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TS語りがしたい

――TSとは。
トランスセクシャルの略称であり、いわゆる性転換である。
男から女に、女から男に。性別が逆転したことによる混乱や環境の変化を楽しむ作品ジャンルであり、最近では「お兄ちゃんはおしまい」がアニメ化され好評を博したのも記憶に新しい。

TSにおいて性転換の過程は多岐にわたる。
朝目が覚めたら女になっていた。薬を飲んだら女になってしまった。何かの切っ掛けに性別が変わる体質である。などなど。
以上の例は男→女だが、もちろん逆も存在する。しかし、おおよそTSという作品ジャンルは男が基準であることが多い。
これは推測だが、変身願望のある男性性を描くのならば美女に変えるのが望ましく、女性性ならば男装の麗人に近い形をとるのではないだろうか。その場合TSの形ではなく、男装させればいい。女装よりも美化されやすい分、読者にとって遥かに受け入れやすい筈だ。
話は逸れてしまったが、これから先のTSは基本的に男→女であると思っていただきたい。無論、筆者の好みだからだ。

さて、TSが何か分かったところでどういったところに魅力があるのか。読者は何を求めてTSを貪るのかを話していきたい。
基本的には先述した変身願望が根底にあることだろうと思う。
誰しも思ったことがある筈だ。もし自分が美女であれば、美男であればと。
メイクをしたってすっぴんが良い者には到底敵わない。整形は金が掛かるし、何より忌避感がある。素顔が美しくなればそれに越したことはないだろう。

そこで更に「もし自分が女だったのなら美人だっただろう」という思いも少なくない筈だ。現にFaceAppという写真に撮った対象の性別を変えるジョークアプリが一時期流行したように、現状への不満から並行世界での自分に思いを馳せることは珍しいことではない。

それに生存者バイアスにも関連することだが、男女ともに相手の性別の方が楽な筈だと思っている節がある。勿論、全員が全員そう思っているとは思わないが、どこかで今より暮らしやすくなるのではないかと思っているだろう。
私は男なのでその目線でしか語ることが出来ないが「女性の方が好意的に見られる」「社会的に優先される立場にある(救助や防護等)」と思っている。それについても性被害を受けやすい一面が間違いなくある為、女性が優遇されているとは思わない。ただ、男から見てこの部分がちょっと羨ましいというだけの話だ。
逆に男の方が良いこともある。化粧しなくてもいい、ムダ毛の処理についてとやかく言われない、比較的強く見られるなど。

難しく捉えないで頂きたいが、何が言いたいのかというと「隣の芝は青い上に自宅の芝はどうしようもなく枯れて見える」という話だ。
それも相まって、生まれ変わるのなら異性になりたいという声は少なくないのだろう。

つまり誰しも変身願望を持っているのだ。それが承認欲求に由来する物かはさておいて、誰もが魅力的な自分になることを夢見ている。
そんな我々にとって残酷な現実であり甘美な妄想として体験させてくれるのがTSである。

もし明日の朝、目が覚めて女になっていたらどうしよう。
朝の支度は今よりもずっと時間が掛かるだろうし、トイレ一つとっても今とは随分勝手が違うことだろう。
親や友人は今までと同じように接してくれるだろうか。女の子とエッチなことがしたいなんて話していた親友にとって、自分は女の子になってしまったのだ。
クラスメイトにとっても今とは扱いが変わるに違いない。陰気で卑屈な少年だったのなら、一発逆転カーストのトップに仲間入りできるかもしれない。
男に戻るなんて考えもせずに女社会の一員として過ごすうちに、気付けば女性的な思考が当たり前になって彼氏なんかも出来るかもしれない。
突然の生理に慌てることもきっとあるだろう。彼氏とセックスはするのだろうか。子供は出来て健康に育つのか。

これは平均的なTSラブコメのストーリーである。もちろん作品ごとの特色は存在するし、なによりラブコメである必要もない。アニメ化した作品で言えば「異世界美少女受肉おじさん」は幾らか以上の要素を扱いながらも、異世界ファンタジーというジャンルに落とし込んでいる。

最近になってやや日の目を浴びていると感じるようになった作品ジャンルだが、実は以前から人気ジャンルであり体感の流行としては異世界ファンタジーとそれほど大きくずれてはいない。
TS界の大御所「らんま1/2」が嚆矢として道を切り開き、男女の性別が入れ替わる展開も今となってはいくつも作品を思い浮かべることが出来るだろう。これもまた一種のTSである。

それはさておいて、TSというジャンルの特性上ラブコメが多い。これは自分と環境の変化を題材とするのが理由だが、変化の過程で恋愛感情へ遷移しやすいのだ。
散々好きなアニメについて語り合ったオタク友達、次の日には美少女になって人気者になったが今まで通り自分と接してくれる。これは正しく「オタクに優しいギャル」である。

加えて、昨今のラブコメで話題にあがることも多い「MPDG」を回避することが容易なのだ。
これは「マニックピクシードリームガール」の略称で、端的に表すと明るい小悪魔系女子だ。こう言うとそう悪い物には聞こえないが、ぶっきらぼうな言い方をすれば「演出上の駒に過ぎない、男を引き立たせる道具のような女」ということになる。

