3世紀~5世紀頃 崇神の古代豪族軍~大和朝廷の成立まで その1
ヒメミコ、ヒメノミコトの系譜 <姫巫女の系譜 その2>
神に仕え 神からの託宣を伝える、
比売命=ヒメミコ 倭からの外交使者の発音を、宮廷の魏人が聞いてヒと、ミコが聞こえてそのまま「卑弥呼」と書き綴ったのでは?
伊勢ノ麻績君 (*)(アヅミノキミ)・オミノキミ。崇神帝に出仕。物部ノ大水口、倭迹迹日百襲媛と同じ夢を見、大物主神・倭大国魂神の祭主を大田田根子、市磯長尾市に任ずるように奏上した。<天武期に麻績王という人物が因幡国に流罪にされたという。子孫か、所縁あって名乗るか。><天ノ日鷲の系譜の人物なんじゃないでしょうか。>
<宗教儀礼の整備>
倭大国魂神祭祀=磯城・尾張
物部ノ 大 水口 宿禰 (*)穂積・タ ミコ。物部ノ伊香賀色雄の息(出雲ノ出石心大臣の息とも)。饒速日命の子孫(六世孫)。垂仁帝に出仕。大物主神、倭大国魂神の神託を聴く。天照大神を伊勢国渡遇宮に移す。<穂積臣の祖。孫の矢田稲吉が松浦郡を支配。>
[渟名城稚 媛 命] (*)ヌナキワカヒメ。垂仁天皇の命で倭大国魂神祭祀。崇神天皇の娘。母は尾張大海媛。
「親魏 倭王」とは誰をさすか・・・
三輪大物主祭祀=淡路
[倭迹迹日百襲 媛 命] (*)夜麻登 登 母母曾 毘売命・ヤマト トイ モモソ ヒメノ ミコト。孝霊天皇の娘。母は淡路ノ倭国香媛。異母兄弟に「孝元天皇」。大神神社宮司に大田田禰子を任命。武埴安彦命の反乱を予言。<夜麻登=ヤマト=倭=和につながるなら、母母曾とはなんでしょう。モモソ=モモノベ=モノノベにむりやりこじつけてみる(笑。><大田田根子が河内美努邑と縁があるとすれば、モノノベヒメも縁があるとみて、「美努=美登」とこじつければ、ヤマト ミト モノノベヒメノミコトの出来上がり。奈良まきむくの箸墓周辺の古墳ではなく、八尾市の志紀などで発見される低地古墳が、実はもっとも初期の(あわわわ。だったりして。>
大ノ 田田 根子 (*)(磯城)・三輪・大田田禰子・意富多々泥古・オオノタタネコ。スサノオ系。大物主の子孫。三輪阿ノ田賀田須の息(娘?)。母は鴨氏(陶津耳娘活玉依)。河内美努邑(八尾のそばの弥刀?)の豪族。祟り(国難)がひどいため、穂積(物部)大水口宿禰らの推薦により、崇神天皇の命で三輪祭祀。物部伊香色雄を神班物者に任命。息に大鴨積命。<鴨、諏訪、宗像氏と同祖。意富=尊称、多々=名、泥古=神官という意味?。「多々」=「台与」とむりやりこじつけてみる(笑。><稲荷山鉄剣の「多」、太ノ安麿の「太」、「タ」と読むのでは。>
天照大神祭祀(伊勢神宮)=紀伊・丹波
[豊鍬入 媛 命] (*)(荒河)・豊鍬入姫命・トヨスキイリヒメ。崇神天皇の娘。母は荒河戸畔の娘・遠津年魚眼眼妙媛。笠縫邑(かさぬいのむら)に遷し祭祀を行う。
[倭ノ 媛 命] (*)(旦波)・ヤマトノヒメ。垂仁天皇の娘。兄に景行天皇。母は丹波道主王(彦湯産隅王か?)の娘・日葉酢媛(ヒバスヒメ)命。豊鍬入日売命の跡職を継承。
弥生時代からあった銅鐸は、古墳からは出土しない。銅鏡を崇拝する信仰に変化します。
~大和朝廷の成立と変遷~
御肇國天皇(ミマキイリヒコ)崇神天皇→ (イクメイリヒコ)垂仁天皇→
「孝元天皇の息・武埴安彦命の反乱。出雲ノ振根の反乱」
物部大王
(イニエ)「崇神天皇」
