砂の城〜書くことについて考えてみた〜
広島ドラゴンフライズの寺嶋良選手の影響で始めたnote。
主に自分の体験談や思ったことを書き、自己満足ながら記事も増えていっていました。
こんな私の文章でも読んでいてくれた友達がいて、その友達から聞いて気付きました…。
書いた記事が全部消えている!!
なんてこったい!
絵にすると、こんな感じ↓
マガジンは残ってるとホッとしたのも束の間…中身が0になっている!!
まるで砂浜に作った砂の城が、一瞬にして波にさらわれたような感じです。
自分で削除した覚えもないし、有料記事にもしていません。
運営に問い合わせてはいますが…。
まぁ積み上げてきたものが一瞬で崩れ去るということは、人生でも起こり得ることなので😂半ば諦めモードです。
そこで、せっかくなので『書く』ということについて、ちょっと考えてみることにしました。
書くということは、形に残るということ。でも、その形に残したもの自体が消えたらどうする?
そう考えたら、
書くことって、JAZZのセッションみたい
と思いました。
例えば今回のように書いた記事が消えてしまって、また同じ題材で文章を書くとします。
でも、同じ文章はもう書けない。
その文章を書いた時の気持ちはその時だけのものであるし、取り巻く環境も微妙に違うからです。
それは、その時だけのバンドメンバーで出てくるアドリブのようで、同じ演奏は二度と聴けないJAZZセッションみたいだなと思いました。
また同じ題材で書いたら、今度はどんな文章になるのか?
気が向いたら書いてみようと思います。気が向いたら😅
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