期待と信頼の違い|愛情を素直に受け取る
期待と信頼の違いってなんだろう、と思って言葉の定義を調べてみた。
「期待」……あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。
「信頼」……信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。
また、信頼の類義語に「信用」があると思ったので、これも調べてみた。
「信用」……1 確かなものと信じて受け入れること。
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。
一般に、期待するのはよくないと言われる。実際、期待すると傷つくことも多いし、そういいたくなる気持ちはすごくよくわかる。
しかし、「どうせあなたもいなくなるんでしょ」「どうせ信じてくれないんでしょ」と投げやりになるのも絶対に違うだろう。
「好きだよ」と言われたときに「そんなこと言っているけど嘘なんでしょ」なんて思うのはもはや相手を侮辱することに近い。
相手が自分にプラスの感情を持ってくれて、それを表現してくれているときに、どれだけそれを受け止められるか、いわゆる「愛情を素直に受け取れるか」というのは大事な人間関係のスキルだと思う。
じゃあ、期待しないけど、相手の愛情を受け取る、嬉しく思うというのはどういうことなのか、と考えてみて、それが相手を信頼することなのではないか、という考えに至った。
言葉の意味から考えるに、相手の過去の行動などから「信用」し、「信頼」するというのが、相手の愛情を受け取る、ということになるだろう。
こうやって言葉の定義を見てみると、誰かの愛情を受けて期待する、というのがいかに的外れな動きかを感じる。
期待というのは「望みをかけて待ち受ける」ことなんだから、期待したら不安になるのも当たり前だし、なんなら、「好きならこうしてくれるでしょ」と勝手に望みが実現することを待って不安になる人も多い。
そうじゃなくて、相手の愛情を「確かなものとして受け入れること」。そして、好きでいてくれていることを信じて、頼ること。
「好きなんだからこうしてくれるだろう」と頼みもせずに相手の行動に期待することは全く別ものだ。
相手の気持ちを信じるのは信頼だが、その気持ちからどんな行動が生まれるかは私たちにはわからないし、とある行動がないからといって気持ちがないと断定するのもおかしい話なのだ。
でもついつい、私たちは「普通好きなんだったらこうするでしょ」という自分の基準をもとに怒ったり失望したりする。
今回、期待と信頼について考えてみて、己がいかに傲慢な発想で生きているかを感じた。
自分の持つ感情とそれに付随する行動なんて、私個人のものでしかない。それを基準に推し量れるものはほとんどない。
相手に期待せず、信頼するというのは、相手のありのままを見るということだ。それがいかに難しいことか。
どれだげ不安定な発想のもとで人間関係が成り立っているのかを知って、自分で自分が恐ろしくなったのは言うまでもない。
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