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古史古伝「神世」 彦波瀲武~神武 73代の系譜


「日子」波限建(彦 波瀲武)王朝
 ・ヒコ ナギサタケ/hiko nagisatake 



「鸕鶿草葺合不(ウガヤフキアエズ)が本朝(列島)を治めること十二万三千七百四十二(12万3742)年、<旧石器時代から列島には王家が・・。>
 その後、神代の絶えること七千(7000)年、 <喜界カルデラの噴火?>


 安日(アピ)という鬼王(鬼道の王)、世に出て本朝を治めること七千(7000)年<縄文時代の開始?>」
 -『曽我物語』真字本-(起源は虎御前の口頭伝承)

波瀲武(鸕鶿草葺合不)/(ugayafukiaezu)
『記紀』での読みは不合(フア)の順、『旧事紀』では合不(アワス)で逆表記となる。
『宮下』では不木合須、『上記』では不合。
また、鸕鶿草葺が本当に「ウガヤフキ」と読むべきものなのか。波瀲武⇒「ナギサタケ」鸕鶿草葺⇒「なぎさたけ」と二回くりかえしているのでは・・。
「ウガヤフキアエズ王朝」とは何処にあったのでしょう・・、南九州日向の天照とは別系統の系譜、かつ出雲・畿内の大国主とは別系統の系譜、かつ北陸・信濃の建御名方王とは別系統の王朝、消去法でいくと、
北九州豊後と、瀬戸内海四国・東海道にかけての王朝の2系統の系譜か。


 後に「倭」と合流する秦王国(辰王国とその統治者である「辰王」)、<任那のことか?>これの王朝系譜がまったくの謎なので、ひょっとしたら適合するのかもしれませんね。

<天照・スサノオ後裔72代系譜>
山幸彦(富士王朝) VS 海幸彦(九州王朝)


⇔火々出見ノ命 天津日高 「日子」(アマツヒダカ「ヒコ」) 穂穂手見(ホオテミ)・彦火火出見・火遠理(ホオリ)・「山幸彦」・虚空津日高。ニニギ(邇邇芸・瓊瓊杵)の息。日向高天原の系譜。叔父に天ノ火明。邇邇藝ノ命と神阿多都比賣の息。綿津見神(ワタツミ)の娘・とよ玉毘賣(トヨタマ)・八尋和邇と結婚し兄の火照命を倒す。


⇔▽鸕鶿草葺合不 天津 日高「日子」・波限 「建」 鵜葺草葺不合・(ナギシ タケ ウカヤフキフワ?)・彦波瀲武鸕鶿草葺不合・鵜草葺不合。火々出見(穂穂手見)ノ命の息、母は豊玉姫。玉依毘賣(タマヨリ)と結婚。息に五瀬(イツセ)、御毛沼、若御毛沼(ワカミケヌ(神武天皇))。<不合とは、富士にオワス(座主)か。>

≪個人的感想≫ 不合須が「フジアワス」と読むのなら、対象となる富士山は、甲斐・駿河・相模に跨る富士山が有名ですが、同じような美しい容姿をもつ山が、全国にあります。
その山々に、霊山として「富士」の名が冠せられていたとすれば、富士王朝は一か所のものとして、こだわる必要がなかったのではないでしょうか。
 「山幸彦」の降りてくる霊峰。
薩摩富士の開聞岳、
讃岐富士「飯野山」、
伯耆富士「伯耆大山(角盤山)」、
近江富士「三上山」、
信濃富士「黒姫山」、
日光富士「男体山」、
榛名富士「榛名山」、
会津富士「磐梯(ばんだい)山」、
出羽富士「鳥海山」、
津軽富士の岩木山、
蝦夷富士の後志羊蹄山(しりべしようてい)。
以上の富士の名を冠する山々の、山岳信仰の歴史と結びつくと考えます。
 平地に降りてくる「山鉾」も、「山の神」神の宿る神器なのでしょう。

