名前あり固定夢主について語りたい


巷で(?)どうやら固定夢主云々のポストが話題になっているらしい。悲しいかな。そんな読みた過ぎるポストを私は探し出す事が出来なかった。

それなので、ここで勝手に固定夢主についてガチャガチャ語ろうかなと。
私自身の勝手な考えをわーっと書いているだけなのであくまで一個人としての戯言だと思って読んでね。

固定夢主。ね。私は夢創作をするにあたって、ネームレスで話を書く事を心がけていた。それは前回のノートにも記載した通り、世界に発信するからには萌えを共有するべき。そういう思想が根底にあるから。誰彼かまわず見られる場所に自身の作品を置くなら、読み手に受け取り方の自由を与えるべきである。私はそう思っている。

ここまでの思想を大前提として固定夢主について語りたいが、私は書き手の思想が全てだと思っている。例えば夢主を設定や外見モリモリにしていても読み手に自己投影の自由を与えている。でも自分は夢主をゴリゴリに作り込む方が好きだし、萌えるし、書きやすいからそうするよ。そういった理由で固定夢主を作るなら何も問題ないと思う。
問題なのは自身の作品は読んでもらいたい。けれど読み手に自己投影の隙間を与えたくない。言葉を選ばずに言うとこれは自分とキャラの物語なので読む人はあくまで傍観者に徹してくださいね。こういった気概を持って固定夢主を作る書き手だと思う。

さらに暴言を重ねるようで申し訳ないが、そういった気持ちを持っている書き手は普段のポストを見ていてもわかりやすい。同担に対しての牽制が強すぎる。それなのに何故夢作品を投稿するのか?

カップルYouTuberよろしく自分達を応援してもらいたい。そういう思考が根底にあるのだな。と私は解釈してしまう。

なので、まとめると私は固定夢主は否定派ではない。書き手が読み手に受け取り方の自由を与えているのか、そうではないのか。それだけが重要だと感じている。

自分とキャラの話を上げる事は個人の自由だと思うしそれ自体の否定はしない。けれど、読み手としては寂しい気持ちに少なからずなるし、皆読むからにはそこに登場する『推し』が好きだから読むのであって、見知らぬ女性とのイチャイチャを見せられるのは楽しいものではないと思う。

ドキドキキュンキュンするのか、それともズキズキ嫌な気持ちになってしまうのか。それは書き手の意思が作品に含まれてしまってそれが読み手に伝わっていることもあるんじゃないのかな……。

自分の作品を他者への牽制やマウンティングに使うことがあるとしたらこんな悲しい事はないと思う。

はぁー。まとまらないなぁ。皆さんの意見も是非聞きたいです。

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