五十瓊ノ 命 (*)(物部)・御真木入日子・印恵ノ命・御間城入彦 五十瓊殖天皇・ミマキイリヒコ イニエノ スメラミコト・「崇神天皇」。開化天皇の息。母は伊迦賀色許売命。室は(物部)大彦王の娘・御真津比売命。<五十瓊家は若狭の軍事と、石上神宮の筆頭のようです。事代主の娘の五十鈴姫の家領を相続したということでしょうか。>
▽彦 太忍ノ信 命 (*)(物部)・比古布都押之信命・彦経津押ノ真命・ヒコフツオシノマコト。開化天皇の息。大彦命と異母兄弟。母は物部(穂積臣)内色許男(物部ノ大綜麻杵・オホヘソキの娘とも)の娘・伊賀迦色許売命・伊賀色謎命。開化天皇と再婚したため、崇神天皇と異父兄弟。『日本書紀』では息に屋主忍男武雄心命。孫に武内宿禰。<膳臣(カシワデ)の祖。>
▽波豆羅 和気 (*)建豊・(葛城)・武歯頬命・武豊葉列別命・ハツラワケ。開化天皇の息。母は葛城垂水宿禰の娘。丹波経営に係わる。<「武」タケがつく人物です、ひさびさです。><道守臣、忍海部造(大和忍海郡)、御名部造、稲羽忍海部、丹波之竹野別(丹波竹野郡)、依網之阿毘古(摂津住吉郡大羅我孫子)の祖。>
▽彦 湯産隅 命 (*)(旦波)・比古由牟須美命・ヒコユムスミ・彦由産隅・(元祖・旦波道主王か?)。開化天皇の息。母は丹波大県主由碁理の娘・竹野比売。丹波経営に係わる。息に(山背)大筒木垂根王、讃岐垂根王。<天津湯彦から久々の湯。><彦坐王が丹波を攻める意味は?息子が山代之大筒木と名乗る意味は。>
四道将軍=「崇神天皇・垂仁天皇」の代に各地に派遣された大将。
↑①五十狭芹 彦 (*)吉備津彦・(五百狭)・イサセリビコ・大吉備津日子命・吉備津彦命・上道臣。孝霊天皇の皇子。「四道将軍」のひとり。山陽道を平定。武埴安彦命討伐の別働隊。のち建沼河別命とともに出雲振根を討伐する。<吉備氏の祖。「モモタロウ伝説」のモデル。>
▽雅武 彦 命 (*)吉備津彦・ワカタケヒコ・若日子建吉備津日子命・(笠)下道臣。吉備津彦命の異母弟。南海道・四国、讃岐に遠征。
▽犬飼ノ 健 (*)イヌカイノタケル。吉備津彦命の将。鬼ノ城温羅を討伐。<「モモタロウ伝説」のモデル。犬>
▽楽々ノ森 彦 (*)佐佐・ササノモリヒコ。吉備津彦命の将。鬼ノ城温羅を討伐。<「モモタロウ伝説」のモデル。猿>
▽留玉ノ 臣 (*)トメタマノオミ。吉備津彦命の将。鬼ノ城温羅を討伐。<「モモタロウ伝説」のモデル。雉>
↓②彦 坐王 (*)気長・日子坐王・(彦狭王)・ヒコ イマスキミ・ヒコザオウ。開化天皇の息。母は和邇(和珥)氏・意祁都比売(オキツヒメ)命。春日建国勝戸売(かすがのたけくにかつとめ)の娘(沙本之大闇見戸売・さほのおおくらみとめ)婿。崇神天皇の異母兄弟。「四道将軍」のひとり。崇神天皇の命で丹波・山陰道を平定。
<室に息長水依比売・息に旦波比古(丹波彦)多多須美知能宇斯王(主王命・ウシノミコト)、水穂之真若王(近淡海国、安ノ直・ヤスノアタイの祖)、神大根王(カムノオオネ・本巣国造・三野前国造の祖)。>
<室に遠祁都比売(オキツヒメ)・息に山代之大筒木(山背ノ綴喜)真若王(マワカノキミ)、比古意須王(ヒコオスノキミ)、伊理泥王(イリネキミ)>
↑③大 彦 命 (*)(物部・阿倍)・大毘古命・オオビコ。孝元天皇の息。兄弟に開化天皇。甥に彦坐王。「四道将軍」のひとり。甥の崇神天皇の命で北陸・高志道を平定。息に武渟川別(タケヌナカワワケ・阿倍氏の祖)。比古伊那許士別命(ヒコイナコジワケ)。
