戦国その9 九州の荒熊王:竜造寺隆信の家臣団と軍団
足利幕府の変遷
(君主 肥前守護 小弐(武藤)氏)
小弐資元 (*~1536)大宰少弐・(藤原)・武藤資元。小弐政資の息。大友政親の娘婿。横岳資貞に養育される。兄・高経の死後、家督。少弐19城将を従える。1530年大内義興と抗争し大内家・杉興連に攻撃される。竜造寺胤久「田手畷の合戦」に杉興連を撃退。1533年大内氏の筑前の拠点・岩屋城を攻略。陶興房と交戦。1534年和平を結ぶも、1535年大内義隆の将・陶興房の反撃により失領。1536年自害する。肥前国神崎郡勢福寺城主。息に冬尚、(千葉)胤頼、政興、元盛。
▽少弐長光 (*)下村長光。小弐政資の息。肥前佐嘉郡巨勢郷下村を領する。息・信光は馬場頼周により竜造寺家一門とともに討たれる。
小弐冬尚 (*~1559)大宰少弐・(藤原)・武藤冬尚・松法師丸・興経・時尚。小弐資元の息。小弐家第16代当主。蓮池・小田資光に匿われる。1545年大内家との和平派の家臣・竜造寺家兼を肥前から筑後に追放する。馬場頼周、神代勝利が竜造寺周家を襲撃。1547年竜造寺胤栄・隆信の連合軍に勢福寺城から筑後へ追われる。1548年勢福寺城を攻撃するが撃退される。1554年毛利氏の後援で挙兵するが竜造寺隆信・千葉胤連に敗北。神崎勢福寺城主。
▽宗 本盛 (*~1547)筑後守・入道。少弐家家老。1547年「米田原の合戦」に竜造寺胤栄・隆信の連合軍に敗北。
▽宗 尚夏 (*)少弐家臣。横岳頼続とともに竜造寺隆信に降伏臣従。<大内家との抗争で、宗氏は本州の地盤を喪失。対馬の宗義智は秀吉の「九州征伐」に従う。>
▽東 盛親 (*)弾正少弼。
⇔*↓筑紫惟門 (*)(少弐)・四郎。少弐一門衆。<不遇で孤独な生涯だった足利直冬の子孫説を信じたいです・・。>
少弐政興 (*)1559年兄達の戦死により馬場鑑周に擁立される。1563年大友宗麟の後援で、有馬晴純、波多鎮(親)、大村純忠、多久宗利、西郷純尚と同盟し反竜造寺連合。馬場鑑周の降伏により敗退。1572年筑紫。横岳氏とともに再挙兵するが敗北。中野城城主。
▲横岳資貞 (*)少弐一門衆。小弐家の臣。肥前国人、三根郡郡代。1508年足利義尹(のち義稙)と大内義興の上洛軍に少弐軍を率いて参陣。息に資誠、(千葉)胤勝。西島城主。<千葉家ともほぼ一門です。>
横岳資誠 (1521~1570)彦四郎・讃岐守・右馬頭。少弐一門衆。資貞の息。弟に(千葉)胤勝。息に源三郎・頼継(頼続?)、弥十郎・家実(鎮貞?)。西島城主。
↓横岳頼続 (*)少弐一門衆。竜造寺隆信の義理の弟。早くから竜造寺隆信に従う。鎮貞との和平に尽力する。1579年筑後の三池氏、今賀城攻略に軍功。1581年「柳川乱入」に出陣。
⇔横岳鎮貞 (*)(少弐・武藤)・兵庫頭・家実。少弐一門衆。横岳氏五代。三養基郡西島の豪族。大友氏に従う。1563年少弐政興を擁立し竜造寺家と対立。1570年隆信と所領を巡り抗争。大友宗麟が仲裁。のち竜造寺隆信に降伏臣従。1581年「柳川乱入」に出陣のち鍋島家家臣。息に家房。西島城主。
▽横岳家房 (*)少弐一門衆。鎮貞の息。
横岳親次 (*)少弐一門衆。隆信家臣。1569年安武氏退去後、海津(貝津)城主。
少弐家家臣団
東肥前 (少弐19城将)一門衆 1570年以降、竜造寺に臣従
馬場頼周 (*~1546)(少弐)・肥前守・前肥前。政員の息。少弐一門衆。肥前国人。小弐家の臣。竜造寺氏の佐嘉城を奪う。