<富士 波限建 王朝>


『富士 宮下文書』(51代)徐福の捜査した須弥山(富士山)を奉る王朝系譜か<出雲と伯耆の間にも「伯耆大山(ホウキダイセン)」という富士が存在する。>
ー山幸彦の後裔ー
宇家澗不二合須世(ウガヤフジアハスノヨ):富士王朝〈ただし場所は富士の麓とは限らない。〉
「日子波瀲武」鵜茅葺不木合須・「ひこなぎさたけ」 ウガヤフキアワス
⇔言合命 富士王朝初代(女系を同列とした場合:初代)ことあひのみこと・コトアワスノミコト。初代王。室に玉依里女。息に不二高王、奈加尾王。後継に千穂高王。<言霊を合わす尊(ミコト)と対をなす言魂の拠る姫(タマヨリヒメ)。シャーマン的な鬼道の王の始祖としての名か。>
▽天別天之火明命 (*)言合命の臣。息に尾羽張彦命。
▼尾羽張彦命 (*)源太記男命。尾羽張国造。天別天之火明命の息。
▽稲田雄命 (*)高天原の神。惣司令。高天原三品(三種の神器?)の大御宝を管理する。
【玉依里比女】(富士王朝初代后)多摩夜里毘女・たまよりびめ。言合命の后。後継に阿祖比女。皇后摂政の職に就かず。<言霊を合わす尊(ミコト)と対をなす言魂の拠る姫(タマヨリヒメ)。シャーマン的な鬼道の王の始祖としての名か。以下、「王」と書いて「ミコ」と読む世代に続く。>


<王「みこ」世代:2代~10代> 

▽神后摂政(巫女王を含む:2代~13代)。
千穂高王ノ命 富士王朝2代(2代)千穂高王・ちほたか・(高千穂・カミコ)。第三皇子。兄に不二高王、奈加尾王。言合命の後継。室に阿祖姫。後継に阿蘇豊玉王。<「王」と書いてミコと読む。母方は阿蘇系ということで九州火国の王家か。>
【阿祖比女】(富士王朝2代后)。阿祖姫・(阿蘇姫)・あそひめ。皇后摂政の職に就かず。<その名の通り九州肥前阿蘇か。>
阿蘇豊玉王ノ命 富士王朝3代(3代)阿蘇豊玉王・あそとよたま・(阿蘇豊魂・マミコ)。<肥前に豊後を加え、火国と豊国の併合か。>
【佐登鈴比女】(富士王朝3代后)。佐登鈴姫・(悟里姫)・さとりひめ。皇后摂政の職に就かず。
▽不二田彦王命 富士王朝4代(4代)不二男彦・ふじたひこ・(富士多彦・コミコ)。佐田姫が補佐。
▽佐田比女命 富士王朝4代后(通算5代)。佐田姫・さだひめ・(狭田姫・真田姫・メミコ)。神后摂政(巫女王)。不二田彦を補佐。<「佐」は筑紫佐賀の佐を冠する意味か。>
佐津田王命 富士王朝5代(通算6代)・さつた・(狭津多・薩都太・タミコ)。
【夜佐比女】(富士王朝5代后)。夜佐姫・よさひめ・やさひめ。皇后摂政の職に就かず。
▽津弥彦王命  富士王朝6代(通算7代)・つみ・(都見・コミコ)。櫛豊姫が補佐。
▽櫛豊比女命 富士王朝6代后(通算8代)・くしとよ・(杭豊・メミコ)。神后摂政(巫女王)。津弥彦を補佐。
阿知奈王命 富士王朝7代(通算9代)・あちな・(阿智名・ナミコ)
【登目比女】富士王朝7代后・とめひめ。
豊田彦王命 富士王朝8代(通算10代)・とよたひこ・(戸世多彦・コミコ)
【根志比女】富士王朝8代后・ねしひめ。
宇摩子王命 富士王朝9代(通算11代)・うまこ・(ウマシ・馬子・コミコ)。<ウマシ=馬子か。のちの蘇我馬子も実際はウマシと読むか・・。>
【都根比女】富士王朝9代后・つねひひめ。
日野光王命 富士王朝10代(通算12代)・ひのひかり・(火ノ明・リミコ)。佐弥姫が補佐。
▽佐弥比女命 富士王朝10代后(通算13代)・さやひめ・(狭夜姫・咲夜姫・メミコ)。神后摂政(巫女王)。日野光を補佐。
≪個人的感想≫ 九州的な地名の表記される王が多し
女系は①玉依里→②阿祖→③佐田→④夜佐→⑤櫛豊→⑥登目→⑦根志→⑧都根→⑨佐弥。

