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ひとの罪をその身に負い捨てませり命を

私の大好きな讃美歌「丘の上の十字架」の一節です。
罪人としてイエスは処刑場の丘に自分の十字架を
担がされて登ってきました。もうひとりの罪人と
一緒でした。その人は極悪人として名の知れた大悪党
バラバでした。処刑担当の役人がひとりを恩赦で救う
ことができるが、どちらを許すのか民衆に尋ねると
民衆は口を揃えて「バラバを許せ」と言いました。

私は毒親のもとで育ち、高校生のときに逃げるように
アメリカに留学しました。物理的に距離があれば被害は
ないだろうと思ったのに、遠隔で毒親の影響に苛まれ
ました。帰国する前に厳冬のミシガンで死んでしまおうと
考える日々でした。

ある朝、スクールバスで隣に乗り合わせた知らない子から
聖書研究会に誘われました。恥ずかしながら、当時の私は
キリストもギリシャ神話も全然区別がつかないほど宗教は
無知でした。ホストファミリーは「思想を押し付けられるだけ」
と、半ば呆れていましたが、会場に連れて行ってくれました。
子供用の聖書を譲ってもらいましたが、当然 全部英語なんで
ちんぷんかんぷんでした。ただ、イエスがあなたのうちに
生きておられる、と言う文言がとても刺さり、自殺を思い留まり
一年余りの留学を終え、帰国して元の都立高校に復学しました。

虐待の日々、再びです。ああ、帰国しないで死んじゃうべきだった
と後悔していた頃、高校で知らない女生徒がやってきて、にこにこ
しながら私に「アメリカから帰ってきた○○さんですよね。良かったら
私と教会に行きませんか」と誘ってきました。
意識する前に私は頷いていました。
日本キリスト教団 霊南坂教会、プロテスタントの教会でした。
牧師は飯清先生。(いい きよし)
ミーハーな紹介をすると、百恵ちゃんと三浦友和さんの結婚式を
行った教会と牧師さんです。

そこに通って人々と知り合い、18才のクリスマスに洗礼を
受けました。洗礼を受けるには自分がどのように信仰をもち
確信を持ったのか、スピーチのような試験があります。
信仰告白なんちゃらと言う試験です。

来年末に還暦を迎える年齢になりました。
教籍は霊南坂に置いたままですが、毎週日曜礼拝に通うなんて
していません。聖書から学んだこと、それは道徳観を持って
生きると言うことだけです。自分がして欲しいように他人にして
生きる、隣人を愛せよ、こんな単純なことだけです。
聖書は難解な本で、枝葉末節にこだわると、変な新興宗教に
派生しやすいのです。

カトリックに関しては私は断じてキリスト教とは認めていません。
偶像を崇拝しちゃならんって書いてあるのにマリア像とか
拝んでるし、第一、マリアの神格化って聖書には無いんです。

私見ですが、宗教の違いで戦争になるのなら、宗教なんか
いらないって思ってます。

お化けや幽霊、神様だっていますよ。前世だって来世だって
ありますよ。科学がなんちゃらって反論する人、科学なんて
未熟なものしか信じられない方がおかしいですよ。
目に見えているものより、見えていないものの方が多いんです。

自分の人生は一回だから自分の好きなようにって言う人もいますが
自分の人生は他人を幸せにするために使うのですよ。

こういう人間として大切なエッセンスは怪談から学べます。
ファンキー・中村さんの「不安奇異アワー」と
「Ghost Contents」で、楽しみながら人として成長したいですね。

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