▽馬場周詮 (*)(少弐)・右衛門大夫。肥前国人。
▽馬場丞周 (*)(少弐)・大蔵。肥前国人。
馬場鑑周 (*)(少弐)・太郎四郎・肥前守。少弐一門衆。少弐家臣。1563年少弐政興を擁立して反竜造寺。横岳頼続、宗尚夏、防所尾張守とともに竜造寺隆信に降伏。1570年大友軍による竜造寺隆信の「佐嘉城攻囲」に北口を守備、夜襲により敗北。のち竜造寺隆信に降服。
出雲氏忠 (*)(少弐)・太郎次郎・民部大輔。少弐一門衆。小弐家の臣。東肥前19城将のひとり⑮。1581年竜造寺家の肥後平定に従軍。
平井経治 (*~1574*1576)(少弐)。少弐家一門。有馬氏配下。1563年隆信の進軍を撃退。弟・直秀の内通により竜造寺隆信に城を奪われるが奪還して弟を討つ。1570年大友軍による竜造寺隆信の「佐嘉城攻囲」に北口を守備、夜襲により敗北。1574年後藤惟明と結ぶ。竜造寺軍の納富信景の攻撃により討死。杵島軍須古を領す。高岳城主。
平井宗吟 (*)新入道。経治の叔父。少弐家臣。肥前国人。1574年経治に従い須古防衛。
平井* (*)刑部大輔。少弐家臣。肥前国人。
川津経忠 (*)近江守。少弐家臣。肥前国人。1563年須古城攻防に経治に従う。1574年経治に従い須古防衛。
本田純秀 (*)少弐家臣。肥前国人。1563年須古城攻防に経治に従う。
本田純親 (*)少弐家臣。肥前国人。1563年須古城攻防に経治に従う。
白石純通 (*)少弐家臣。肥前国人。1563年須古城攻防に経治に従う。
▽平井経忠 (*)少弐家臣。肥前国人。1574年経治に従い須古防衛。
▽多久宗利 (*)少弐家臣。肥前国人。1574年経治に従い須古防衛。
平井直秀 (*~1574)(少弐)。少弐家臣。肥前国人。経治の弟。1564年和睦の際に隆信の娘婿(養女・竜造寺親純の娘)。竜造寺隆信に早くから従う。兄・経治により高岳城を奪取され戦死。須古の領主は竜造寺隆信の弟・信周が継承。高岳城城主。
▽福富万平 (*)上野・讃岐守。少弐家臣。肥前国人。平井直秀与力。白石の豪族・大串氏とともに竜造寺軍の先手。1574年平井経治と抗争。白石城主。
▽長秀* (*)伊勢守。少弐家臣。肥前国人。1574年須古城攻略に鍋島信生の与力。案内役を勤め軍功。
肥前守護・渋川氏と守護代・千葉氏
<東千葉VS西千葉>
千葉胤勝 (*)肥前千葉家。第15代当主。西千葉家4代。千葉胤繁の跡職。少弐・横岳一門衆。横岳(少弐)資誠の息。小弐家の臣。肥前国人。胤資の養子。息に胤連。竜造寺家の胤久を養子に迎える。<大内家は東千葉氏を後援。>
↑▽千葉胤連 (*~1593)(横岳・竜造寺・西千葉)。肥前小城郡晴気城主。胤勝の息。竜造寺家純の娘婿。1541年鍋島信生を養子に迎える。早くから竜造寺家と同盟し西肥前の有馬家と抗争。1554年少弐冬尚の侵入を竜造寺隆信とともに撃退。義弟・千葉胤頼と抗争し1559年隆信の後援で征伐。所領を信生が引き継ぐ。与力に鴨打、徳島、持永、空閑、粟飯原、桃崎、橋本氏。息に胤信、養子に信生。
千葉胤頼 (1532~1159)小弐胤頼。少弐資元の息(2男)。兄に冬尚。肥前国人。千葉喜胤の娘婿。西千葉家の胤連の義弟。胤連と抗争。1559年竜造寺隆信、千葉胤連の攻撃で兄・冬尚とともに自害。息に胤誠。肥前国勢福寺城主。
持永* (*)今川。肥前国人。千葉家家老。<今川仲秋の子孫。>
江上基種 (*)(少弐)・石見守・元種。少弐一門衆。国人・大蔵氏族とも。小弐家の臣。興元の代に少弐資元に勢福寺城を奪取される。
