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40代で気づく時間の価値
「時間はお金よりも価値がある」なんて、言われてもピンときていなかった若かりし頃の自分。
齢40を過ぎて、急に腹落ちした感があるこの頃。
いろんなところで言い古されてきて今更感しかないけれど、今の自分の考えに至るまでの数々の葛藤と今の心境をここに記そう。
自分のための記録。
失われ行く時間への焦り
子育てをしながらフルタイムで働き始めたのは長男が小学校2年生、次男が2歳になった頃だ。
それまでは、長男が2歳のときから始めた短時間の契約社員という形で時間も短く所謂、扶養の範囲内という働き方を選んでいた。
この頃は、時間にゆとりもあって働きながらでも子供とのんびり公園で遊んだり、自分の時間も確保できていて、ほどよいバランスだった。
(と思っていたが、やっぱり扶養の範囲内という働き方はもうしないだろうとは思う。この話はまたいつか)
ところが、フルタイムで働くとそうはいかない。
小学生の長男には毎日遅くまで児童会へ行ってもらう必要がある。
次男のお迎えも17時半を過ぎる。幼い二人を毎晩9時には就寝させることを目標に帰宅後の怒涛の3時間が始まる。
夕飯の準備から片づけ、長男の宿題の声掛けやマル付け。次男に「ママあそぼー」といわれても聞こえないフリか下手したら叱ってしまう始末。涙
ママだって遊んであげたい!でもできない!!時間が無い!!!
私だって、勉強したいことや読みたい本や見たい映画があるけれど、そんな時間がとれるわけもなく、小学校からのプリントも読み忘れて提出物を忘れたり、参観日を忘れそうになったり・・・
自己嫌悪になりながら思うことは「なんのための誰のための人生だろう」
1日は24時間。
仮に睡眠に7時間、会社にいる時間が通勤時間をいれてだいたい9時間とすると残りは8時間。
この8時間で、食事、洗濯、掃除、入浴をすべてこなし、細かい雑務(小学校、保育園からの諸々のプリントチェックやスケジュール管理、子供の喧嘩の仲裁やなんやかんやの見えない家事)をすべてやっていたら時間なんて足りるわけないだろーーー!!と叫びたくなった。
でも、叫んでも喚いても、泣いても悩んでも24時間が30時間に増えるわけではない。
あとは睡眠時間を削るしかない。
もしくはそれ以外の何かをあきらめるしかないと悟る。(子供がいると衣食住は諦めるわけにいかないので、必然的に自分ひとりで完結できる睡眠を削るしかない。泣)
そうして訪れるリベンジ夜更かし。が、夜更かしでリベンジしても子供との充実した時間は得られないし、疲れ切った身体で何か勉強する気はおきない。
ただ、ダラダラと過ごし翌日眠くてむくんで体調の悪い1日がスタートするだけだった。
時間が欲しい。切実にそう感じる日々。
先輩の女性社員の姿と自分の未来像
私は今回退職した職場に友人でもある先輩の女性社員の紹介で入社した。
女性社員が多く、子育てに理解があり、子供の体調不良や学校や保育園の行事なども柔軟に対応してくれるからとの理由で誘われての入社だった。
実際にそうした子育てに関する理解と環境は大変整っており、ありがたく恩恵にあずかった。
けれど、確かに子供の様々な場面で理解もあったし、急な休みや早退も嫌な顔をする人は一人もいなかったが、結局は9時から17時までは会社に拘束される毎日だ。
子供が元気であれば、一緒に公園に行くために早退ができるわけではない。
会社員だから当然だ。
10年務めている友人でもある先輩社員は、休日出勤や時間外の対応などもしていた。
社長の気分で突然ミーティングの予定を入れられたり、休日にに呼び出されたりする姿もみてきた。(小さな零細企業。上司=社長)
先輩は子供が中学生にもなり、子育てが落ち着いてきたからというのもあるかもしれないが、私は子育てが落ち着いても自分の時間を更に会社のために使うなんて考えられなかった。
例え、お給料が上がってもそこまでしたいとは到底思えなかった。
度々聞いた。
「なんでそこまで頑張るの?」「辞めて少し休んだら?」
決まって
「仕事だから」「この年齢で辞めるなんて今更そんなことできるわけない」というような答えが返ってきた。
自分の時間を犠牲にして会社に尽くす見返りが給料なんだろうか?
割に合っているのか、合っていないのか、それは人それぞれが考えて決めること。
彼女は私よりも10歳ほど年上だった。
10年後、私はどうありたいのだろうか?
時間を得るために引き換えにしたもの
お金と違って時間を稼ぐことはできない。
時間は増やせない。絶対に。
むしろ、死に向かっていく過程で時間はどんどん失っていくものだ。
私は今42歳。85歳まで生きられるとして残り43年。
その43年のうち、心身が元気で動き、自分で判断や決断をして行動できるのはあと何年あるだろう?
65歳で定年してから今やりたかったことはやれるだろうか?
子供たちは成長してしまって、もう「ママ遊ぼう」とは言ってくれない。
一緒に旅行もしてくれないし、なんなら家にいないのだ。
自分の体力も落ちていて、なんなら生きてる保証もない。
私は仕事を辞めた。
働き方を見直そうと思った。
今、辞めてしまったらこんなに条件の良い職場環境はそうはみつからないだろう。
でも、辞めた。(辞めるに至っては他にもいろんな理由があったから、時間を得るだけが理由の全てでは無かったが)
時間を得ることと引き換えに収入を捨ててしまった。
でも、お金のことはきっとなんとかなる。
私ならなんとかできる。
ある時ふとそう思えた。
これからのこと
とりあえず、あてもなく辞めてしまった。
これからどうするかは、決めていない。
でも、やってみたかったことはいろいろある。
次男が今年小学校へ入学するタイミングでもあるので、少し家でゆっくりしながら、時間と経済的余力の許す範囲でいろんなことにトライしつつ、自分の次のステップを考えたい。
子供との(特に次男との)時間を取り戻す時間でもある。
こんな私のワガママな選択を応援してくれる夫にも感謝。