雨(2)

 彼はその店の常連客らしく、店主のバーテンダーとカウンター越しに時々談笑していた。彼は客だというのに店主の話に耳を傾け、忖度ある相槌を打ち続けていた。相槌を打つばかりで実際に言葉を発することは少なく、返事の代わりとばかりに頻繁にグラスを持ち上げ酒を飲み続けていた。
 彼は一体何のためにこの店に訪れたのだろう?そう思うほど、傍目にはつまらなさそうに見えた。
 店主との会話も途切れ、一人に戻った時、すかさず彼に話しかけた。
「お酒、強いんですね」
 私に話しかけられたことがよほど想定外だったのか、私を見る彼の目は明らかに狼狽し、左右に激しく泳いでいた。その目は猫が猫じゃらしを必死になって追うそれとよく似ていた。私は思わず吹き出しそうになった。いや、吹き出していたのかもしれない。彼はその後すぐにひどくバツが悪そうに顔を赤らめた。
 正面から見ると、彼は若く見えた。三十代後半くらいだろう、と想像していたのだが、三十代前半か二十代後半くらいに見える。目元がまだ青年のようなつぶらさを微かに残していた。私より歳下かもしれない。
「さっきからよく飲まれてるな、と思って」
 私は動じず会話を進める。彼は警戒しながらも短く返事を返してくれた。
 きっかけは何だって良い。会話の内容も何だって良い。彼が果たして本当に酒に強いのか、はたまた弱いのか、そんなことは微塵も興味がない。束の間交わされる、白々しく、陳腐な会話。
 目的は果たされて、今私はここにいる。特段感想はない。どの男と寝ても、さして大きな違いはないからだ。
 そして必ず訪れる虚無感。後悔の念はないが、ただただ虚しくなるのだ。あの公園のど真ん中に独り立って、このどしゃ降りの雨にひたすら打たれている気分だ。
 自分は何故傘もささずにここに立っているのだろう?このままでは次の日にでも風邪を引いてしまうのに違いない。一歩歩き出して、屋根のある場所へ向かえば良いのに…。ところがそれができない。どうしてだろう?原因を探る気にもなれない。
 ベランダの隅で煙草の火を消す。この部屋は三階だったか四階だったか。公園めがけて吸い殻を指ではじいてみた。当然届くはずもなく、雨に打ちつけられるように力なくほぼ真下にあるマンションの生垣の中へと消えていった。
「帰るね」
 シャツを羽織り、スカートを履きながら起きているとも分からない男へ向かってつぶやいた。
 彼は私の言葉にきちんと反応して、スマートフォンを手探りで探し始めた。探しながら、
「今何時?」
と私に訊ねた。

つづく

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