見出し画像

こそだて

昨今の育児書の多様性は凄まじく、『怒らない子育て』や『褒める子育て』など、激動の昭和を生き抜いてきたスパルタスポ根リゲイン世代からしてみれば、それはそれはぬるま湯教育と形容したい気持ちはよぉ〜くわかる。
しかしながら最新脳科学的な検知や、実際に昨今の育児方により成長した子どもたちの学歴面、年収面などを比較され、昭和世代は2000年代を生き抜くヒヨッコ達にマウントを取られ続けているのが現状だ。

中でもよく見かける単語として『非認知能力』と言うものがある。
非認知能力とは、数値化し難い能力の事で、例えば学力やIQなど、視覚的に確認でき、且つ周りと比べ易い能力の事を『認知能力』と言い、逆に数値化し辛く、容易に他人と比べ難い『自己管理能力』『社会性』『協調性』『創造性』『自己肯定感』などを指し、社会活動には不可欠だが、数値化するのは極めて困難な能力の事を言う


その中でも特に注目されているのが「自己肯定感」である。
自己肯定感とは、自分自身を受け入れ、自分を大切にすることができる能力で、これは、子どもたちが将来の人生において、自分自身を信じ、自信を持って行動するために必要な能力であるが、謙虚がモットーの日本人に…
特に昭和世代人間に置いては、些か耳にフィルターを掛けやすい言葉だろう。

何を確そうこの私、自分自身には全く自信が無い。
考えてみれば、怒られ続けた幼少期。
否定され続けた成年期。
そんな成長期を過ごしていれば、誇れるものなど何も無いと感じている大人…
いや、大きな子供が出来ていて不思議では無い。

そんなクソ野郎に息子が出来た。
なら、その息子にはどう育って欲しいかと考える。

せめて己の存在を否定する人間には育てたく無い。


コレに尽きる。

自分自身の価値観を疑うことは、時に自己肯定感を揺るがすことになり、おそらく、一つのミスや、数多くの経験から、その様な場面に出会すだろう。
しかし、今自分にできることは、まず自分自身を受け入れる事でしか無い。

そして、自分自身が成長し、自信を持って行動できるようになったら、それが周りの人々にも影響を与えることができる。
まずは我が子をどれだけ肯定出来るかが鍵を握るのではなかろうか?


最後に、私は自己肯定感など無くこの歳まで成長して来た。
しかし、自己肯定感を育て上げた我が子の事を想像して欲しい。
恐らく、我々の価値観では無い、それでも素晴らしい人間に育つのではないかろうか?

しかし、子どもたちが自分自身を受け入れ、自信を持って行動できるようになるまでは、手本となる親が変わらなければ意味がない。
そしてそれは、とても楽し大きな成果となるだろう。
その訓練として私自身が、今後も自分自身を受け入れ、自己肯定感を育てることを続けていける様になればと切に願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?