江上武種 (*)(少弐)・太郎・左馬大夫・伊豆守。少弐一門衆。佐賀の三豪族。興種の息。神崎を領す。竜造寺胤久の娘婿。小弐家の臣。東肥前19城将のひとり⑲。少弐冬尚を擁して竜造寺隆信と戦う。1558年三家和睦。1570年大友軍による竜造寺隆信の「佐嘉城攻囲」に北口を守備、夜襲により敗北。1571年竜造寺隆信に降る。竜造寺隆信の息・家種を養子に迎える。勢福寺城主。
▽執行種兼 (1530*~1584)筑前守。江上武種の陣代。江上軍の旗頭。1571年竜造寺氏に従う。少弐政興討伐に出陣。筑紫昭門の綾部城・朝日山城攻略に軍功。1584年「島原の合戦(沖田畷の合戦)」に戦死。息に種直。
▼執行種直 (*~1584)少弐家臣。肥前国人。肥前神埼郡の豪族。種兼の息。1571年竜造寺氏に従う。1580年豊前侵攻に軍功。1584年「島原の合戦(沖田畷の合戦)」に戦死。
▽枝吉種浄 (*)(江上)。少弐家臣。肥前国人。肥前神埼郡の豪族。江上氏一門衆。1571年竜造寺氏に従う。息に種次。日吉城主。
▼枝吉種次 (*~1584)(江上)。肥前神埼郡の豪族。種浄の息。1571年竜造寺氏に従う。1584年「島原の合戦(沖田畷の合戦)」に戦死。
朝日* (*)(少弐)・近江守・入道宗贇。少弐家臣。肥前国人。肥前旭日山城主。
▽朝日頼貫 (*)(少弐)・頼実。少弐家臣。肥前国人。肥前旭日山城主。<近江守と同一人物とも。>
東肥前 (少弐19城将)国人衆
神代勝利 (1511~1568)新次郎・大和守。佐賀の三豪族。神代宗元の息。山内を領す。小弐家の臣。東肥前19城将のひとり⑱。江上家と結び竜造寺隆信に対抗。1558年三家和睦。1562年竜造寺家と縁戚となる。1566年死去。55歳。三瀬城主。兄弟に(福島)利元、(神代)宗光、(千布)宗利。息に長良。
▽福島利元 (*)周防守。少弐家臣。肥前国人。兄弟に勝利。宗元の息。
▽神代宗光 (*)対馬守。少弐家臣。肥前国人。兄弟に勝利。宗元の息。
▽千布宗利 (*)因幡守。少弐家臣。肥前国人。兄弟に勝利。宗元の息。
神代長良 (*)刑部大輔。筑後高良山宮司家。神代勝利の息。少弐家臣。肥前国人。1566年納富信景の攻撃を受け筑前・大都留宗秀を頼る。納富信純を破り旧領奪回。1570年竜造寺隆信の「佐嘉城攻囲」に北口守備、夜襲により敗北。1570年竜造寺家の臣下に降る。1579年鍋島直茂の弟・小川信俊の息・家良を娘婿に迎える(川久保鍋島氏の祖)。
▽神代家利 (*)長良の陣代。神代軍の旗頭。少弐政興討伐に出陣。
▽千布家利 (*)長良の陣代。神代軍の旗頭。少弐政興討伐に出陣。
▽三瀬* (*)大蔵。長良の家老。鍋島家との養子縁組を成立させる。
後藤貴明 (1538~1583)又八郎・佐純。肥前武雄の豪族。大村純前の息(庶子)、1545年後藤純明の養子。義弟に大村(有馬)純忠。1560年松浦惟明を養子。1562年大友氏と同盟。1563年平井経治を攻撃し敗退。1564年平井氏と結び竜造寺家と抗争。1570年大友軍による竜造寺隆信の「佐嘉城攻囲」に西口を守備、夜襲により敗北。1572年諫早の西郷氏、平戸の松浦氏と結び大村純忠を急襲。1574年惟明が反乱した為、竜造寺隆信に降伏し後詰を得る。息に晴明(竜造寺家均)、養子に(松浦)惟明、(竜造寺)家信。
後藤惟明 (*)肥前武雄の豪族。平戸・松浦隆信の息。後藤貴明の養子。1574年父・貴明に反乱。竜造寺家信により家督を追われる。