▽彦 国葺 命 (*)(息長)・和邇・ヒコクニブク・ヒコクニフキ。孝昭天皇系・天足彦国押人の子孫。稚押彦(彦姥津命)の息。大彦命とともに武埴安彦命を討伐。垂仁天皇から五大夫①に任命される。兄に伊富都久命。弟に小篠命。彦坐王は甥。息に建耶須禰命、大口納命、彦忍人命(武射国造の祖)、八千宿禰命(吉備穴国造。安那氏の祖)<和邇氏の祖。>
④▽建ノ沼河 別 命 (*)(物部・阿倍)・武渟川別命・タヌカワケ・タケヌマカワベツ。大彦命の息。「四道将軍」のひとり。東海道を平定。のち吉備津彦とともに出雲振根を討伐する。垂仁天皇から五大夫②に任命される。弟に比古伊那許士別命(ヒコイナコジワケ)。<阿倍氏の祖。「別」(ワケ)は、古事記の最初では「別天津神」=コトアマツシンと呼ぶので、それにならうと、タケヌマカワ(コト)のミコトと呼ぶべきなのでしょうか。>
▼彦 稲腰 別 命 (*)(物部)・比古伊那許士別命・ヒコイナジワケ・イナコシワケ・彦背立大稲腰別。大彦命の息。<膳ノ臣氏の祖。安曇氏と縁を結んだのでしょうか。>
▼磐鹿六雁ノ命 (*)(物部)。大彦命の息。<高橋氏の祖。>
▽物部ノ 建 膽心 (*)建胆心大禰命・建膽心大祢命・大禰・タケイココロ。饒速日命の子孫。伊香我色雄の息。崇神天皇の家臣。弟に多辨宿祢命、安毛建美命、大新河命、十千根命、建新河命、物部大賣布連・意冨賣布命、氣都和希命。跡職は十千根命。
▽物部ノ 多辨 (*)多弁宿禰命・宿禰。饒速日命の子孫。伊香我色雄の息。兄に物部ノ建膽心。崇神天皇の家臣。<宇治部連、交野連の祖。>
▽物部ノ 安毛 建 三 (*)安毛建美命。饒速日命の子孫。伊香我色雄の息。兄に物部ノ建膽心。崇神天皇の家臣。<六人部連の祖。>
▽大木 別 垂根 命 (*)物部・穂積。饒速日命の子孫。建忍山宿禰(穂積忍山宿禰)の息。妹(弟橘媛)婿に倭建ノ命。息に穂積ノ真津。<息長宿禰王と言葉の発音の印象が似ている気がします。>
▽倭ノ 小登与 (*)乎縫命の息。息に建稲種命。
▽尾張ノ 淡夜 別 (*)弟彦命の息。息に乎止輿命。
▽大倭ノ 長尾市 (*)市磯・大倭・直・宿禰。垂仁天皇の命で倭大国魂神の祭祀。<大倭直の祖。>
▽紀ノ 宇遅 彦 命 (*)大名草彦命の息。<「遅」の字を持つ系譜。>
▽三輪ノ 胸形徳善 (*)(磯城)。吾田片隅命の息。息に宗形赤胡。
<崇神期の国造(地方豪族、地方の王)>
阿蘇ノ 速瓶 玉 命 (*)九州の豪族。神八井耳命の子孫。(肥後国)火の阿蘇国造。
火ノ 遅男江 命 (*)九州の豪族。神八井耳命の子孫。志貴多奈彦命の息。(肥前・肥後国)火国造。<「遅」の字を持つ系譜。>
↓⇒出雲ノ 宇迦都久怒 命 (*)出雲ノ鵜濡渟・うかつくぬ。阿多(振根)命の跡職を継承。山陰の豪族。天穂日の子孫。崇神の代に出雲国造。振根の弟・甘美韓日狭の息。大和朝廷に神宝を差し出し臣従。振根の弟殺害を密告。息に野見宿祢・「襲髄命」。<都久怒=スクネと読むか? ウガヤフキアエズに関連する名、宇迦か。>
石見ノ 大 屋古 命 (*)紀。紀ノ蔭佐奈朝の息。紀伊国造分家。崇神の代に石見国造。
吉備中縣ノ 明石 彦 (*)山陽の豪族。神祝命の子孫。崇神の代に備中後月県主。
波多ノ 天韓襲 命 (*)四国の豪族。崇神の代に土佐幡多の波多国造。
科野ノ 建 五百 建 命 (*)中山道の豪族。神八井耳命の子孫。崇神の代に信濃国造。
久比岐ノ 御矛 命 (*)大伴・大倭。北陸の豪族。椎根津彦の子孫。崇神の代に越後頚城国造。
