劣化
さて、醜形恐怖について陥るまでと偉そうに初めに語ったが、私が醜形恐怖に陥るまではそれはそれは長い時間は掛からなかったのかはそこはわからない。だが、ミリ単位で顔が変わり、そして周りの人の扱いが昔より優しくなると言うことを知っているのは私だけではないはずである。
小中高とブスと言われてきた人生だが、そこについて悩まなかった。いや、悩まないとは嘘であるがその事について囚われる日々がなかった昔を思い出すと、なんだかすごく心の中がギュとなる。
私がこのように悩むようになったのは、大学に入り容姿が良い友人と比較的関わる事が多くなってきたからという環境要因も大きい。そして、容姿が良い人は性格が良いと言われている事が多いが決してそんな事はないと大学時代に思い知った。
最初にできた友人をAとする。Aは、学科内でも凄く容姿が良いと評判で、また家柄もよく明るいモデルみたいな女性であった。私はそんなAと話せる事が嬉しく、次第に一緒にいる時間が増えた。そのうちAと関わる人とも話すようになり、内気な私はAを通して、話せるひとが益々増えてとても感謝していた。Bという人を先に紹介していきたい。
Bは、Aより凄く可愛いと思った。今思うと、あれは一目惚れに近い感覚にとても強い。小さくて、細くて髪の毛がサラサラで、芸能人でいうと宮崎あおいにとても似ていた。Twitterを通して話すようになり、そのうち同じ学科であるという事が発覚したので、学科内の交流を通して話すようになってきた。
私は会うたびに可愛いとBに伝えていたが、Bから伝えられる言葉は、怪物という言葉であった。凄い怪物みたいな醜い顔をしていると笑いながら言われた。その時、私は真剣に怒って傷ついたという事を言わなければならなかったが、自分より容姿が良い人に言われてるから、
ああ、私は怪物みたいな醜い顔をしているという評価を笑いながら飲み込んだ。飲み込むうちに、私は自分の事を怪物みたいな醜い顔をしているという自己評価を下すようになった。