私がこの言葉を初めて耳にしたのは「からかい上手の高木さん」に関連した、キャラクターの創作論だ。
曰く、二人とも人物としての魅力を深堀せずに美少女に好かれているという情報だけで好感度を高めようとしている、といった話だった。
私はそれに同意しないが、その一方で主人公を引き立てるためにしか存在しないヒロインというのも少なくないのだと思った。

具体的な作品こそ出さないが、命を助けてもらったからと安易に体を委ねたり、伝説の魔獣が倒されたからと女性の形をとるなどして主人公に従僕する作品は多い。
これらはその立場から主人公の格を上げるのみで、どういった信念でどういった思想を持ちながら連帯するのかといった描写があまりない。

女性蔑視だなんだというつもりはないが、せっかくのヒロインをただの舞台装置として使うのは如何ともしがたい。何より主人公に共感できずヒロインが可愛く思えないのでは、よほどストーリーが面白くない限り作品としての魅力が格段に落ちる。

そこで、ヒーローでありヒロインでもあるTSが輝きを増すというわけだ。
そもそも作品の特性上、性別が変わったのなら必ず困惑する場面が訪れる。ここでどう思い、どう行動するかで描写が一つ生まれる。
そして、あらゆる物事が解決した先に、自分はどちらの性別で生きていくのかという選択がある。必ず、男である自分と女である自分を天秤にかけてこれまでの軌跡を辿るのだから、安易な舞台装置にはなりえない。

問題は親友キャラや幼馴染だが、これに関しては書き手がよほど下手でなければエピソードを挟むのは簡単だ。だって性別が変わっているのだから。
旧性時代の話と現在をつなげれば、簡単に深堀出来る。これを読んでいる貴方に恋人がいたとして「同性(異性)になったけど変わらず好き♡」とはならないだろう。少なからず困惑するはずだ。

それもあって一般的なラブコメで躓きやすい問題は容易に解消できることが分かったが、今度は反対に一般的なラブコメではおおよそ起きない問題がある。
それは精神的BLという言葉だ。TSにとって一番の障壁であって、避けては通れない道である。
TSは性転換を題材とする以上、どうしても同性愛の要素が生まれてしまう。性転換してから女を好きになっても男を好きになっても、内面と外面の差はあれど同性愛になるからだ。

実のところ、ここが苦手で読めない・読んでいない人も少なくないのだろうと思う。私は全くそんなことはなかったが。
これは私がやや腐り気味の姉に夥しいほどの英知を授かったからというのもあるだろう。さしずめオーディンに知識を与える泉の女神のようだが、そのせいかTSかそうでないかくらいに視野が狭まってしまった。

しかし物事は極めて単純だ。可愛ければ女で格好良ければ男である。誤解がないよう言っておくが、現実の性別とは完全に区別してほしい。フィクションの中ほど現実の人間は明確に分別できないし、それは可能性でしか描けない創作物の弊害でもある。

それにTS好きの多くは男の娘好きでもある。私もその例に漏れず幼少期から女装物を数えきれないほど読んできた。いきなりTSでは厳しいという人は、内面の変わらない女装・男装物から始めてみるのがいいだろう。
具体的な例を挙げると男装では「花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~」や「桜蘭高校ホスト部」が、女装は「女装してめんどくさい事になってるネクラとヤンキーの両片想い」「先輩はおとこのこ」が好きだ。

だがやはりTSといえば、変わってしまった身体に伴って変化していく心が一番の魅力であることは否定できない。今まで通り扱うことは出来ないが、かといって普通の女の子として扱うのも気恥ずかしい。そんな親友視点の心情も大変好ましい。
これもTSに限らず、あらゆるラブコメに共通する事柄だろう。今まで長年一緒にいた幼馴染と不意に接触してしまい、異性として意識するようになってしまった。成長の過程で筋肉質になる男子と丸みを帯びる女子。異なる性別であることを認識しながら、どう関わっていくのか。
恋愛マンガ好きなら、誰もが一度TSを通ってみてほしい。どこかで交差する瞬間が必ずある。

最後に、長々と書き連ねたが正直なところ知名度が足りていないだけで誰しも心の中にTS好きな自分を飼っているものだと強く思っている。
男の娘キャラが度々人気になるのもそうだが、アクションゲームなどで女性アバターを使う男性プレイヤーは基本的にこちら側の人間である。食わず嫌いせずに「お兄ちゃんはおしまい」を観るべきだ。

つまるところ言いたいのは誰しも変身願望を抱えていて、うまく発散する所が多くないということだ。
それを受け入れ昇華してくれるのがTSという偉大なジャンルである。
愛とは一様なものではなく、その変化でさえ尊ぶ物なのだとTSは教えてくれた。この駄文を最後まで読んでくれた貴方にも輝かしいTS生活が訪れることを心の底から祈っている。そして良ければどこか投稿サイトに投げてくれれば助かる命もあるだろう。

それでは、良いTSライフを。


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