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しこう

子供と大人では、見えている世界はまるでちがう。
我々大人は、抽象化された世界に生きている。
この世界を、目に見える形ある物よりも、概念やアイデアに重きを置いて、それに基づき社会を形成している。
例えば、時間やお金、制度や法律など、コレらの概念を軸とし、この複雑に入り組んだ現代社会を、自分達が生き易い様に構築しているのだ。
コレに対して、子供達はこの世界をどう捉えているのだろうか?

先日の甥っ子の話だ。
『明日起っきしたらバァバの所に行こう!』
寝る前に義妹は甥っ子に話したらしい。
甥っ子は楽しみにしながら夢の世界に羽ばたいた。

翌朝起きた甥っ子は驚愕した…!

なんと、バァバの所に行く前に朝食を食べなければなら無いからである。

その日の朝食を食べさせるのは大変苦労したそうだ。

お解りいただけるだろうか?
義妹、もっと広げれば大人達は、起きる→『朝ごはんを食べる→歯を磨く→着替える』→出掛ける。
などと言う、我々大きな子供からすれば当たり前のルーティンも、子供達からすれば、起きる→お出掛けになる訳だ。

子供たちの世界は、まだ抽象化されていない。
手に触れられる物、与えられた情報が全てだ。

例えば、おもちゃ、動物、自然、家族などがその代表例だろうか?
3歳までの子供たちは、目にした物をそのまま写真のように覚える。

そして、その大量の情報は、3歳から6歳にかけて、映像の記憶と、情報の記憶をを分類する。
コレらのバラバラのデータを分類する事は、彼らにとってどれだけのストレスになるだろうか?

当然の事ながらこのストレスは、彼らが知恵熱を出したり、癇癪を起こしたりする原因の一つになるかもしれない。
我々は、この時期に子供たちを見守り、理解を示すことが大切なのではなかろうか?


我々がが抽象的な世界に生きる一方で、子供たちは現実的な世界に生きています。
ある意味、生々しい世界を生けている彼らに対し、私達がでける事はなんだろうか?

彼等の世界を覗く。


コレに尽きるのでは無かろうか?
当然の事ながら、これは両者の間に深刻な摩擦を引き起こすこともある。
それは自分達の世界を壊す事なのだから。
しかし我々は、自分自身が抽象的な世界で生きていることを理解し、子供たちが生きる世界を共有し、理解する事が必要なのでは無いだろうか?

子供たちが成長するにつれて、彼らの世界観は変化していくが、彼らが幸せに成長するためには、我々が過程を理解することが大切だ。

子供達目線で見える世界で世界を見れば、自分の人生を否定する事になりかねない。
何故ならそれは、今までの積み重ねを再構築する事になるのだから…
だが、考え方を是非改めて欲しい。

その入り口は、『自分の価値観を変える。』
では無く、『自分の価値観を作り直す。』事なのだから。

この2択を迫られた時に、どちらが楽かを考えれば、答は必然とわかるだろう。

何故なら我々は、『この方が楽だろう』と言う、抽象化された概念の中で生きているのだから。

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