鶴田前勢 (*)波多一門衆。松浦郡の豪族。少弐家家臣。1570年大友軍による竜造寺隆信の「佐嘉城攻囲」に北口を守備、夜襲により敗北。
姉川惟安 (*)菊池・中務大輔。小弐家の臣。菊池家分流。神崎郡の姉川城主。東肥前19城将のひとり⑰。1545年少弐家に従い水ヶ江城の竜造寺家兼を攻囲する。1551年竜造寺隆信の本家家督相続に反対。江上武種の前衛として竜造寺隆信軍を迎え撃つ。1555年小河信安に攻略され降服。1570年大友氏の佐嘉城攻囲の際は大友家に従う。姉川城主。息に信安。
▽姉川信安 (*)菊池・中務大輔。小弐家の臣。菊池家分流。惟安の息。1572年少弐政興討伐に出陣。横岳氏の所領の一部を与えられ、東肥前に転封され三根郡米田を領する。土肥家実とともに国境を守備。1581年肥後遠征の第4陣。1583年肥後玉名郡を領す。横山(横島)城主。三根郡米田城主。<1569年立花道雪への使者?。>
▽姉川信秀 (*)兵庫助・兵庫介。姉川一門。1581年竜造寺政家に従い肥後侵攻に従軍。1583年太田家豊とともに肥後国境を守備。横島城主。<伊予守?>
⇔綾部鎮幸 (*)備前守・賢幸。肥前高来郡大川荘の領主。泰幸の息。小弐家の臣。東肥前19城将のひとり⑯。1551年竜造寺隆信の本家家督相続に反対。のち竜造寺隆信に従い江上攻略に従軍。1565年少弐政興討伐に出陣。白虎山城主。
▽綾部茂幸 (*)鎮幸の一門。少弐家臣。肥前国人。鷹取山城主。
犬塚鎮直 (*)東犬塚・長門守。小弐家の臣。筑後宇都宮分流。家貞の息(長男:養子とも)・家直(鑑直)の息。東肥前19城将のひとり⑭。同族の犬塚尚重により討たれる。息に家広。崎村領主。
▽犬塚家広 (*)東犬塚。崎村の豪族。小弐家の臣。東肥前19城将のひとり⑬。鎮直の息。1572年東肥前養父郡に転封される。姉川信安、土肥家実とともに国境を守備。
犬塚家重 (*)西犬塚・伯耆守。肥前の豪族。筑後宇都宮分流。家貞の息(2男)。兄に家直。弟に家種、家久、家嘉。東肥前19城将のひとり⑫。少弐氏から離反し、竜造寺家を支援。蒲田江城主。孫に尚重。
▽犬塚尚重 (*~1569)西犬塚・民部大輔。小弐家の臣。筑後宇都宮分流。東肥前19城将のひとり⑫。伯耆守家重の孫。竜造寺家和の娘婿。本家崎村・犬塚鎮直と不仲になり、鎮直を殺害して自害。蒲田領主。息に茂続。
▼↑犬塚信尚 (*)竜造寺信尚・与三右衛門・家重・茂続。犬塚尚重の息。1569年尚重の自害により、隆信のもとで養育され家督。母は竜造寺家和の娘。竜造寺家純の娘婿。肥前蒲田江城主。
犬塚鎮家 (*)弾正忠・播磨守・盛家。小松城主。<竜造寺の弐弾正の大村弾正とは、大村でなくて犬塚だったり・・。>
本告頼景 (*~1553)(藤原)・増景。肥前神崎郡櫛田神社社家。少弐政興隆討伐に出陣。1553年蓮池城攻略に従軍。馬場越後守により討たれる。本告牟田城主。
本告義景 (*)(藤原)・左馬允。肥前神崎郡櫛田神社社家。息に信景。本告牟田城主。
▽本告信景 (*)(藤原)・左馬大夫。肥前神崎郡櫛田神社社家。小弐家の臣。東肥前19城将のひとり⑨。本告義景の息。父・義景は早くから竜造寺隆信に従う。息に政景。本告牟田城主。
高木鑑房 (1504~*)(藤原)・能登守・鑑兼。東高木家。小弐家の臣。東肥前19城将のひとり⑪。1551年竜造寺隆信の本家家督相続に反対。竜造寺隆信の筑後からの帰還に抗戦。本庄岩村「三溝の合戦」に敗退。前田家定を頼るが誅殺される。息に盛房。