<九州 波限建 その1>


『上記:ウエツフミ』 大分宮:各地に国司職(タケル)を派遣し全国を統治。
ー山幸彦の後裔ー 山幸彦を後援した綿津見神の女系王朝系譜か
<景行天皇の北九州制圧戦の現地勢力や、筑紫の君の反乱などに繋がる王族か?>
漢字表記・竹内補填、カタカナ表記・上記
⇔鵜草葺不合 初代。武鵜草葺不合・ウガヤフキアワズ。天皇(アメノスメラノミコト/amenosumeranomikoto)。后に玉依姫。<本来は「言合ノ命」コトアワスの尊が通名か。>
【玉依比女】初代后。皇后宮。玉依姫・タマヨリヒメ。夫の鵜草葺不合を補佐。
軽島彦尊 2代。軽嶋彦ノ命・カルシマヒコ。天皇。后に橋立姫。
【橋立媛】2代后。皇后宮。橋立姫・(端楯姫)・はしたてひめ。夫の軽嶋彦を補佐。
真白玉輝彦 3代。真皇真輝彦(マコマキヒコ)・マシラタママガヒコ。天皇。后に上照姫。
【上照媛】3代后。皇后宮。夫の真白玉輝彦を補佐。
玉噛尊 4代。玉噛彦・タマカミヒコ。天皇。后に五十鈴姫。
【五十鈴姫】4代后。皇后宮。玉噛尊を補佐。
天地明成 赤珠彦 5代。アメツチアカリナス アカタマヒコ。天皇。
【八耳媛】5代后。皇后宮。赤珠彦を補佐。
鉾歯並 執楯 6代。石鉾歯並執楯・イワホコハナメトリタチ。天皇。
【八千種媛】6代后。皇后宮。執楯を補佐。
櫛豊媛尊 7代。櫛豊姫・クシトヨヒメ。天皇。尊世幸男が補佐。
〔天野弥開手幾明 尊世幸男〕7代夫、摂政。尊世幸男。
光徹笑勢媛 8代。ヒカリトオルワラワセヒメ。天皇。尊世幸男が補佐。
〔照建魂彦 尊世幸男〕8代夫、摂政。尊世幸男。
千種媛 9代。チグサヒメ。天皇。単独で国内を統治。
千足媛 10代。チタラシヒメ。天皇。尊世幸男が補佐。
〔国明鴫沢之雄 尊世幸男〕10代夫、摂政。尊世幸男。
禍斬 剱彦 11代。マガキルツルギヒコ。天皇。后の玉足穎撰姫が補佐。
【玉足穎撰媛】11代后。皇后宮。剱彦を補佐。
弥広殿作 12代。ヤヒロトノツクリヒコ。天皇。后の玉照若姫が補佐。<イザナミ・イザナギが建造した「八尋殿」に通じるか。>
【玉照若媛】12代后。皇后宮。作を補佐。
豊明圀押彦 13代。トヨアカリクニオシヒコ。天皇。后の豊狭姫が補佐。
【豊狭媛】13代后。皇后宮。圀押彦を補佐。


