単純化本能による思い込みと偏見
人間には単純化本能があるのだと意識しなければ、間違った思い込みや偏見を生んでしまう。
複雑な情報を単純化することで、脳の情報処理は格段にスムーズになる。
例えば男女。
身体、心、性的指向などまで含めて考えると線を引くことは難しい。
でも単純に「男」と「女」に分類した方が頭の中で整理しやすくなる。
そして、社会が管理しやすくなる。
例えば病名。
異なる病気でも現れる症状が重複していたり、同じ病気でも、人によって違う症状が出たりする。
血液検査の〇〇が基準値以上か以下か、年齢が何歳以下か以上かなどでも病名が変わる。
私の父は入院後、3回病名が変わった。
本来は線を引くことが難しいものに対し、効率よく薬を処方する必要性や、効率よく患者の症状に対処していくためには単純化が必要になる。
例えば信号。
赤は危険(止まれ)、青は安全(進め)。
信号は事故が発生した場所、しやすい場所に多く設置されている。
元々は自分で左右を見て、車が来ないか、人が来ないかを確認して進んでいた。
多くの車や人を管理し、危険をわかりやすくして事故を減らすために信号ができた。
社会を回すために、人間がより複雑なものを理解していくために、単純化はとても重要だ。
でも、複雑な現実が先に存在し、後から分類やルールが生まれたことを忘れてはいけない。
怖いことは、この単純化された分類が正しいと思い込み、自らの判断や思考を止めてしまうことだ。
これは事実ではなく、人間が作った境界線であり、分類であると理解しないと、誤った思い込みや偏見が生まれる。
例えば、
あの人は女性だから男性を好きになるだろうという思い込み。
医者がこの病気だと診断したのだから、もう治らないだろうという思い込み。
信号が青だから特に左右の安全確認をしなくても大丈夫だという思い込み。
この思い込みは人間の思考を止め、時に偏見を生み、助かる可能性や、命を失うことにもつながる。
生まれた時から、分類やルールがあるので、ついその枠しか見えなくなってしまうが、本来は万物に分類線などなく、全てはグラデーションなのだ。
もしかすると、自分の本当の気持ちや感情も、単純化してしまい、社会の分類に合わせてしまっているかもしれない。
単純化された分類やルールは後からできたということを意識して、誤った思い込みや偏見を生まないように注意したい。