高木胤秀 (*~1572)(藤原)・肥前守・兵部大輔・民部大輔。西高木家。胤家の息。小弐家の臣。東肥前19城将のひとり⑩。1551年竜造寺隆信の本家家督相続に反対。1570年大友義鎮軍の「佐嘉城攻囲」に大友家に従い、その後竜造寺家に降った筑紫広門に討たれる。
坊所* (*)尾張守。少弐氏家臣。横岳頼続、宗尚夏とともに竜造寺隆信に降伏臣従。筑後安武氏を説得、臣従させる。
藤崎盛義 (*)筑前守。少弐家臣。肥前国人。東肥前19城将のひとり。
↑八戸* (*)(藤原)・於保・下野守・入道宗暘。於保宗益の息。少弐家臣。肥前国人。竜造寺隆信の妹婿。竜造寺隆信の義兄弟。息に竜造寺宗春。
<龍造寺・竜造寺家 祖>
藤原秀家 (*)季家。藤原季喜の養子。高木季経の息(2男)。鎌倉幕府御家人。1186年肥前佐賀郡小津郷龍造寺地頭職。村中竜造寺。
(初期 龍造寺一門) 1545年に一度、水ケ江竜造寺滅亡。
<村中家>
▲龍造寺胤家 (*)豊前守・家弘。竜造寺村中(総本)家。康家の息(長男)。西千葉家に加担し少弐家中にて失脚出奔。弟・家和が家督相続。のち帰国し大財津城主。息に胤直、盛家。
龍造寺胤直 (*)胤直の息。竜造寺村中(総本)家。息に常家、家親。
龍造寺盛家 (*)伯耆守・伯耆入道。胤家の息。胤直の弟。1544年上松浦に侵入し波多興に敗北。家兼の甥。
▽龍造寺家親 (*)竜造寺村中(総本)家。康家の孫。家兼の兄・竜造寺胤家の息。一門衆筆頭として最大の所領を領する。叔父に家和、家兼。息に信親、宗金斎、信明、家俊。<竜造寺隆信の家督相続の際、これを推して当主とした胤家の子孫・播磨守家宗は家親の息カ。>
▼龍造寺信親 (*)家親の息。息に茂親。孫に宗親。
龍造寺家和 (*)隠岐守・家員。竜造寺家惣領。竜造寺村中(総本)家。康家の息(次男)。少弐家中での兄・胤家の失脚により家督。大内氏と東千葉氏を支持。のち兄が帰国し大財津城を分割。息に胤和(胤員)、胤久、胤家、胤門。
▽龍造寺胤和 (*)刑部大輔・胤員。家和の息。竜造寺村中家。弟に胤久、胤家、胤門。甥に胤栄。息(養子?)に胤栄、胤明。娘婿に竜造寺周家。孫に隆信。
▽龍造寺胤久 (*)千葉胤久・新次郎・大和守。竜造寺村中家。第17代当主。1513年千葉(横岳)胤勝の養子。兄に胤和。息に胤栄、胤明。
▽龍造寺胤家 (*)於保・備前守。
▽龍造寺胤門 (*)左近将監。息に家就。
▼龍造寺胤栄 (*~1548)新次郎。竜造寺村中(本)家。胤久の息。弟に胤明。家兼の兄・家和の孫。叔父に胤和。1546年大内義隆の後援で小弐家に対抗し、佐嘉郡を領する。1547年小弐家との「米田原の合戦」に老臣・宗本盛を討ち、小弐冬尚を筑後へ追放する。室は隆信と再婚。
龍造寺家就 (*)新次郎・越前守・豊前守・右衛門大夫・左京介。村中(分)家。家兼の兄・家和の孫。竜造寺胤久の息・胤栄の弟(胤門の息で胤久の養子となるか)。兄・胤栄の死後その跡職を竜造寺隆信と競う。少弐政興を擁立した筑紫広門・横岳鎮貞討伐に出陣。1564年「須古攻略」に先陣。1570年大友義鎮軍の「佐嘉城攻囲」に北備え、夜襲により勝利。肥後天草一揆に秀吉の不興をかい浪人。竜造寺城主。息に光則。<胤和の跡職に胤久の息が養子に入り、胤久の養子に胤門の息・家就が入るなど、家督の玉突き移動のようなことが起きているかもしれませんね。>
▽龍造寺家直 (*)高木家直・竜造寺家直。家就の弟。