≪個人的感想≫ 九州的な地名の表記される王が少ない。
母系家族が基本であるとすれば、大王(オオキミ)名よりも、これと対となる
女系を重視して読み解くべきではないか。
女系は①玉依→②橋立→③上照→④五十鈴→⑤八耳→⑥八千種→⑦櫛豊→⑧光徹笑勢→⑨千種→⑩千足→⑪玉足穎撰→⑫玉照若→⑬豊狭。
素戔嗚を漢文風に改めれば(中国の文書では懐良親王が→良懐と書かれる)、鳴戔素(なぎさす=波瀲須)。ナギサ王系統の始祖でどうでしょう。
スサノオ直系の五十猛大屋彦からの系譜が謎なので、そこから72代がウガヤフキアエズ王朝(九州女系)の系譜か。
 ①素戔嗚→五十猛大屋彦→・・・・・(大綿津見)・・・・・→玉依姫→五瀬・神武
 ②天照帝→忍穂耳→邇邇芸→・・・・・・火遠理命(山幸彦)→不合命
 ③大国主・・・・・・・・・・・・・・・・伊須気余理姫
大国主15代からの豪族系譜に組み込まれる余地がないので、「曽我物語」に記される通り、
 神世のイザナギ・イザナミの国生み以降から、神武建国までの間の、三貴子系譜とは別系統の古い王朝なのかもしれませんね。


両王朝 14代~32代

『富士 宮下文書』
ー山幸彦の後裔ー
太武王命 富士王朝11代。(14代)・たたける・(多建・ルミコ)
▽太加比女命 富士王朝11代后。(15代)・たかひめの・(多花姫・メミコ)。神后摂政(巫女王)。
武力男王命 富士王朝12代。(16代)・たけちからお・(建力男・オミコ)
【太仁比女】富士王朝12代后。皇后摂政の職に就かず。
出見彦王命 富士王朝13代。(17代・いずみひこ)・でみひこ・(手見彦・コミコ)<「出雲」系統の名か。出雲建国、または出雲への進出を意味するか。>
▽茂瀬比女命 富士王朝13代后。(18代・しげせ)・もせひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
万天子王命 富士王朝14代。(19代・よろずてこ)・まてこ・(コミコ)
▽太瀬比女命 富士王朝14代后。(20代)・たせひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
奈良田彦王命 富士王朝15代。(21代)・ならだひこ・(コミコ)
▽屋根比女命 富士王朝15代后。(22代)・やねひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
福佐彦王命 富士王朝16代。(23代)・ふくさひこ(コミコ)
▽戸志比女命 富士王朝16代后。(24代)・としひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
加目男王命 富士王朝17代。(25代)・かめお(オミコ)
【豊照比女】富士王朝17代后。皇后摂政の職に就かず。
▽志毛比女命 富士王朝17代后。(26代)・しげひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
都留彦王命 富士王朝18代。(27代)・つるひこ・(コミコ)
▽摩津比女命 富士王朝18代后。(28代)・まつひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
多加彦王命 富士王朝19代。(29代)・たかひこ・(コミコ)
▽波奈比女命 富士王朝19代后。(30代)・はなひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
加佐田彦王命 富士王朝20代。(31代)・かさたひこ・(コミコ)
▽奈加比女命 富士王朝20代后。(32代)・なかひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。


