福沢諭吉が手塚治虫の祖父を騙す

 福沢諭吉は当初中津藩から長崎に留学していたが、当時中津藩主の息子も長崎に留学していた。学問の成果は当然のことながら福沢の方が優れており目障りということで藩主の息子のお付きの重臣から長崎から出ていくように言われてしまった。そこで福沢は大阪にあった緒方洪庵の適塾に行くことにした。
 適塾では学問の成果は上がり、生涯の友も得て充実した生活を送ったようである。そこまではいいのだが経済的にはかなり厳しい生活を送ったようである。オランダ語の翻訳等により糊口をしのいでいたが旨いものを食べるとか酒を飲むということは無縁の生活であったようだ。
 福沢は子供のころから酒好きで月代をそるのにむずかっていた時も酒を飲ませるから剃らせろと言うと喜んで剃らせたそうである。それも原因の一つだったのか、適塾の怠惰な学生から金を巻き上げて酒盛りをやることを計画した。
 その学生の名前は手塚という江戸の医者の息子で金があるので遊郭に通ったりして学問の方は今一つであった。福沢は手塚に生活を改め学問にもっと身を入れるよう説教をする。手塚も生活を改めると言い、遊郭に通ったら罰金を払うと約束した。そして、しばらくの間は手塚は生活を改め学問に精を出した。福沢は当てが外れた訳だが、そこで福沢は遊女からの手紙を偽造して手塚を誘い出すことを計画する。その計画は念が入っていて手塚宛とすると怪しまれると考えあえて「鉄川」と似た名前で出した。計画は大当たりで
手塚は遊郭にいそいそと出かけて行き福沢に罰金を巻き上げられ、福沢たちは罰金で酒盛りをしたようである。
 しかしながら、これは立派な犯罪になるようだ。友人で著名な弁護士のS氏によれば遊女からの手紙を偽造したことは私文書偽造にあたり、計画全体は詐欺罪にあたるそうである。
 この話は福沢自身が書いた「福翁自伝」に書いているが被害の手塚が何者なのかはわからなかった。後年手塚治虫の「陽だまりの樹」で自身の祖父が適塾で福沢に騙されたと書いていているのを読み被害の手塚が手塚治虫の祖父であることを知り非常に驚いた。


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