをダンボールに入れる作業。休憩中、中年男性が、顔を赤らめて詰所に入って来るのを、「酒飲んでんじゃねえよ」と誰かが笑って迎えていた。「夜は、偉い人もいないからな」と赤顔の中年男性。朝、仕事が終わると、そのまま仲間と飲みに行くという。
「やっとマトモな人と会えた」と私をじっと見て、マトモそうな若い先輩が言う。だが、その人は翌日から無断欠勤して、二度と会うことがなかった。
「ここならいつも募集してるし、お金に困ったらまたおいで」と、バイト最終日、誰かに言われる。

 スーパーマーケットの正社員、雑貨担当。「評判、ええね」と役職の人から誉められる。
「しっかり勉強しないと、スーパーの店員になっちゃうよ、って子どもは親に言われて育つんやで」とは、副店長の言葉。意味のない朝礼、コトナカレ主義の店長とうまく行かず、半年で退職。
 モノ書き目指しながらゴミ収集車の助手。「夢があるんですね。奥さんが賛成してるなら、いいと思います」と社長の息子さん。1、2ヵ月やった。

 自動車工場で期間従業員。住み込みの仕事。この時期、離婚した。ベルトコンベアに乗って続々と来るエンジンに、エアドライバーを使って部品を組み付けていく。身体が仕事を覚えれば、頭の中は自由だった。約1年で労働契約期間無事終了。
 ひきこもりをする人たちに、社会復帰させようとする塾でアルバイト。だが、なぜ社会復帰させなければならないのか、疑問を拭いきれず辞める。

 正社員として、鉄工所。火を扱うので、防護用のサングラスを掛け、顔焼け防止の手ぬぐいを顔の下半分に巻き、ヘルメットを被って作業をする。ほとんど学生運動期の中核派のイデタチ。
 夏、塩分補給のために、塩が皿に盛られて水飲み場に置いてあった。暑さ、肉体的なしんどさには耐えられたが、先輩に耐えられず、半年で退職。

 再び、さきほどの自動車工場へ。採用→期間終了、採用→期間終了を繰り返し、約10年続いた。
 自動車つながりで、自動車部品製造会社に派遣社員として労働。腰痛発生、いやな上司もあり、1年半で退職。
 郵便局で、夜間仕分け作業。配達される郵便物を、その地域地域が書かれたハコに入れていく。上司が誰かも知らされず、人間を人間と思わないような職場だった。4日で辞す。

 旅館の皿洗い、布団敷き、トイレ掃除等のパート。週3日、1日4時間程度。1泊、1人3万円もする旅館だった。 心身のリハビリするように働く。分かっていたが、月収少なく、辞す。4ヵ月ほど。
 老人介護施設に、派遣社員で。「あなたが仕事がよくできることが分かりました」「いい人が来てくれたと思っています」などとリーダー達に言われ、調子に乗って頑張り過ぎてしまった。楽しく、自分に合っていると実感したが。4ヵ月。
 病院の看護士助手に派遣。雑用。「アタリですね。そんなに忙しくないし、楽でしょ」と派遣会社の人。しかし続かず、3日で辞めた。

 ─── 生かされて来ました。