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10.天皇陵の魅力
前回、あと2つで天皇陵コンプリートという話をしました。
今回は天皇陵の魅力を語りたいです!
1、なぜここに天皇陵が!?
大阪府と奈良県にある天皇陵は、平安京遷都以前の、飛鳥奈良時代、もしくはさらに昔の天皇、神話の時代の天皇の御陵が中心。
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今上天皇、皇族の方々も参拝に来ます。
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でも、例えば天智天皇陵は京都にあります。先代である母親の斉明天皇も、次代である弟の天武天皇も、その次に継いだ持統天皇(天智天皇の娘で天武天皇の妻)も、みんな奈良県にあるのに。
何故かポンっと京都。
さらに言えば、天智天皇の息子の大友皇子は、天皇に就いた記録はないけど、弘文天皇という名前で滋賀県大津市に御陵があります(明治政府が天皇という扱いにした)。
なぜそこに天皇陵が?そういう視点で見ると面白いです。
2、埋葬の変遷
大阪府と奈良県の御陵は古墳が中心。古墳時代の天皇陵は、国の威信がかかっているからかなり大きい。世界遺産にもなってる仁徳天皇陵は日本一大きい古墳で、世界三大墳墓にも数えられます。
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そこから奈良県に移り、持統天皇から火葬文化が始まる。そこから、骨塔や火葬塔ができたり。
ちなみに、最難関御陵の淳和天皇は、遺言で散骨し御陵は造るな、と遺したことから、あの御陵のある山で散骨し石を積んであっただけでした。それを、後から記録で散骨地を特定して御陵を造営したらしいです。
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京都以降は寺社仏閣が絡み、お寺の敷地内に御陵があるパターンも増えていきます。天皇自身が仏教に帰依したり、天皇を祀るため後から寺院を作ったり。後醍醐天皇のように、都から追い出されて寺院に身を寄せた縁で御陵を管理するようになったり。
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13世紀くらいから、天皇は京都の泉涌寺に埋葬するのが慣例となり、泉涌寺の月輪陵墓には30基近い御陵が集まっています。
時代などで埋葬方法が変わっていくのも面白いです。
3、天皇の存在の変遷
天皇は神話の時代から存在しており、実は25代くらい以前の天皇は実在しているか怪しいらしいのですが、それでも存在を記して御陵を残すということに、その時代にとっての何かしらの意味があったのでしょう。
日本を統治するためとか、外国に対する威儀とか、とにかく、こんな大きな御陵を作るくらい国力があるのだとか、こんなにも遡れるくらい歴史があるのだとか。
神代の天皇は日本書紀に記された天皇から端を発しているわけで、逆に考えると、奈良時代の歴史書に記載されたことが現代まで脈々と伝えられているという事実に驚嘆するわけです。
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そこから、実際に日本を統治し天皇として崇められる時代に突入すると、今度は天皇の意思を反映した御陵が作られる。
そのうち、藤原氏の台頭、武士の台頭、院政の始まり……と天皇が政治に与える影響が時代とともに変化し、それに伴い御陵の規模や扱いも変化します。
月輪陵墓や深草北陵みたいに合祀された御陵を見てると、違うのかもしれないけど、天皇という存在が形だけになっていたことを表しているんだろうか?と思っちゃったりします。
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そして明治維新後、大政奉還を経て実権が天皇に戻った明治天皇以降、御陵は再び大きく立派なものに戻っています。
これもまた、日本を象徴する存在となったことを示しているのかな?と考えてみたり。
結論
まあつまり。
天皇陵を絡めることで、いろんな視点から日本史を考えることが出来て、それが楽しい、という話なのでした( ´-`).。oO
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今日はここまで。天皇陵の話はもうちょっと続きます。
では。