”売るため”のハンドメイド
ハンドメイドが”売るもの”になったのは今から約10年ちょっと前。
ハンドメイドをネット販売できるサイトができたからだ。そこからハンドメイドは”楽しむもの”から”売るもの”になっていった。
最初は私自身、たくさんの方と商品についてお話しをしたり、売り買いすることに喜びを感じていたと思う。でもその感情は、ほどなく消失することとなる。
それはなぜか?
今回はその辺を書いていく。
|ハンドメイドは売るもの
まず言っておきたいのは、ハンドメイドは元来”売るもの”ではなかった。すくなくとも私が幼少の頃は。
それが変化し始め、やがては主婦の起業手段として発展、認知されるようになり、今やハンドメイド市場は血の海と化している。
もう私が知っているハンドメイドではなくなり、作家と呼ばれる人々は2000万人以上いるという。その中で自分の商品をどう売るか…?彼、彼女らの目的は作ることではなく、売ることが絶対条件なのだ。
|アイデンティティの消滅
ハンドメイドを作る目的が売ることになった瞬間、血の海から抜け出し、なにがなんでも自分が注目を浴びなければ!!と、半ば狂ったように自己主張に明け暮れる、自己顕示欲や承認欲求などに振り回される人で溢れかえっているのが現状である。
自己主張や利己的な考えをもとに行動する人間が増え、調和を重んじていたはずの日本の文化でさえ壊れかけているように思う。
売ることのためなら、他人が苦しもうが関係ない。
目の前に奪えるものがあるなら躊躇なく奪うこと。それはもはや正当化され、そうして他人から盗んだものに自店のラベルをつけて販売するのである。
( これを書いているだけで情けなく、私が大事にしたい手作りの在り方を汚されている気がして涙が出る。)
安易に人の表現を盗み、それを自分の表現として世に知らしめる行為は、盗まれた原作者のアイデンティティまでも崩壊させる行為であり、その罪は重い。
それでも…
現代の社会ではそういった盗まれたアイデンティティが真実を隠されたまま本来ではない形となって買われていってしまう。
|原石の扱い方
盗まれた自己表現(真似・盗作)が、盗まれる前…、つまり原作者の元で大事に育てられていたころは、その表現はまだ輝きを放つ前の原石のような存在であったと思う。
その原石は盗むことに長けている輩に発見され奪われることで、新たな作者の元、ギラギラとした輝きを放つ商品へと変貌してしまう。
そして、やがてはマーケティング手法によりパッケージ化され大量に買われていくのだが、、、それは本来の輝きでも形でもないのである。
もし盗まれていなかったら、、、?
どんな形、どんな色、そしてそこにはどんな言葉が添えられていたのだろうか。
ジブリに登場する鉱石のように、
奪われた原石は原石のまま、あえて磨かず、外からそっと眺めている方が一番綺麗に輝いているのかもしれない。
だから、、、
そういった原石を誰であれ掘り起こし、磨くということは、たとえ原作者であっても時間のかかる作業になることは間違いない。
原作者はこの骨の折れる作業に時間をかけ、重ねてきた自分の感覚をもとに本来の輝きを消すことなく慎重に仕上げていくだろう。
一方、”売ること”だけが目的の作者はどうかというと、、、
本来の輝きに気付くことなく”売れるもの”へと早々と加工し金銭に変えようとするだろう。
そこに本来の輝きは微塵もないが、誰にも知られることはない。
|自分が望むもの
誰かと同じが安心と感じやすい私達にとって、
みんなと同じもの、資本や権力により主張・推奨されているものには強い訴求力があり、これらを回避し心から望んでいるものに出会うためには少々コツが必要であると思う。
そのコツとは、自分を知ること。これしかない。
ものごとの指標はいつも自分で決める。
世間には世間の考え方があり、他人は他人の考え方がある。これを読んでくれているあなたにも、あなたの考え方があるはずだ。
強く主張された世の中の情報にただ流されるのではなく、一旦立ち止まって自分のフィルターを通し考えてみてほしい。
そうすることで、昨今失われつつある健全な調和する文化を取り戻せるのではないだろうか。
奪うことからは何も生まれない。分け合い助け合うことでしか、本来人類は生きられないのだから。
おわり。
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