高志深江ノ 素都乃奈美留 命 (*)北陸の豪族。道君の一門。崇神の代に越後国の深江国造。
上毛野ノ 彦 狭嶋 命 (*)関東の豪族。豊城入彦の息。崇神の代に上野国造。
知々夫ノ 知知夫 彦 命 (*)関東の豪族。八意思金命の子孫。崇神の代に武蔵秩父の知々夫国造。
建 借間 命 (*)建 鹿島命・タケ カシマノミコト。建御雷之男神の子孫。関東の茨城行方の豪族。崇神の代に夜尺斯・夜筑斯を討伐する。
<崇神の代・反乱者>
鬼ノ 城温羅 (*)百済皇子。山陽道の吉備の豪族。製鉄の神。崇神の代に吉備津彦により討伐される。<天ノ日矛の後裔か。>
熊襲ノ 打猴 (*)不知火・土蜘蛛。九州の火ノ国の豪族。崇神の代に健緒組(肥君の祖)により討伐される
熊襲ノ 頸猴 (*)不知火・土蜘蛛。九州の火ノ国の豪族。崇神の代に健緒組(肥君の祖)により討伐される
佐伯ノ 夜尺斯 (*)国栖・土蜘蛛。夜刀神を信仰。関東の常陸の茨城行方の豪族。崇神の代に建借間命(建鹿島命・タケカシマノミコト)に討伐される。
佐伯ノ 夜筑斯 (*)国栖・土蜘蛛。夜刀神を信仰。関東の常陸の茨城行方の豪族。崇神の代に建借間命(建鹿島命・タケカシマノミコト)に討伐される。
越ノ 八掬脛 (*)高志・夜都賀波岐・ヤツカハギ。・土蜘蛛。崇神の代に越の国の豪族。<脛=「宿禰」に通じる言葉でしょうか。>
(山陰地方・出雲)
⇔出雲ノ 阿多 (*)出雲ノ振根。毛呂須命の息。謀反した飯入彦を誅殺。大和朝廷の大王・崇神の命をうけた吉備津彦に討伐される。<朝原氏の祖とも。><阿多と振根で親子とも。二世代か。>
▽出雲ノ 伊幣根 (*)飯入彦。毛呂須命の息。親大和朝廷派。兄に殺害される。
▽出雲ノ 韓日狭 (*)甘美日狭命。毛呂須命の息。親大和朝廷派。息に宇迦都久怒(野見宿祢)。
多遅摩ノ 母呂須玖 (*)(天ノ)・但馬・毛呂宿。「天ノ日矛」の息。母は多遅摩前津見姫。外祖父に多遅摩俣尾。息に多遅摩斐泥。
蘇那曷叱智 (*)任那国からの使者。
武埴安彦王滅亡後の所領分配。
関東に有力分家=豊木入日子命・(荒河)豊城入彦命。崇神天皇の息。
<荒河戸畔の娘・遠津年魚眼眼妙媛の関係からも、関東の勢力との婚姻での結びつきが考えられます。>
旦波、彦湯産隅王の勢力衰退? 北近畿に彦坐王一門の勢力拡大。
諸豪族に土地を配分。この統一へ向けての爆発力は、
戦国時代の鉄砲による統一の促進のように、鉄器の製造法や鉱山開発に技術革新があって、量産体制が整い、
武装の変化による統一戦の促進などがあったのでしょうか。
<崇神・四道将軍の遠征>
彦坐王は旦波の陸耳御笠(王)を討伐(彦湯産隅勢力一掃?)。
「四道将軍制」 戦国時代の織田家のような方面軍制による統一戦。
軍功をあげた豪族(王族)には征服領の分配。地方方面軍の強化。
歴史は繰り返されるものです。畿内から各地に軍を派遣した場合、効率の良い形が踏襲されるはずです。
「神武東征」と「壬申の乱」が似てるといわれますが、拠点や街道が重複するなら軍の動かし方は一緒なはずです。
ただ地名とルートが似るだけで虚構 というのなら、
足利尊氏が建武政権から離反して「竹之下の合戦」への経緯と、
徳川家康が豊臣政権から離反して「関ケ原の合戦」にいたる経緯も似てるといえば似ている。
源ノ頼朝などは、先祖の源ノ義家の「奥州征伐」の故事を、わざわざ踏襲して、
自分の政権の正統性を主張していますが、これも、虚構だというのですか?
