橘花はMe262の模倣にあらず、されど戦力とは・・・
日本初のジェット機である橘花は形状が似ていることからドイツのMe262の模倣と誤解されていることが多いが、間違いなく日本の自主開発機である。
まず、確かにドイツは日本にMe262の図面とエンジンの実物を日本に送ってきたが途中で輸送していた潜水艦が撃沈され日本には届かなかった。それに最も重要なエンジンは出力がMe262の半分で全くの別物であった。
しかし乍ら、橘花は実用化されたとしても戦力になったかは甚だ疑問である。何故ならば橘花のエンジンの出力の2倍あるMe262でさえ戦力になったとは言い難いからである。Me262は最高時速は870km/hで欧米の飛行機より約200㎞/h速いがエンジンの急激な出力コントロールが出来ず運動性が極めて悪かった。これは初期のジェットエンジンの宿命でイギリスのミーティアも同様だった。特に離陸時は速度が遅く、離陸時を狙われて大きな被害を出した。また、航続距離は1050kmと短く実際の滞空時間は30分程度しかなく十分に戦えることはできなかった。さらにエンジンの耐久時間は実戦では25-30時間しかなく稼働可能な機体は多くは確保できなかった。
橘花の場合はMe262のエンジン出力の半分しかないので、最高時速は676㎞/hと欧米のプロペラの飛行機とほぼ一緒であった。また、航続距離は680kmとMe262より短く十分な滞空時間は得られなかっただろう。
また、運動性や機体の稼働に関しては試験飛行しかしていないので記録は残っていないが、当時の技術力や材料の入手状況から考えドイツより優れているとは考えにくい。したがって、実戦配備されたとしても戦力にはならなかったと考えられる。
しかし、初期のジェット機はすべて戦力にはなっていない。イギリスのミーティアに関しても真直にしか飛ばないドイツのV-1号にしか戦果はなかった。自力でジェット機を開発したことだけでも大きな功績である。
尚、このジェットエンジンを開発したのは戦後財界等で活躍した永野六兄弟の六番目の永野治である。