ギャンブル依存の心のうち
はじめまして
閲覧ありがとうございます。
タイトル通り、なぜ負けるのに行ってしまうのか、そもそもなぜ行ってしまうのか、自分の心に問い、その答えを書いていこうと思います。
2024年8月27日
もう既に負け額はカウントできてないくらい。
にも関わらず、大きなお金が入れば脳裏に「打って気分パーっとしたいな」と欲が出てくる。
だけど、普段から満たされていれば、打たないのである。パチ屋にいる人はみんな心に何か傷を負っているのだと思う。
「どうせ1人だし…」「暇だし」「むしゃくしゃするし…」そう言った理由で打ってる人が多いのではないだろうか。
さてそんな自分も、仕事もどうにも煮詰まっている。家庭もあるが、帰っても寝てる妻と子どもを見るくらい。夜泣きで子が起きて、なかなか寝なければイライラし出す妻と自分。朝は、自分が保育園へ送迎し、帰って家事、ご飯を作って仕事へ向かう。
友人はみんな公務員、一部民間もいるが、ボーナスの額が自分の3倍もある。そんな話を聞き、嫉妬に苦しんでもいる。
仕事、稼ぎ、家族、そして自分
自分の小ささ、うまくいかないもどかしさ、何者にもなれない凡人、大した運もない。
ただの人であることを認識させてくれる。
「大人って我慢の連続だな」と改めて思う。
そんな閉塞感の中で唯一わくわく感を、高揚感、生き甲斐を与えてくれるのがパチンコだった。
今日は、5000円で一パチで遊ぶ予定だった。
が、一回も当たらない。ふと、大きい金が入ったことを思い出す。2万握りしめ、4円パチンコへ。
何もならず、何も起きず、くるくると図柄が回ってくのだけを見続けた。おそらくやったことのない人は、何が楽しいんだろう。と思うかもしれないが、頭が負の感情で満たされてる自分にとっては、この「無」が心地いいのだ。何もないけど、次の瞬間、ブワッと何かを見せてくれるかもしれない。そんな期待感が常にあるのだから。
「キューン」大きな音とともに一気に画面が明るくなる。「当たった…」一気に視界も明るくなった。意味もないのにボタンを連打し、何とかラッシュに入らないか、天に祈る。
が、当たり前のように、元通りに単発。自分はいつもこうだ。うまくいかない人間なのだ。これを読んでるあなたはうまくいく人ですか。
出終わった台を見て、
「ぁぁぁ、足りない…」残りを握りしめ台を移動。
また打ち出す。
出ない、当たらない、こんなのわかりきってるはずなのに、わくわく感が忘れられない。生きがいを感じたい。楽しみたい。
こんな欲望が突き動かす。
22時近く。何も残らない、空っぽな器だけが夜の街を人の流れに添いながら漂った。
「はぁ…」でもこのため息が次の動機にもなってしまうのが恐ろしい。
電車に飛び込めたら楽だろうな。
親が地主だったらよかったな。
優秀だったらよかったな。
人生に生きがいをください。
こんな自分を認めてください。
褒めてください。
撫でてください。
満たしてください。
ありがとう。
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