タイミングさえあえば、同じ日本列島なのだから、何度でも同じような事がおこるわけで、
縄文、9000年前からの列島人の営み、弥生の積み重ねがあるのです。「卑弥呼」から歴史が始まったみたいな今の「日本史」は間違ってます。
1500年前の伝承、ウソばかりじゃないはずです。
物部・阿倍大王
(イリヒコ)「垂仁天皇」
伊久米 伊理 毘古 (*)伊佐知ノ命・「垂仁天皇」・イクメ イリヒコ。崇神天皇の息。母は大彦王の娘・御間城媛。室に丹波道主王の娘・日葉酢媛(ヒバスヒメ)命。彦坐王の息、息長・沙本毘古王の反乱を鎮圧。兄弟に八坂入彦命。
▽八坂入 彦 命 (*)ヤサカイリヒコ。崇神天皇の息。母は尾張連の娘。娘に弟媛、八尺之入媛(景行の后)。<常陸国風土記に登場する黒坂命は関東に進出する時代と坂の名を持つ人物としては、八坂入彦に相当しそうな感じ(妄想。>
▽豊木入 日子 命 (*)(荒河)・豊城入彦命。崇神天皇の息。母は荒河戸畔の娘・遠津年魚眼眼妙媛。垂仁天皇の異母兄。東国に派遣され治政にあたる。息に大荒彦。<上毛野君、下毛野君の祖。><近江高島の大荒彦神社周辺は出身地でしょうか。毛野の大荒田別は神宮皇后の武将として活躍した人物か。のち近江佐々木氏が神仰しているようです。秦ノ河勝とも関連をもつようです。>
▼彦 狭嶋大荒 彦 (*)(上毛野)。関東の王・豊木(豊城)入彦命の息。景行天皇から東山道15国都督を命じられる。孫に御諸別王。<孝霊天皇の息に伊予に派遣された彦狭嶋ノ命あり。大和に残された遺領(屋敷)を継承するか?。>
▽中臣ノ 大 鹿嶋 (*)中臣。垂仁天皇から五大夫③に任命される。
▽物部ノ 十千 根 (*)(物部・穂積)・大夫・連・大連・物部ノ十市根命・トオチネ。饒速日命の子孫。伊香我色雄の息。垂仁天皇から五大夫④に任命される。出雲に神器譲渡の使者として派遣される。五十瓊敷入彦命の跡を受け石上神宮を管理。息に物部活日連・伊久比足尼命、止志奈連、片堅石連、金弓連、印岐美連。石上神社管理は息の胆咋が継承。
▽大伴ノ 武 日 (*)大伴・(紀)・健日。豊日の息。弟に大伴ノ乎多氏。垂仁天皇から五大夫⑤に任命される。景行天皇の将。倭建命に従い蝦夷征伐。息に武以。
▽吉備ノ 武 彦 (*)景行天皇の将。大伴ノ武日とともに倭建命に従い蝦夷征伐。
▽和邇ノ 大 口納 命 (*)彦国葺命の息。息に難波根子・武振熊命、彦汝命、(額田国造)真侶古命。
▽和邇ノ 建 耶須禰 命 (*)彦国葺命の息。息に八千宿禰。<吉備穴国造の祖。>
▽和邇ノ 彦 忍人 命 (*)彦国葺命の息。武社国造。
▽八綱田 (*)倭日向武火向彦・和日向建日向彦。彦座王の息子・沙穂彦王を討伐する。後裔に毛野氏。
(山陰地方・出雲)
↑⇒出雲ノ 宇迦都久怒 命 (*)出雲ノ鵜濡渟・うかつくぬ。阿多(振根)命の跡職を継承。山陰の豪族。天穂日の子孫。崇神の代に出雲国造。振根の弟・甘美韓日狭の息。大和朝廷に神宝を差し出し臣従。振根の弟殺害を密告。息に野見宿祢・「襲髄命」。<都久怒(ツクネ)=スクネと読むか? ウガヤフキアエズに関連する名、宇迦か。><野見宿祢と同一人物か、それとも親子二世代か。>
▽野見* (*)出雲ノ・襲髄命(カネスネノミコト)・弩美宿禰・土師臣。祖は天ノ穂日。出雲ノ日狭の息。出雲の勇士。垂仁天皇の前で当麻蹴速との相撲対決に勝利。皇后・日葉酢媛命への殉死を禁じ埴輪で追悼する。息に岐比佐都美。<宇迦都久怒が、宇迦ノ宿根の意味ならば、息が野見ノ宿祢と呼ばれる事に通じるものがあります。>