≪個人的感想≫ 下段の『上記』に対して、九州的な地名の表記される王が多し女系は、太加→太仁→茂瀬→太瀬→屋根→戸志→豊照→志毛→摩津→波奈→奈加。

<九州 波限建 その2>


『上記:ウエツフミ』
ー山幸彦の後裔ー
<景行天皇の北九州制圧戦の現地勢力や、筑紫の君の反乱などに繋がる王族か>
火之進奇猿媛 14代。ホノスセリクシマシラヒメ。
臼杵 15代。ウスキネヒコ。
小色幸玉撰媛 15代后。
産門真幸 16代。ウブドマサキ。
玉桜媛 16代后。
表照明媛 17代。ウワテルアカリヒメ。
<天津馬鞍之男> 17代の摂政。尊世幸男。
依細里媛 18代。ヨザミサトヒメ。
<天津多知> 18代の摂政。尊世幸男。
少名形男彦 19代。スクナガタオ。<出雲「大国主」の国造りに協力した「スクナヒコ」に通じるか。>
大名形雄媛 19代后。
天津明少名大汝彦 20代。アマツミノリスクナオオナヒコ
秋媛 20代后。
天饒明立 21代。アメニギシアカリタチ
時依媛 21代后。
天押開神魂彦 22代。アメオシヒラキカムタマヒコ
豊秋媛 22代后。
天饒国饒狭真都国足 23代。アメニギシクニニギシサマツクニタラシ
天津万雄媛 23代后。
天饒国饒黒浜彦 24代。クロハマヒコ
玉敷媛 24代后。
富秋足中置 25代。トミアキタラシナカオキ
棚織媛 25代后。
種浙彦 26代。タネカシヒコ
大汝若依媛 26代后。
建玉彦 27代。タケタマヒコ
百合花建媛 27代后。
天之海童楽之雄 28代。アメノイソリヱラギノオ
中津媛 28代后。
神豊実媛 29代。カムトヨミヒメ。
<建奇津気彦> 尊世幸男。29代。。
円脊之男 30代。マロセノオ
燿媛 30代后。
橘媛 31代。タチバナヒメ。
<恵長薬王合> 尊世幸男。31代。。
花撰媛 32代。ハナヨリヒメ。
<文机彦> 尊世幸男。32代。


≪個人的感想≫ 上段の『宮下』に対して九州的な地名の表記される王が少ない。
女系は、火之進奇猿媛→小色幸玉撰→玉桜→表照明媛→依細里媛→大名形雄→秋→時依→豊秋→天津万雄→玉敷→棚織→大汝若依→百合花建→中津→神豊実→燿→橘→花撰。


両王朝 33代~47代

『富士 宮下文書』
ー山幸彦の後裔ー
登美田男王命 富士王朝21代。(33代)・とみたお・(オミコ)
▽加仁比女命 富士王朝21代后。(34代)・かにひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
笠砂男王命 富士王朝22代。(35代)・かささお・(オミコ)
【奈津気比女】富士王朝22代后。皇后摂政の職に就かず。
津奈建王命 富士王朝23代。(36代)・つなたける・(ルミコ)
【無羅比女】富士王朝23代后。皇后摂政の職に就かず。
久真佐彦王命 富士王朝24代。(37代)・くまさひこ・(コミコ)
【時依比女】富士王朝24代后。皇后摂政の職に就かず。
宇佐彦王命 富士王朝25代。(38代)・うさひこ・(コミコ)
▽身奈比女命 富士王朝25代后。(39代)・みなひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
津田彦王命 富士王朝26代。(40代)・つだひこ・(コミコ)
【多良比女】富士王朝26代后。皇后摂政の職に就かず。
頭長男王命 富士王朝27代。(41代)・あきながお・(オミコ)
▽多美比女命 富士王朝27代后。(42代)・たみひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
足長彦王命 富士王朝28代。(43代)・あしながひこ・(コミコ)
▽多真明比女命 富士王朝28代后。(44代)・たまあけひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
手身武王命 富士王朝29代。(45代)・たみたけ・(ケミコ)
▽明知桜比女命 富士王朝29代后。(46代)・あけちさくら・(ラヒコ)。神后摂政(巫女王)。
山守雄王命 富士王朝30代。(47代)・やまもりお・(オミコ)
【美佐比女】富士王朝30代后。皇后摂政の職に就かず。