▽龍造寺家久 (*)家就の弟。
▽龍造寺信氏 (*)家就の弟。
▼龍造寺鎮家 (*)村中家。胤栄の跡職。義理の兄弟に隆信(胤栄に養子入り)。
▼龍造寺信時 (*)家就の甥。
▼龍造寺信貞 (*)家就の甥。
<水ケ江家> 親大内派。
▲竜造寺家兼 (1454~1546)(小鳥居)・山城守・入道剛忠。水ケ江竜造寺(本)家。康家の息。母は大宰府の神職・小鳥居信元の娘。兄・胤家、家和をおいて小弐家家老。嫡男・家純に本家を、次男・家門に水ケ江(分)家を与える。1530年「田手畷の合戦」に大内軍を撃退。1534年波多興とともに大内と和平を模索し主・少弐資元と対立、大内義隆軍に寝返る。1545年有馬晴純に水ヶ江城を追われる。遺言により家純の息・周家の子・隆信に竜造寺家を託す。竜造寺城主。<小田・馬場氏と抗争。大内と通じていると粛清される。離間策か。>
▽福地家盈 (*)水ケ江竜造寺(本)家家臣。1534年水ケ江城を守備。大内軍を撃退。
▽末次家通 (*)水ケ江竜造寺(本)家家臣。1534年水ケ江城を守備。大内軍を撃退。
▽鴨打胤宗 (*)水ケ江竜造寺(本)家家臣。家兼の側近。1545年「佐賀城奪回戦」、馬場頼周・政員親子の征伐戦に従軍。息に胤忠。
竜造寺家純 (1479~1545)兵庫助・豊後守・豊前守・右衛門大夫・家重。竜造寺家兼の息。水ケ江竜造寺(本)家。弟・家門が家督を継承。神代勝利に奇襲され、子息の周家・純家・頼純とともに「川上神社の合戦」に戦死。竜造寺城主。娘婿に鍋島清房。外孫に鍋島信生(直茂)。<下村(少弐)信光が一緒に戦死している点、気になります。>
▽竜造寺周家 (1504~1545)六郎二郎。家純の息。隆信の父。竜造寺胤和の娘婿。1545年馬場頼周、神代勝利が竜造寺周家兄弟を襲撃し「祇園原の合戦」に戦死。息に隆信、(須古)長信、(多久)信周。孫に政家。
▽竜造寺純家 (*~1545*)純三郎。家純の息(2男)。周家の弟。「祇園原の合戦」に戦死。息に康房。
▽竜造寺頼純 (*~1545)孫六郎。家純の息(3男)。周家の弟。「祇園原の合戦」に戦死。息に家善。
竜造寺家門 (*~1545)三郎兵衛・左衛門佐・和泉守。竜造寺家兼の息。竜造寺家純の弟。水ヶ江竜造寺(分)家。小弐家に出仕するが馬場頼周により、子息・家泰と鍋島清久とともに謀殺される。息に鑑兼、家泰。娘婿に胤栄(胤栄死後は隆信室)。
▽竜造寺家泰 (*)三郎。家門の息(長男)。水ヶ江竜造寺(分)家。弟に鑑兼。
下村信光 (*~1545)少弐信光。長光の息。少弐政資の孫。肥前佐嘉郡巨勢郷下村の領主。1545年竜造寺家の周家、家泰、頼純とともに「祇園原の合戦」に戦死。<1545年竜造寺の擁立した少弐氏だったのでは。>
竜造寺鑑兼 (*)孫九郎・左衛門佐・左衛門大夫。水ヶ江竜造寺(分)家、和泉守家。竜造寺家門の息(2男)。兄に家泰。1551年家老・土橋栄益に擁立され竜造寺家当主。1553年竜造寺隆信の逆襲により一時追放される。のち赦免され、1570年大友義鎮軍の「佐嘉城攻囲」に西備え、夜襲により勝利。「平井攻略」に従軍、殿軍に納富信景と軍功。息に家晴。
<竜造寺家再興、家兼加勢衆>
鹿江兼明 (*)佐賀郡の豪族。竜造寺家兼に従う。1570年石井党とともに筑後国境を守備。
久布白兼基 (*)佐賀郡の豪族。竜造寺家兼に従う。1570年石井党とともに筑後国境を守備。
南里国有 (*)佐賀郡の豪族。竜造寺家兼に従う。1570年石井党とともに筑後国境を守備。