多遅摩ノ 斐泥 (*)(天ノ)・但馬・日根・稲。天ノ日矛の後裔。多遅摩ノ母呂須玖の息。息に比那良岐。
垂仁の七別(七王) 彦坐王の息・「沙本毘古王の謀反」 別=コトと呼ぶとするならば。皇室の命(ミコト)と傍流の別(ミコト)で階級分けが試みられたということでしょうか。
鐸石ノ 別 (*)(沼帶別?)<三枝之別(加賀)、稲木之別(尾張)、三野之別(尾張)、高巣鹿之別(三河)、山辺之別(大和)、阿太之別(大和宇陀)、牟礼之別(摂津)、吉備之石无別・磐梨別(備前)の祖。>
息速ノ 別 (*)伊許婆夜和氣・池速別。 <沙本穴太部之別(大和)の祖。>
落ノ 別 (*)於知別・祖別。<遅の名前に通じる別でしょうか。><許呂母之別(三河・三川之衣君)の祖。>
五十日足彦ノ 別 (*)<五十<五百>狭に通じる別でしょうか。><山公(和泉)、石田君(山城)の祖。>
石衝ノ 別 (*)磐撞別・伊波都久和希・イワツク。母は山背大国不遅の娘・綺戸辺。妹に両道入姫命。妹婿に倭建命。近江高島郡、猿田彦の故地を領する。<三尾君(近江国高島郡)の祖。>
石城ノ 別 (*)磐城別・伊波智和希・イワチ。石衝別の息。<羽咋君(羽咋国造)、國羽咋郡(能登)の祖。>
武伊賀都ノ 別 (*)(比自支和気?)<伊賀国造の祖。>
▽物部ノ 大 新河 命 (*)越智・大新川・オオニイカワ・大連。饒速日命の子孫。伊香我色雄の息。垂仁天皇の家臣。十千根命の兄。<越智家の祖。>
▽物部ノ 建 新川 命 (*)タケニイカワ。饒速日命の子孫。垂仁天皇の家臣。<倭志紀縣主の祖。>
▽物部ノ 大 咩布 命 (*)オオメフ。饒速日命の子孫。垂仁天皇の家臣。<若湯坐連の祖。>
↓▼物部ノ胆咋 (*)連・伊久比足尼命・活日・いくひ。饒速日命の子孫。十千根命の息。垂仁天皇の家臣。息に物部伊居太宿禰・伊己止足尼、物部伊居太彦・伊己止比古、物部筑紫連・竺志連、物部武子連・竹古連、物部椋垣連・久良加岐連。
▼物部ノ 武 諸隅 (*)連。崇神天皇・垂仁天皇の家臣。饒速日命の子孫。出雲に神器譲渡の使者として派遣される。<矢田部造の祖。>
▽穂積ノ真津 (*)穂積臣・臣。大倭国山辺郡穂積邑の豪族。大木別垂根命の息。熊野神に稲束を奉納し穂積姓を与えられた。
▽倭ノ 志理都 彦 (*)海部。建稲種命の息。息に川上眞稚命。
▽尾張ノ 乎止輿 (*)淡夜別命の息。息(養子?)に建稲種命。
▽尾張ノ 日女命 (*)
▽尾張ノ 玉勝山代 根古 (*)<根古=ネギ?>
▽尾張ノ 若都保 (*)
▽尾張ノ 置部與曾 (*)
▽尾張ノ 彦 與曾 (*)
▽三輪ノ 宗形赤胡 (*)(磯城)。胸形徳善の息。
<垂仁の代・反乱者>
<九州の土蜘蛛> 討伐に当たった豊木入日子命の息が大荒彦、子孫が神功皇后に従い荒田別と呼ばれる。
熊襲ノ大山田女 (*)賢女・サカシメ。九州肥の佐嘉郡の豪族。土蜘蛛・熊襲の女王。大荒田に従う。
熊襲ノ狭山田女 (*)賢女。九州肥の佐嘉(栄)郡の豪族。土蜘蛛・熊襲の女王。大荒田に従う。埴輪を創り祭る祭祀を奨励。<埴輪の件は出雲土師氏にも通じる伝承です。>
熊襲ノ與止日女 (*)世田姫・ヨドヒメ。山幸彦の妻・豊玉媛の子孫。九州肥の佐嘉郡河上の豪族。配下に「鰐」氏族を従える。<神功皇后の妹とも伝承される。>
<関東の土蜘蛛>
山ノ佐伯 (*)都知久母・夜都賀波岐。関東の豪族。茨城国巣。大臣の黒坂命に討伐される。
野ノ佐伯 (*)都知久母・夜都賀波岐。関東の豪族。茨城国巣。大臣の黒坂命に討伐される。
(大加羅国)