≪個人的感想≫ 九州的な地名の表記される王が多し、
女系は、加仁→奈津気→無羅→時依→身奈→多良→多美比→多真明→明知桜比→美佐。

<九州 波限建 その3>


『上記:ウエツフミ』
ー山幸彦の後裔ー
<景行天皇の北九州制圧戦の現地勢力や、筑紫の君の反乱などに繋がる王族か>
清之宮媛 33代。スガノミヤヒメ
<神魂国光彦> 33代。
八千尾亀之男 34代。ヤチオカメオノオ
炊媛 34代后
花媛 35代。ハナヒメ
<---------> 35代。
若照彦 36代。ワカテルヒコ
アカサヱ(姫) 36代后
松照彦 37代。マツテルヒコ
糸依媛 37代后
天津太詞子 38代。アマツフトノリトヒコ
羽織長媛 38代后
神足伊足彦 39代。カムタラシイタラシヒコ
夏媛 39代后
神楯媛 40代。カムタテヒメ
<神屋形之男> 40代。
神楯広幡八十足彦 41代。カムタテヒロハタヤソタラシヒコ
富依媛 41代后
鶴舞媛 42代。ツルマヰヒメ
<彦王之雄> 42代。
豊足大御中 43代。トヨタラシオオミナカ
若玉イスギ之女 43代后
大炊気吹 44代。オオカシキイブキ
-------- 44代后
空津争鳥 45代。ソラツアラソヰカラスタケ
-------- 45代后
鳥言足清男 46代。カラスコトタリスガオ
豊櫛玉姫 46代后
大庭足媛 47代。オオニワタラシヒメ。48代・49代の間に政権復帰。
<笠取彦> 47代。


≪個人的感想≫ 九州的な地名の表記される王が少なし。
女系は、清之宮→炊→花→アカサヱ→糸依→羽織長→夏→神楯→富依→鶴舞→若玉イスギ之→豊櫛玉→大庭足。


両王朝 48代~60代

『富士 宮下文書』
ー山幸彦の後裔ー
佐奈田男王命 富士王朝31代。(48代)・さなだお・(オミコ)
【伊毛比女】皇后摂政の職に就かず。
弥茂作彦王命 富士王朝32代。(49代)・やしげなりひこ・(コミコ)
【清滝宮比女】皇后摂政の職に就かず。
田仲雄男王命 富士王朝33代。(50代)・たなかおお・(オミコ)
【炊照比女】皇后摂政の職に就かず。
貞仲雄王命 富士王朝34代。(51代)・さだなかお・(オミコ)
【仲津比女】皇后摂政の職に就かず。
田高彦王命 富士王朝35代。(52代)・たたかひこ・(コミコ)
▽太留美比女命 富士王朝35代后。(53代)・たるみひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
川上男王命 富士王朝36代。(54代)・かはかみお・(オミコ)
▽和仁比女命 富士王朝36代后。(55代)・わにひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
千利武王命 富士王朝37代。(56代)千代武王命・ちりたけ・(オミコ)
【柏羽比女】皇后摂政の職に就かず。
▽真佐比女命 富士王朝37代后。(57代)・まさひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
玉弥彦王命 富士王朝38代。(58代)玉福彦命・たまねひこ・(コミコ)
【和加竹比女】皇后摂政の職に就かず。
津加田彦王命 富士王朝39代。(59代)・つかたひこ・(コミコ)
▽真江比女命 富士王朝39代后。(60代)・まえひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。


