大暴れしていた小3時代と相手にされなかった小4時代

子供の世界は大変だと思う。比較するものではないが、時には大人の世界よりシビアで残酷だと思う。

私は家で母から毎日意味もなく怒鳴られていたので、小学3年生になるとその蓄積されたストレスを学校で発散するようになった。
主に、男子と大喧嘩。特定の男子と毎日殴る蹴るの大喧嘩をして教室の後ろに立たされて先生から事情を聞かれていた。私は泣きながら相手が悪いと訴えた。もちろん相手の男の子も私が悪いと泣いて訴えている。
先生はどちらの味方をするわけでもなく、「うんうん」と聞いていた。その時の私はずっと「私だけの味方をしてよ!相手をこてんぱんに怒ってよ!」と思っていた。それは、家での母の態度を先生に求めていた。私は“次女里芋側”に立ちたかったんだと思う。
その頃通っていた塾でも、ストレスを発散するために特定の子をいじめた。私のいじめがひどすぎたので、その子は塾を辞めた。でも、私自身いじめている感覚はなかった。次女里芋にされたことをそのままんま塾の子にしていただけだった。

小学4年生の時はなかなかしんどい時期だった。今後の人生でも辛いことだらけで親からたくさん酷い目に遭うのだが、4年生の時は思い返すと特に辛かった。なぜだろう?
家でろくに愛情をもらえなかった私は“先生”というものが大好きだった。先生から愛情をもらおうと担任の先生に「○○ちゃん♡」と親しみを込めてあだ名をつけて、よく懐いていた傾向にあった。
小4の時の担任は、次女里芋の小6の時の担任をしていた。次女里芋はその先生が大好きで、先生とお別れした時にはプレゼントを渡していたほど好きだった。
私の担任がその先生に抜擢されたと知った次女里芋は「どうせかぼちゃは○○ちゃんってあだ名つけるんでしょ!先生にまとわりつくんでしょ!」と睨みつけて言った。要は「かぼちゃ、あんたうざいから!」という意味だ。
ただ、私はその先生とは合わなかった。
私がある女の子に意地悪をしたら、その先生がアンケートを取り、私は呼び出されて怒られた。もちろん悪いのは私。
ただ、その後に学校の4年生のダンボールに“おりし”といういたずら書きがされていて、これは誰かの意地悪でありイジメだとなり、学年全体で怒られた。
私は「しおり?しおりちゃん?」と思った。と言うのも、以前女の子達がしおりちゃんに向かって「お尻!お尻!」とからかっている光景を見たから。
私が「しおりちゃん?(って意味では?)」と呟くと、周りの子達は「本当だ!よくわかったね〜!」と感心していた。その先生は「書いた本人だからわかるんじゃない」とささやいた。
私はこれ以上何も言わなかった。私は書いてないのだから、静かにした。疑われたことだけはわかった。結局、家でも学校でも、何か起こると私が悪いと思われるのだと感じた。
その先生が私に対して笑ってもらうことはなかったし、他の女の子と比べて私への当たりは厳しかったと思う。
クラスでもひとりぼっちで、帰り道も1人、1人で教室移動したり、2人組を組む体育でもひとりぼっちだった。ひとりぼっちなことを、クラスの女子に指をさされてからかわれることもあった。その女子に私の体重をバラされていたこともあった。
私が小4の時、次女里芋は中学1年生で思春期に入り特に私を毛嫌いした。執拗以上に「ぶす、でふ、汚い、臭い」など、毎日毎日里芋に言われた。
幼稚園児の時はさほどその言葉の酷さをわからなかったのでキョトンとしていたが、小4ともなると、容姿を罵倒されることがどれだけ酷い意味なのかを理解し始めたのでとても傷ついた。
そのためか、色々な気力が失われたのか私は歯磨きもせずお風呂に入らなくなった。男の子は殴る蹴るを続けた。(その男の子は小3の時に喧嘩していた男の子とは違う子で、決して私にやり返すことはなかった。その心優しい男の子には申し訳ない。)
そんな風に、クラスの子から近寄られなくなった原因を作ったのは私。もちろん、ストレス発散のために男子を殴り、女子の悪口もたくさん言っていた私の性格も悪ければ不潔な私が悪い。それはわかっているのだか…中学1年生の次女里芋の意地悪な発言や行為が小4の私には特に傷ついた。家でも学校でも居場所がなく、常に浮いていた。
ただ、物心ついた時からずーーーっと毎日次女里芋から意地悪をされ、母に怒鳴られ続けているだけの私には、普通の人とまじわることは不可能だった。
次女里芋は私に毎日意地悪をし、それにより私が母から怒鳴られる。私は決して母に「里芋ちゃんが酷いことをする!」と反論することない。となると、次女里芋は私をいじめたい放題。どれだけ妹の私をいじめても、私は反論せず私が母に怒られるので、里芋にとっては気分爽快、最高だったと思う。母が次女里芋を怒ることは絶対にないのだから。
里芋にしてみれば、妹をいじめても大好きな母が妹を怒鳴りつけるのだから、ある意味怒鳴られている私を見ているのは高みの見物だっただろう。
小4の時の私は異常なくらい手を洗い続けた。洗っても洗っても汚れが落ちていない気がして、毎日家でも学校でも手を洗い続けたので手荒れを起こしてしまったので、小4にしてハンドクリームをよく塗っていた。ハンドクリームを塗らなければならないほど、手を洗い続けた。何度も何度も洗っても、気が済まなかった。
“強迫症”というものだろうか?
もちろん、父も母も私の様子がおかしいことに気に留めることは一度たりともなかった。




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