内田兼智 (*)美作守。佐賀郡の豪族。竜造寺家兼に従う。1570年石井党とともに筑後国境を守備。
太田家豊 (*)1570年石井党とともに筑後国境を守備。
九州の諸豪。黄色の枠線の範囲が竜造寺隆信の勢力圏。
竜造寺隆信の家臣団
竜造寺隆信 (1529~1584)円月・胤信・隆胤。周家の息。もと僧侶、石井忠房邸で還俗。家泰の弟・鑑兼をおいて水ヶ江竜造寺(分)家を相続。1548年竜造寺家和系・村中(本)家、竜造寺胤栄の跡職は胤栄弟・竜造寺家就を推す鍋島清房に反対されるが総本家・家宗の推薦で隆信が相続。1551年佐賀城より逃走。1553年佐賀城を奪回。佐賀の三豪族、江上・神代と抗争する。1556年筑紫氏とともに毛利氏に服従。1558年神代勝利に敗北。1559年馬場・横岳氏を降す。1564年神代長良を降す。1567年筑前国の高橋鑑種・筑紫広門と結び毛利氏に通じ叛乱。1569年大友家に反し攻囲される。1570年大友義鎮、佐賀城を攻囲。「今山の合戦」に勝利。1571年小田鎮光を殺害。1574年鏡城攻略。1575年三池鎮重を攻撃。1576年有馬晴信の支城・横沢城を攻略。1577年島原半島に侵入。1578年筑後に進入。1579年大友方山下城を攻囲、小代城を攻略。1583年深江城を島津家久に攻囲される。1584年35000兵を率い出陣するが「島原の合戦(沖田畷の合戦)」に討死。息に政家、家種、家信。娘婿に蒲池鎮漣。<1584年竜造寺本軍、12000兵に鉄砲3000~4000を装備する。‐フロイス‐>
(一門衆・隆信兄弟)
多久長信 (*~1603)竜造寺長信・(小田)・六郎次郎・弾正忠・兵庫頭・和泉守・家信。竜造寺周家の息。竜造寺隆信の弟。蓮池城主・小田政光の娘婿。小城郡を領す。蓮池小曲城主。周防山口城主大内義長から「長」字を与えられる。1570年大友義鎮軍の「佐嘉城攻囲」に西備え、夜襲により勝利。多久梶峯城主。
須古信周 (*~1608)竜造寺信周・鍋島・安房守・阿波守・左馬頭・豊後守・信房・周光。竜造寺周家の息。竜造寺隆信の弟。1569年大友氏に攻囲され和議為人質となる。1570年大友義鎮軍の「佐嘉城攻囲」に西備え、夜襲により勝利。「松浦攻囲」、「須古平井攻略」、杵島郡須古を領す。豊前攻略の旗頭となる。高橋元種の補佐を得て、城井鎮房・長野鎮辰を率いる。1581年肥後平定の第一陣大将。息に(松浦)信明、(有田)茂成。
▽松浦信明 (*)竜造寺・須古・太郎。信周の息。弟に茂生。
(隆信の準一門)
↑横岳頼続 (*)少弐頼続。少弐一門衆。竜造寺隆信の義理の弟。早くから竜造寺隆信に従う。本家の横岳鎮貞との和平に尽力する。1581年「柳川乱入」に出陣。
↑八戸* (*)(藤原)・於保・下野守・入道宗暘。於保宗益の息。竜造寺隆信の妹婿。竜造寺隆信の義兄弟。息に竜造寺宗春。<村中龍造寺、胤員の弟・胤家が於保姓。>
(後期一門衆・竜造寺一族)
竜造寺家晴 (1555~1613)諫早・兵庫頭・孫九郎・七郎左衛門・式部左衛門・信重。水ヶ江竜造寺(分)家、家門次男・竜造寺鑑兼の息。蓮池小曲城主。少弐政興を擁立した筑紫広門・横岳鎮貞討伐に従軍。肥後攻略の旗頭。1581年蒲池鎮並(鎮竝)の「柳川城攻略」に出陣。高来郡諫早を領す。
竜造寺家治 (*)隆信の甥。肥後侵攻に従軍。
竜造寺家信 (*)隆信の甥。関城主。
