見出し画像

アフリカゾウか、人間か

感傷的になる瞬間は、思いもよらずにおとずれる。

いちおう、人間も動物の括りに入るはずだが、私は嗅覚がほんとうに、バカである。

人間に生まれて、心底よかったと思う。

もしも、私が野生動物であるならば、成◯(◯中には任意の動物)となるまで生きながらえることはなかっただろう。

ドラマや小説で、「あ、冬のにおいだ」とか「もうすぐ雨の降るにおいがする」とかいうセリフが登場するが、共感できた試しはない。

もうすぐ雨が降る感じは、低気圧とともにやってくる頭痛で分かるし、冬が来る感じは、天気予報を見ていれば分かる。最低気温が1桁になれば、冬だ。

少し話は逸れてしまうものの、大学の講義で、「味覚障害がいかに辛いものかを体験しましょう」という時間が持たれたことがあった。

やたら長い名前のお茶を飲むと、口腔内が一時的に味覚障害のような状態になるという。

味覚障害を引き起こす茶と、スティックシュガーが全員に配られた。

まずは正常の状態で、味の確認をしてみる。

周りの級友たちは口々に「甘すぎる」と言っていたが、恐ろしいことに、私はいっさい感じなかったのだ。

甘味いぜんに、いっさいの味を。

教授はのんびりと「いま、味がしない人はやばいですから、病院に行きましょうね☺️」なんて言っているが、私は1人で涙目である。

擬似味覚障害になれば、余計に味がしなくなるかも、と思い、アホみたいに苦い茶を飲み下したあと、スティックシュガーを流してみた。

変わらなかった。

舌が強烈な苦味を捉えただけで、スティックシュガーはマジでなんの変哲もない、ただの“つぶつぶ”であった。

とりあえず、日常生活には支障をきたしていないので、この時起こったすべてに目を瞑って3ヶ月ほど過ごしている。

「アレルギー性鼻炎を患っていて、年中鼻詰まりに悩まされている」から、「匂いも、味も(※スティックシュガーに限る)感じない」ことにしている。

それゆえ、“懐かしいにおい”は、私の感傷へのトリガーとはならない。

私は半年に1.2回は感傷に浸れるような、感傷で手がふやけているタイプの人間であるのに、ならば、何に古い記憶を引っ張り出され、鼻をツーンとさせられているのか。

音楽である。

こう書くと、なんだかすごくむず痒い。恥ずかしい。

でも、確実にそうなのだ。

それも、自発的に好んで聴いたもの、というよりかは、街でふと耳にした程度のものであることが多い。

今日、友達とカラオケに行き、2人で『キセキ』を歌っていた。

3時間パックの終盤、「2人で歌える曲にしようよ!」と選ばれた『キセキ』。

最初は、順調に楽しくやっていたのだが、1回目の「ふたり 寄り添って ある〜いて」あたりで、突然、ブワッと感傷が押し寄せてきた。

出会って半年、プライベートで遊ぶのは3回目の友人を前に、声が上ずりそうになる。いけない。重すぎる。

私は2002年生まれなのだが、この曲とは、よく色んなところですれ違ってきた。

『キセキ』がリリースされた2008年、私は幼稚園の年長組だった。

私が通っていた幼稚園のお遊戯会は、幼児にしてはかなり凝った出し物だったと思う。

もちろん、先生方や保護者の多大なる協力が前提ではあるが、年長児は3つくらいのグループに分かれてそれぞれ演技をし、フィナーレでは全員で合唱する。

その年のお遊戯会では、1つの演目で『キセキ』が使われていた。

野球好きだった男友達が、その曲に合わせてダンスをする後ろ姿を、幕の内側で見ていた。

その中の1人の男の子は、野球がとても好きだったのに、何故か父親に野球をすることを反対されていた。100マス計算が得意な子だった。

バットもボールも持たずに、舞台で野球の“フリ”をする彼を見て、「思いっきりやれてよかったなぁ!」と勝手に思った。

自分の出ていない演目であったのに、鮮明に覚えているのは、これに感動したからだと思う。

そのとき、「キセキってええ曲やなぁ」と子どもながらに思ったことも覚えている。

それから、私は『キセキ』を知って、折に触れて、聴いては歌った。自分で好きな曲を聴くようになるまで、私の十八番は、この曲だった。

もう『キセキ』が十八番ではなくなった中学生、文化祭で、先生がサプライズでこの曲を演ってくれた。

とても盛り上がった。単純に楽しかった。

浪人生となり、100マス計算が得意な子と、予備校で再会した。

私は理系、彼は文系でクラスは違ったが、食堂で彼をよく見かけた。

彼は1浪で東京の大学に合格し、私はその後、さらに2年浪人した。

そして、大学生になって、3つ年下の同期と、カラオケに行った今日、めちゃくちゃ久しぶりに『キセキ』を歌った。

歌っていると、2008年から、これまでの自分が思い出された。

多くの出会いもあって、未だに胸が締めつけられるような訣れもあった。

これまで、私の最大の目標は“よい大学”に行くことであり、今生きている毎日は、目標のその先である。

丸々、全部が未知。

伏線回収してるみたいやなぁ〜〜と思っていたら、また声が上ずりかけた。

人間に生まれてきて、心底よかったと思う。

こんなふうに、じ〜んと心を温められるのだから。こんな日は、自分にも、遠くに住む家族にも、やさしくなれる気がする。

いや、こんな薄っぺらい内容を冗長に書けてしまうなんて。

アフリカゾウにでも生まれて、早めに猛獣に喰われていた方が、恥は晒さなかったのかもしれない。


いいなと思ったら応援しよう!