都怒我阿羅斯等 (*)大伽耶・意富加羅・于斯岐阿利叱智于岐(ウシキアリシチカンキ)・つぬがあらしと。大加羅国の王。垂仁天皇期に渡来。3年間滞在する。後帰還し崇神天皇の御所・御間城(みまき)を国名とする。
蘇那曷叱知 (*)大伽耶の重臣。任那国からの使者。崇神天皇期に渡来。垂仁天皇期に帰国。新羅国に贈答品を奪取される。
関東に有力分家=豊木入日子命・(荒河)豊城入彦命。崇神天皇の息。
北近畿に彦坐王系の勢力拡大。
大王家一門の支配領拡大・有力分家の出現。
彦坐王の息・沙本毘古王の謀反
のちに娘婿・倭建ノ命の彦坐王勢力の継承(乗っ取り?)。
四道将軍・彦坐王の家系(嫡流?) *関連人物
四道将軍・彦坐王(日子坐王)の系譜 *関連人物
↓②彦 坐王 (*)(息長)・日子坐王・(彦狭王)。開化天皇の息(崇神天皇の弟)。母は和邇(和珥)氏・意祁都比売(オキツヒメ)命。春日建国勝戸売(かすがのたけくにかつとめ)の娘(沙本之大闇見戸売・さほのおおくらみとめ)婿。陸耳御笠を討伐し丹波・山陰道を平定。息に旦波比古(丹波彦)多多須美知能宇斯王(主王命・ウシノミコト)、水穂之真若王(近淡海国、安ノ直・ヤスノアタイの祖)、神大根王(カムノオオネ・本巣国造・三野前国造の祖)。<息に山代之大筒木(山背ノ綴喜)・真若王(マワカノキミ)、比古意須王(ヒコオスノキミ)、伊理泥王(イリネキミ)>
*大々杼ノ 名黒 (*)杭俣・河俣。河内の豪族。崇神天皇の命で祖神・楯之御前社を河内喜連に建立。南は多治比、北は浪速、東は味原を支配。<武御雷男の子孫「大々杼家」。のちに継体が都を置く河内樟葉あたりの豪族?。各家がオオトの発音に知ってる漢字で当て字して記録したので、音は似てるけど、漢字の名が一致しないということでしょうか。>
(春日・息長氏) 垂仁天皇皇位簒奪の謀反を計画。<歴史の失われた家系、沙本=大和国の郷の旧地名>
↓沙本 毘古 王 (*)息長・沙本彦王・狭穂彦王・サホヒコ。四道将軍・彦坐王の息。母は春日建国勝戸売(かすがのたけくにかつとめ)の娘(沙本之大闇見戸売・さほのおおくらみとめ)。妹婿に垂仁天皇。妹の沙本毘売と「垂仁天皇」に対し謀反を計画。<日下部・甲斐国造の祖。>
沙本 毘売 (*)息長・狭穂姫命・佐波遅比売命。四道将軍・彦坐王の息。母は春日建国勝戸売(かすがのたけくにかつとめ)の娘(沙本之大闇見戸売・さほのおおくらみとめ)。夫の垂仁天皇に対して謀反。
袁邪本王 (*)息長・意富沙本王・オザホノキミ。四道将軍・彦坐王の息。母は春日建国勝戸売(かすがのたけくにかつとめ)の娘(沙本之大闇見戸売・さほのおおくらみとめ)。妹婿に垂仁天皇。近江愛知郡の豪族。<葛野別、蚊野別の祖。><兄の謀反に連座するか?>
室 毘古王 (*)息長・牟呂彦王。四道将軍・彦坐王の息。母は春日建国勝戸売(かすがのたけくにかつとめ)の娘(沙本之大闇見戸売・さほのおおくらみとめ)。妹婿に垂仁天皇。<若狭耳別の祖。若狭国のミミ浜の王><兄の謀反に連座するか?>
<クーデターを起せるほどの朝廷に中心にいたということ、のちに継体が大和に都を置く、磐余の玉穂周辺の豪族?>
四道将軍・彦坐王の旦波(丹波・丹後)の家系 *関連人物
*陸耳御笠 (*)玖賀耳之御笠・クガミミノオウケ。土蜘蛛族。丹波大江山の豪族。崇神天皇の代に彦坐王に敗北。
(丹波息長氏) 近江御上息長・国忍富命の外孫。(彦湯産隅王(ヒコユムスミ)の息の一族とも)
*先代 丹波国造(元祖の丹波道主王?彦湯産隅王か?) 丹波国造を討伐して丹波に入植?