≪個人的感想≫ 九州的な地名の表記される王が多し、
女系は、伊毛→清滝宮→炊照→仲津→太留美→和仁→柏羽→真佐→和加竹→真江。

<九州 波限建 その4>


『上記:ウエツフミ』
ー山幸彦の後裔ー
<のちに景行天皇の北九州制圧戦の現地勢力や、筑紫の君の反乱などに繋がる王族か>
豊津神足別 48代。トヨツカムタラシワケ
豊鋤媛 48代后
豊足彦 49代。トヨタラシヒコ
豊櫛若玉媛 49代后
神足別国押之女 50代。カムタラシワケクニオシヒメ
<笠取彦> 50代。
国押別神足日 51代。クニオシワケカムタラシ
天勝国勝媛 51代后。<統一政権誕生か>
天津紅之枝玉 52代。アマツホノヱタマヒコ
半蔀媛 52代后
天開明知国束 53代。アメヒラキアカリシリクニツカ
若鷹媛 53代后
<『上文』欠落・『竹内系図』より追加 55~72代>
(高天原輝徹国知) 54代。タカマノハラカカリトオルクニシリ
▽玉柏媛 54代。
▽穂阿(種河)媛 54代。
(神天津玉柏彦) 55代。アマツタマカシハヒコ
久米依媛 55代后
(天津成瀬男) 56代。アマツナルセノヲ
成瀬豊媛 56代后
(天津照雄之男) 57代。アマツテルヲノヲ
田村主照媛 57代后
(御中主幸玉) 58代。ミナカヌシサキタマ
久米照媛 58代后
(天地明玉主照) 59代。アメツチアカルタマヌシテル
糸玉媛 59代后
(天照櫛豊媛) 60代。アマテラスクシトヨヒメ
瀬谷幸玉 60代后


≪個人的感想≫ 九州的な地名の表記される王が少なし。
女系は、豊鋤→豊櫛若玉→神足別国押→天勝国勝→半蔀→若鷹→玉柏→穂阿→久米依→成瀬豊→田村主照→久米照→糸玉→天照櫛豊。
「神足別国押天勝国勝天照櫛豊」、豪華な名前が出揃っている世代です。


両王朝 通算61代~69代

『富士 宮下文書』
ー山幸彦の後裔ー
川張雄王命 富士王朝40代。(61代)・かわはりお・(オミコ)
【奈津比女命】皇后摂政の職に就かず。
禰利長男王命 富士王朝41代。(62代)祢利長男王命・ねりながお・(オミコ)
【弥真比女】皇后摂政の職に就かず。
玉長彦王命 富士王朝42代。(63代)・たまながひこ・(コミコ)
【不加比女】皇后摂政の職に就かず。
波奈長王命 富士王朝43代。(64代)・はななが・(ガミコ)
【波室佐世比女】皇后摂政の職に就かず。
照日彦王命 富士王朝44代。(65代)・てるひひこ・(コミコ)
▽津波気比女命 富士王朝44代后。(65代)・つばきひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。
津気男王命 富士王朝45代。(66代)・つきお・(オミコ)
【津羅比女】皇后摂政の職に就かず。
種越彦王命 富士王朝46代。(67代)・たねこしひこ・(コミコ)
▽天佐比女命 富士王朝46代后。(68代)・あまのすけ・(ケミコ)。神后摂政(巫女王)。
禰仲穂王命 富士王朝47代。(69代)・ねなかほ・(ホミコ)
【美弥田比女】皇后摂政の職に就かず。


≪個人的感想≫ 九州的な地名の表記される王が多し、
女系は、奈津→弥真→不加→波室佐世→津波気→津羅→天佐→美弥田。

<九州 波限建 その5>


『上記:ウエツフミ』散逸。竹内補填、「カタカナ」表記は推測。
<景行天皇の北九州制圧戦の現地勢力や、筑紫の君の反乱などに繋がる王族か>
<欠落・追加 55~72代>
ー山幸彦の後裔ー
(豊足日明媛) 61代。トヨタラシヒノアカルヒメ
国押勝之男 61代后
(天豊足別彦) 62代。アマツトヨタラシワケヒコ
豊若依媛 62代后
(事代国守高彦尊) 63代。コトシロクニモリタカヒコ
天津明玉媛 63代后。天津明魂姫。
(豊日豊足彦) 64代。トヨヒトヨタラシヒコ
柏木足中媛 64代后
(勝勝雄之男) 65代。カチカツヲノヲ
-------- 65代后
(豊柏木幸手男彦) 66代。トヨカシハギサチテヲヒコ
天津豊日足姫 66代后
(春建日媛) 67代。ハルタケヒヒメ
<高天原建彦> 67代
(天津日高日子宗像彦) 68代。ムナカタヒコ
豊建若媛 68代后
(神足別豊耡) 69代。カムタラシワケトヨスキ
足形媛 69代后


