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母の指輪

母からルビーの指輪を貰った。
デザインは石が土台から突出しているのではなく、分厚い18金に埋め込まれた、平らでつるんとしたものだ。
品質が良い昭和生まれの指輪は、令和に付けても存在感がある。
金がずっしり詰まった重みと、時を経て生まれた重工な雰囲気を感じられるし、
何より角がどこにもなくて、指通りがとても気持ちが良い。
こんな心地よい指輪が他にあるだろうか。
これがロストテクノロジー、コスパ重視で失った小さな幸せなのかもしれない。

ルビーはわたしの誕生石である。
幼い頃、『20世紀こども百科』の誕生石のページを見ることが大好きだった。
というか、このページばかり見ていた。幼心にも宝石の輝きにはときめくものがあったらしい。
人間の感情のような、血液のような真っ赤なルビーはどの宝石よりも煌めいていて、しかもそれがわたしの誕生石だという。
いつか、大人になったらわたしも欲しいなと思っていた。

思春期を迎えた頃、母がこの指輪の存在を教えてくれた。
結婚前に買ったもので、対となるサファイアの指輪もあるとのこと。
サファイアは、母の誕生石だ。
あの時百科事典で見た本物を間近に、それも家で見られるなんて思ってもいなかった。
しかも手のひらに乗せてくれて
「この指輪が似合う年になったら、あなたにあげるから」
と言ってくれた温かなまなざし。
あの時の感動とときめきは、一生忘れないと思う。

昨年、30歳の誕生日を迎え、ついにその指輪をプレゼントしてくれた。
「そろそろ手に馴染む頃かな。お誕生日おめでとう。」
貰えて嬉しかった。心の底から嬉しかった。
でも、わたしがこの指輪を貰うには、まだまだ早いと思った。
正社員で真面目に働いているけれど、結婚もしていなければ、彼氏もいない。
婚活も恋活もしておらず、休日は趣味の弓道に明け暮れる日々。
(婚活は一時期必死に取り組んだが、結果が出ずやめた。)
一度は実家を出たけれど、一人で暮らすのはとても寂しくてすぐに戻ってきた。
もちろん家のことはするけれど、一人暮らしの頃に比べたら母に甘えているところがあるし、
弓道の審査や大会が控えているとサポートまでしてくれる。
母が同じ年の頃にはすでに兄とわたしの2人を出産していて、きちんと家庭を築いていたのに、
わたしはのうのうと実家で暮らし、趣味を満喫している。
母は「あなたの好きなように生きていいんだよ。」と言ってくれてはいるが
いつも心の片隅に後ろめたい気持ちを抱えている。

指輪は毎日付けて出勤している。
手元が視界に入るたびに、さりげなく光ってなんだか嬉しい。
会社で嫌なことがあっても、帰りの通勤電車が遅れて帰宅が遅くなっても
右手薬指に感じるずっしりとした重さがわたしを奮い立たせてくれる。

いつか、わたしも母に追いつきたい、と。

料理が上手で頭の回転が速く、おとぼけで優しい父を縁の下から持ち上げ、
とめどなく愛情を注いでくれる母のような女性になりたい。
結婚……は、相手がいないと成立しないから
自分ひとりでできる、最大限の努力を積み重ねていこうと思う。

気づけばアラサー。結婚・出産・育児とライフイベントが重なる年代を泳いでいる。
友人の中には3段階をすべて踏んだ人もたくさんいる。
いつの間にかこのままでいいのかな、この先後悔しないようにするにはどうしたら良いのかな、と思い悩む年頃になってしまった。
巷ではクォーターライフクライシスと言うらしい。
きっとこの先も悩んで、迷って、時には同士と慰め合って生きていくのだろう。

今よりずっと遠い未来が来たら、サファイアの指輪も渡すね、と母は言っていた。
その指輪が手元に来た時、わたしは何を思うのだろう。
「ああ、ここまでよく生きたな。よく頑張ったな。」
と思えるのだろうか、いや思うように生きていきたい。生きる。

今日もルビーの指輪を付けている。
母がくれた、わたしの誕生石だ。


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