マレーシアの独立と中堂五郎

 マレーシアの正式国名はマレーシア連邦である。そして今でも名目的ではあるがサルタンが存在している。マレーシアが独立したのは1963年(昭和38年)である。独立の中心人物はクダ王国のサルタンの息子のアブドル・ラーマンであった。
 太平洋戦争当時、日本はマレーに進出する前からマレーの独立を助けるために日本軍特務機関がマレーに潜入しクダ王国のアブドル・ラーマンと連絡を取っていたが、その時の特務機関の窓口が中堂五郎だった。
 日本軍がマレー半島に進軍すると英国軍はクダ王国の王子であるアブドル・ラーマンを連れて北部ん撤退していった。英国軍に囚われていたアブドル・ラーマンはある日大変驚いた。なぜなら、中堂五郎が英国軍の中にいる自分に会いに来たからだ。英国軍につかまれば間違いなく殺されるわけだが、それでも平然と面会に来た中堂の勇気に大変感銘したと言っている。
そして、独立に際しては英国から様々な圧迫を受けた際にも、中堂の勇気を思い出し独立の意思を貫いたと言っている。

 このアブドル・ラーマンの中堂への思いはその後も変わらなかったようだ。マレーシアではどうゆう訳か、首相がサッカー協会の会長を兼ねていた。そして、毎年ムルデカ大会という国際サッカー大会を開催し多くのアジアの強豪国招待がされていた。日本も参加していたが当時は弱く常に負け続けていたが、マレーシアが独立した1963年の第7回大会では3勝1敗1分けで準優勝となり、弾みをつけて東京オリンピックでは8強入りを果たすこととなった。

 しかし、この7回大会では実行委員会内では日本は負けてばかりいるので招待するのはもうやめようという声が圧倒的に多かったようだ。それが招待されたのはアブドル・ラーマン首相が「日本は一度決心したら必ずやり遂げる民族だ。私の顔に免じてもう一度だけ招待してほしい」と言って説得したとのことである。

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