≪個人的感想≫ 九州的な地名の表記される王が少なし。
女系は、豊足日明→豊若依→天津明玉→柏木足中→天津豊日足→春建日→豊建若→足形。

 

両王朝 通算70代~73代、以降

『富士 宮下文書』
ー山幸彦の後裔ー
津加彦王命 富士王朝48代。(70代)・つかひこ・(コミコ)
【与称比女】皇后摂政の職に就かず。
真加弥王命 富士王朝49代。(71代)・まかや・(ヤミコ)
【白太仁比女】皇后摂政の職に就かず。
岩仲彦王命 富士王朝50代。(72代)・いわなかひこ・(コミコ)
【豊多摩比女】豊魂姫。皇后摂政の職に就かず。
弥真都男王命 富士王朝51代。(73代)・やまとおみ・(ミミコ)。息に「皇太子海津彦五瀬王命、二皇子天津稲飯王命、三皇子三毛野人野王命、四皇子日高佐野王命(神武帝)、五皇子阿田美椎津彦王命、六皇子高倉日本王命、七皇子軽身大久保王命。」
▽玉照比女命 富士王朝51代后。(74代)魂照姫・たまてるひめ・(メミコ)。神后摂政(巫女王)。


≪個人的感想≫ 九州的な地名の表記される王が多し。
五瀬王命 富士王朝52代。(75代)・いつせ・(セミコ)。東征の旅路に出る。
磐余彦 富士王朝53代。(76代)日高佐野王命・若御毛沼・いわれひこ・(コミコ)。大和国に至る。<狭野彦と同一人物です。>
女系は、与称→白太仁→豊多摩→玉照。

<九州 波限建 その6>


『上記:ウエツフミ』
ー山幸彦の後裔ー
<のちに景行天皇の北九州制圧戦の現地勢力や、筑紫の君の反乱などに繋がる王族か、大和(元日向)朝廷に統合されるに至り系譜の決着に窮するか。>
<欠落・追加 55~72代>
(神心伝 物部建) 70代。カムコロヅテ モノベタケ。<畿内政権の王の名か。物部氏の源流なのか・・。>
矢野媛 70代后
(天照国照日子 百日臼杵) 71代。アマテルクニテルヒコ モモカヒウスキ。
⇒玉依媛 71代后 <初代の後裔か。>
 この後に続く系譜としては・・。
▽阿日? <畿内政権の王の名。>
▼長脛彦? 兄の阿日を殺害する。<畿内政権の王の名。>
▼ニギハヤヒ? 義兄の長脛彦を殺害する。<畿内政権の王の名。>
≪個人的感想≫ 上記三名の内からならば、瀬戸内海を東征してきたニギハヤヒが有力か。
⇔(彦五瀬命) 天皇。オオワダツヒコイツセ。
⇔(狭野命) 神武天皇・「磐余彦」・若御毛沼・神倭伊波礼毘古・カムヤマトイワレヒコ。<畿内政権の王の名。>
女系は、矢野→玉依。
古事記の玉依姫は最後の玉依姫に相当するか。

≪個人的感想≫ 鬼王安日から政権を奪取する磐余彦「神武天皇」。
「曽我物語」の序文は、アカホヤ火山の噴火から7000年。九州の政権が絶えリセットされる。
大和で7000年間の政権(大国主:安日)が出現し・・。それを奪取する九州王朝の末裔である磐余彦。
ということは、磐余彦の祖である彼ら72代は九州王朝(大綿津見)の系譜。
そして、東国に関わるもう一方の系譜。「日向天ノ氏」と出雲・大和「大国主」政権に並行する、7000年間二王朝ということか・・。
九州王朝、出雲王朝、吉備王朝、畿内王朝、北陸王朝、東海王朝、並立するどこかの神話が記されたものでしょう。
聖徳太子が、蘇我氏と共に編纂した『上宮記』がどちらの文書に通じるのか、興味のあるところです。

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