俳句とフジファブリック
高校時代は俳句部に所属していた。俳句は奥が深い。季語を含めて17文字で構成し「景(=景色)」を表現するというシンプルな体裁だが、その短い言葉の中に、自然のダイナミクス(=力学)が見て取れる。
春の海ひねもすのたりのたりかな 与謝蕪村
好きな句だ。わざわざ解説するまでもないのだが、これは、春ののどかな海で、波がちびちび浜辺にやってきては、のそのそと引き返していく、そんな景を歌ったものである。まるで写真、いや、映像ではないかと思えるほどのリアリティーだ。これが俳句の醍醐味だろう。
唐突だが、私はフジファブリックが好きだ。好きになったのはここ3年くらいの間なので、にわかファンと言えばそうなる。最近ふと、志村正彦の詩は、俳句に似ているのではないかと思うようになった。
景が躍動していて、まるでその空間にタイムスリップしたような錯覚に陥る。全感覚が、志村が描いた瞬間の景色に集中する感じだ。
特に好きなのは「ペダル」という曲。有名曲カテゴリには属さない、少し控えめなポジションの曲だ。
ペダルをぐんぐん漕いでいるあの時の、
無心でありながら、無心でないあの感じを、
志村は「ペダル」で的確に描写している。
眩しすぎる花や飛行機雲の軌跡は、意味ありげに、ペダルを漕ぐ自分と共鳴しているように感じ得る。この一連の描写がダイナミックだ。
「ペダル」と同じアルバムの「星降る夜になったら」は、この季節にぴったりの曲だ。
夏の風物詩である通り雨と雷鳴をふんだんに感じさせながらも、すぐにカラリと晴れわたり、そして陽が沈むと夏の星空の美しさが際立つ。天候の移り変わりがライブカメラを早回ししたように浮き上がってくる。濃縮された「真夏」のエッセンスを味わっている感覚だ。
控えめに言っても最高である。
そんな志村正彦はもうこの世にはいない。でも彼が描いた景色は消えない。蕪村の句のように、映像のように鮮明に、感覚と記憶に残り続ける。四季や自然が織りなすダイナミクスと共に。
-おわり-