『言語化することの気持ち良さ』【noteに記事を書いて気づいたこと】

1 はじめに
 記事を何回か書いてみて、そろそろ振り返ってみようと思ったので、気づいたことを書く。自分のために書いているが、誰かの参考になれば幸いだ。

2 言語化することの気持ちよさ
 私は、今まで主にアニメや映画の感想や見所を記事にしてきた。書いた記事たちは、その時自分の頭の中で面白いと思ったことを書いた記事である。最初は、『頭の中で論理展開がはっきり見えるぐらい考えたから、すぐ書けるだろう。』と思っていた。しかし、書いてみると何度もフリックする手が止まる。頭の中では、大バズりの傑作な記事が書けると思っていたのに、なかなかうまくいかない。頭の中の思考とは所詮はアバウトで浅い思考だと気付かされた。
 しかし、同時に、ここからが面白いと思った。記事にすることで、頭の中では描けなかった細かい部分を改めて考え、もう一度深いところまで考えてみる。まるでパズルゲームで遊んでいるかのように言葉のピースを集めて、はめてを繰り返す。そして、衝動的に感動したり、面白いと思ったりした自分に対して、『何がどう面白かったんだ!』と問い詰め、脳内会議が始まる。そうして、試行錯誤の末にできた記事を見る。そうすると、そこには私だけの私だけにしか表現できなかったものがあった。当然、文章はまだまだ稚拙で、イキったものや、恥ずかしくなるようなものもある。しかし、そこには確かに自分が築いた思考のピラミッドが立っていて、達成感とは違う、自分という存在が確立しているようなものを感じ、とても気持ちよかった。

3 最後に
 思考のピラミッドは一度書いたらそれで完成というわけではない。記事を書けば書くほど、脳内のピラミッドがよりしっかりと固まっていき、形も良くなっていく。それがまたとても楽しい。この気付きについても、ある程度の試行錯誤を重ねたら言語化したいと思う。

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