犬塚鎮家 (*)竜造寺・播磨守・弾正少弼・盛家。土橋栄益の娘婿。1576年「藤津横沢城攻略」に先陣。1581年肥後平定に第2陣の大将として従軍。肥前神崎郡小松城主。
▽犬塚尚重 (*~1569)西犬塚・民部大輔。小弐家の臣。東肥前19城将のひとり⑫。伯耆守家重の孫。竜造寺家和の娘婿。本家崎村・犬塚鎮直と不仲になり、鎮直を殺害して自害。蒲田領主。息に竜造寺信尚(茂続)。
↓竜造寺信尚 (*)犬塚信尚・与三右衛門・家重・茂続。犬塚尚重の息。1569年尚重の自害により、隆信のもとで養育され家督。母は竜造寺家和の娘。竜造寺家純の娘婿。肥前蒲田江城主。
(一門衆・隆信 子息)
竜造寺政家 (1556~1607)太郎四郎・民部大輔・鎮賢・久家。肥前の大名。竜造寺隆信の嫡男。有馬鎮純の娘婿(前室)。後藤貴明の娘婿(後室)。1581年隆信隠居により家督。肥後平定に出陣。1587年秀吉に従い肥前国7郡を安堵される。1590年隠居。跡職は高房が鍋島信生(直茂)の後見で相続。弟に江上家種。息に(村田)安良、雅義、家重、高房。娘婿に諫早直孝。
▽竜造寺高房 (1586~1607)藤八郎・駿河守。政家の息(4男)。鍋島茂里の娘婿(直茂養女)。息に季明。<死因は自害。>
江上家種 (*~1593)竜造寺・又四郎・権兵衛・武蔵守・家胤。竜造寺隆信の次男、江上武種の養子。兄に政家。大村順前の娘婿。城原勢福寺城主。1584年「島原の合戦(沖田畷の合戦)」に浜手の大将、島津家久に敗北。鍋島直茂の息・勝茂を養子とする。
後藤家信 (1563~1622)竜造寺・鍋島・善次郎・十佐衛門。竜造寺隆信の息。塚崎武雄後藤家、後藤貴明の養子。1584年「島原の合戦(沖田畷の合戦)」に浜手の大将、島津家久に敗北。鍋島直茂の三男・茂綱を養子に迎える。親キリシタンの武将。
↓倉町信俊 (*~1584)竜造寺信俊・新太郎。義兄弟に政家、家種、家信。1570年「今山の合戦」に軍功。隆信の娘婿となる。1584年諫早攻略に第3軍の旗頭。1584年「沖田畷の合戦」に戦死。
⇔蒲池鎮並 (1547~1581)(田尻)・民部大輔・式部・鎮漣・しげなみ。筑後の豪族。下蒲池家。元・大友家臣。鑑盛の息。母は田尻親種の娘。庶兄に鎮久。竜造寺隆信の娘婿。大友宗麟に従い「耳川の合戦」に従軍。父・鑑盛と弟・統安は戦死。敗北するをみて島津家に通じる。1578年竜造寺隆信に従い三池鎮真・蒲池鑑広の拠る今賀城を攻撃。1579年「田原親貫の乱」に同調して大友家に反抗。1580年竜造寺家の圧迫をうけ田尻・三池氏と、大友家に支援を請うが無視され島津家に降る。田尻鑑種の説得で竜造寺家に転仕するが、義父・隆信の謀略により兄・鎮久とともに戦死。柳川城主。
▽蒲池鎮久 (*~1581)筑後の豪族。下蒲池家。元・大友家臣。鑑盛の息(長男)。弟・鎮並の家老職。1581年竜造寺隆信の謀略により戦死。
▽大木統光 (*)蒲池家一門衆。鎮漣の従兄弟。家老職。隆信の指示で動いた田尻鑑種、黒木家永、(蒲池)益種の柳川乱入により滅亡。
⇔▽蒲池統虎 (*)下蒲池家・統康。蒲池鎮並の息。1579年「田原親貫の乱」に同調して大友家に反抗。父は竜造寺隆信により謀殺される。隆信の指示で動いた田尻鑑種、黒木家永、(蒲池)益種の柳川乱入により滅亡。
▽豊饒鎮連 (*~1581)蒲池・美作守。蒲池家臣。久留米の領主。蒲池統康とともに塩尻城籠城戦に戦死。息に宗虎丸。兼松城主。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?