文学や美術に対する今の気持ち
こんにちは、プリンです。
突然ですが皆さんは、後になって振り返ってみると「何でそんなこと分からなかったんだろう」とか、「何でそんなふうに考えていたんだろう」と感じることはありませんか??例えば、英語を読めるようになった後は、英文がただのローマ字の羅列に過ぎなかったあの時の感覚を忘れてしまう、とか。年齢を重ねると、前は全然面白くないと思っていた本が面白く感じる、とか。でも、一旦その状態になってしまうと、そうなる前の状態を思い出せない。
前回の自己紹介記事で、文学や美術のことも書く予定だと書きましたが、実は私は文学や美術に全然興味がない、というか少し苦手意識まで感じています。でも、言語に関する発見を繰り返して、いつか文学や美術も好きになれた日のために、今のこの文学や美術に対する苦手意識を書き留めておこうと思います。
私が文学や美術に苦手意識を感じている理由、それはズバリ、「疎外感を感じるから」です。
一般的に授業で取り上げられる文学や美術作品って、みんなから良いとされてるものじゃないですか。でも、その良さが分からなかった時に、「この良さが分からない自分ってダメなのかな、洗練されてないのかな、まだまだ未熟なのかな」と思ってしまうんです。
「どう感じてもいいんだよ」と言われたって、ある程度感じ方の正解が決まってるんじゃないか、その正解と違う感じ方をしたら「全然分かってないね」と思われてしまうんじゃないかと。どこか、仲間外れにされているような気分になるんです。
しかも文学や美術って、一つの教養として「知っていて当然」のように扱われることが多いんです。だから、それを知らなかった時に余計に疎外感を感じる、というわけです。
あともう一つ、文学って、「私こそが世の中の根底を司っているんだ」っていう感じがしないですか。
私が高校生の頃、学問の分類をピラミッドのイメージで描いた先生がいました。法学や経済学といったいわゆる「役に立つ」学問はピラミッドの上の方にあって、そうした学問を支えているのが文学や哲学といった学問であるといった感じです。だから、文学は「私が世界の全てを支えているんだ、どんなに役に立つ学問を知っていたって、私を知らないなんてダメだ」と上から言われているように感じられる時があります。
こうした理由で、私は文学や美術にちょっとした恐怖心を抱いています。
でも、文学や美術が好きな人は、そんな仲間外れにしたい気持ちなんてないはずなんです。それを創作した背景や理由は何なのか、ここでこういう言葉を使ったのはなぜなのか、ここに描いてあるものは何を表しているのか、そういったことを知りたいという、プラスの気持ちがあるだけなんだと思います。あるいは、理由なんてないけどただただ読む(見る)のが好きという方もいると思います。
だから私は今、少しでも好きになれないかなと、歩み寄ろうとしているところです。
長い文章でしたが、最後までお読みくださりありがとうございました!もし、文学や美術のこういったところが面白いというのがあれば、コメントをくださると幸いです!