多多 須美知能 宇斯王 (*)オオ スミチノ ウシオウ・旦波比古(丹波彦)・「(2代目?)丹波道主王」。四道将軍・彦坐王の息。母は国忍富命の娘(「息長」水依比売)。室は丹波河上摩須郎女(丹後熊野郡川上郷の媛)。娘婿に垂仁天皇。大足彦命(景行天皇)の外祖父。息に朝廷別王(穂別氏の祖)。<「丹波道主王」も娘の婚姻関係から1・2世代前の別人物になるような気がします。><多多須美知 能(オオスミチ ノ)と読めば、淀川沿いの島に大隈の地名が・・。>
▽朝廷 別 王 (*)穂別・ミカドノワケキミ。四道将軍・彦坐王の息・宇斯王の息。母は丹波河上摩須郎女。三河穂別国国造家。日下部を率いる。<成務天皇期に穂別国造・美己止直(ミコトノアタイ)の妹婿に、物部十市根大連の息・物部胆咋宿禰あり。><息長迦邇米雷・稚筒城王と同一人物か?>
<丹波から三河へ、(配流?) 沙本毘古王の謀反に関連?>
四道将軍・彦坐王の山背(山城)の家系 *関連人物
*先代 真若王 <磯城ノ真稚彦=真若王の初代か。五十(五百)狭城入彦の息も品陀真若王。のちに景行の息・彦人大兄が「真若王」継承か。>
*先代 大筒木(山背ノ綴喜) <大筒木垂根王の娘は垂仁天皇の妃。>
前2豪族の跡職をなにかの縁で継承する家系。
(山背・息長氏) 袁祁都(沖津?・綴喜?) 山代之大筒君(オオオツキミ)、真若王(マワカノキミ)と別人格とした場合。
山代之 大筒木 真若 王 (*)息長・(山背ノ綴喜)・オオツツキ。四道将軍・彦坐王の息。母は袁祁都比売命(オキツヒメ?)。同母弟の伊理泥王の娘(丹波之 阿治佐波毘売・アジサワヒメ)婿。息に息長稚筒王・迦邇米雷王。<山代之大筒君(オオオツキミ)でひとり、真若王(マワカノキミ)とは別人格と分別するべきなのでしょうか。><近江の本拠を残しつつ山城、丹波に勢力を持つ嫡流?。稚筒王・迦邇米雷の父は山代之大筒木(山背ノ綴喜)王、その父は彦座王。その父はヤマトネコ(開化天皇)。><のちに継体が都を置く山城筒木あたりの豪族?>
▽息長 稚筒 王 (*)息長・(朱智)・「迦邇米雷ノ王」・カニメイカヅチノキミ。山背ノ大筒木の息。丹波の豪族・遠津臣の娘(高材比売)婿。息に近江安を継承した息長宿禰王。<タケミカズチの大々杼家と、この人の代にもどこかで縁を結んだのではないでしょうか?それで迦邇米雷ノ王なのかと。><宿禰王は息長帯比売(神功皇后)の父。><神功皇后の武将に「雷大臣」という人物がいるらしいです。中臣か物部にも雷という武将がいますが、一門ならばこの人。が有力ではないでしょうか。><「迦邇米雷ノ王」・カニメイカヅチ=茨城に遠征した天羽槌雄神「天羽雷ノ命」・アメノハヅチノオとも、名がすごく似てます・・。>
<丹波・山城から近江へ、息子・宿禰王は近江安家を相続(乗っ取り?)。沙本毘古王の謀反に関連?>
(息長一門)
比古ノ 意須 王 (*)袁祁都(オキツ)・息長・オスノキミ。四道将軍・彦坐王の息。母は袁祁都比売命(オキツヒメ?)。<当て字すると彦意狭王?>
伊理泥 王 (*)袁祁都(オキツ)・息長・イリネノキミ。四道将軍・彦坐王の息。母は袁祁都比売命(オキツヒメ?)。山代之大筒木真若王を娘婿とする。<伊理泥=稲依根と当て字はできないものでしょうか。><沼=泥=渟で同義なのでしょうか。有力な将軍・武沼(渟)川と関連ありでしょうか。>
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