#2 人生の余白を求めて
新卒から勤めた仕事を辞め、デンマークへ行くことにしました。
そのことについて書こうと思います
ここ数年の、余白を無視した働き方に抱いていた鬱憤が爆発しました。
欠員が絶えない職場でその穴埋めをし続け、望んで就いた仕事に嫌気を抱いていることを許せなくなってしまいました。
「停滞感を覚えたときは、下降中」
そう思い努力してきましたが、気づけば熱意がなくなっていました。
今まで一生懸命10年以上、働いてきた。
少しくらい休んでもいいじゃない。
そう思った私は、初めてキャリアに空白期間を作ることにしました。
たくさん悩んで、相談して、自分で下した決断でした。
「デンマークで本場のフォルケホイスコーレを体験する」
1.フォルケホイスコーレを知る
ある時、近所の図書館で『地域おこし協力隊の強化書―12人の奮闘から学ぶ』という本を手に取りました。
当時地域おこし協力隊の方々に興味があったので、新刊コーナーにこの本を見つけ、すぐ借りました。
大人が人生の学びなおしをする学校がデンマークにあること。
その学校が日本にあったらいいと考える人がいて、実際にプログラムを開いていることを知りました。
「おもしろそう」という軽い気持ちで、北海道東川町へ行くことにしました。
2.なんで自分だけ?
2022年12月、School for Life Compathさんが開催する七泊八日のワーケーションコース(現ショートコース)に参加しました。
最終日の前日、1年間を綴じるというテーマのもと、今年や今までで印象に残っている年などを色で表現する活動を行いました。
私はそのころ仕事がうまくいっておらず、暗い色を選びました。
そして、印象に残っている年で、自分が適応障害で病気休暇をとり、その期間中に母親が乳がんで亡くなった年を選んでしまいました。
あまり手先が器用でない私は次第に遅れ、仲間の明るい色とつい比較し、自己嫌悪に陥ってしまいました。
「なんで自分だけこんなに苦しいことが続くんだ。仕事も休んだし、母親も亡くなった。周りは順調に人生を歩んでいるのに! なんで私ばっかり失うんだ!」
暗い気持ちが抑えられなくなり、その場にいられなくなりました。
仲間が寄り添おうとしてくれたのですが、その優しさがかえって苦しくなり、それさえも受け入れられない自分が恥ずかしくて仕方ありませんでした。
結局そのまま仲間の輪に戻れないまま、帰りました。
3.現実に戻って
東川で色々ありつつも、職場に行くと気持ちが切り替わって働くことができました。
しかし、「このままでいいのかな」という思いは結局消えないままでした。
そんな中知らされたのは、定年の延長でした。
段階的に定年を65歳に引き上げ
私たちの時代には確実に70歳定年
あと30年以上、この仕事だけをする。
それに対する結論はすぐ出ました。
「嫌だ!!!」
この仕事だけを今までの人生の倍もしたくない。
もっといろんな世界が見たい。
何より、10年以上一生懸命頑張ってきた自分を労りたい。
その思いが強くなってたくさん相談をしました。
その中で、背中を押してほしくて相談する自分に気づきました。
自分の本心に気づいてからは、フォルケホイスコーレへ行くためにキャリアを手放すことを自然なことと受け入れられました。
4.余白に向かう勇気
先月のコースで私は東川に戻りました。
正直2度と戻らないと思っていました。
ですが、本場のフォルケに行った人に話を聞きたいという思いと、当時できなかった最後までいたいという思いが強く、参加を決意しました。
結果、最後までいることができ、素敵な人にまた出会え、仲間とも対話を通して考えることができました。
私一人の力ではあの場所に戻れませんでした。
当時の仲間が勇気をくれたと、確信しています。
出来事は正直かなりの黒歴史ですが、その分素敵な人に出会えたかけがえのない経験だったと、2年近く経ってようやくかみしめられるようになりました。
3月末までは今自分ができることを仕事でして、4月からの充電期間を経て、8月から人生の余白を求めて本格的に行動していきたいと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。
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