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素人の考古学ー千葉県富津市内裏塚古墳群巡り

       千葉県 内裏塚古墳 巡り
                                      
 
内裏塚古墳群は、千葉県富津市を中心とした古墳群で、この時代「須恵国」であった。
その歴代の国造の墓を4基見て来ました。
古代、総(千葉)には10のクニがり、武蔵は2、相模3に比べクニが乱立しており古墳の数も12,000基と全国一。
内裏塚古墳群は、5~7cに40基造られた。

➀内裏塚古墳 小糸川流域を納めた首長墓
 5c中、144m前方後円墳、竪穴式石室。国史跡
 墳丘形態は百舌鳥古墳群の履中陵古墳と類似。
 埋葬品は人骨2体、鉄製武具と農耕具



内裏塚古墳


内裏塚古墳 前方から後円を望む

➁弁天山古墳 内裏塚古墳に後継する首長墓
 5c後半、87.7m前方後円墳、竪穴式石室 国史跡
 墳丘は後円部径と前方部幅がほぼ拮抗した形態
 石室の天井石の両端に「縄掛け突起」が造り出されて
 いる。これは非常に珍しく奈良の日葉酢媛古墳や室宮山古墳など

 大王級にしかない。

弁天山古墳


石室の天井石の両端に「縄掛け突起」

➂九条塚古墳 須恵国の首長墓に相応しい規模 
 弁天山古墳から50年空白あり、
 6c中、103m前方後円墳、横穴式石室、市史跡
 墳丘は段築もなく低い扁平な墳丘、二重周溝
 副葬品は、剣、鉄鏃、金銅製馬具類、銀製耳環
 横穴式石室の天井石の一部が「九条塚」碑の台座に

 使われている。

九条塚古墳


九条塚古墳 墳頂部

➃三条塚古墳
 6c末、122m前方後円墳、横穴式石室 市史跡
 墳丘は、後円部が低く、前方部が高い。西隅に「隅切
 形」
 6c末では、全国的にみても奈良見瀬丸山(伝欽明陵)
 に次ぐ規模。
 副葬品は、人体3体、金銅製耳環・馬具類、銀製算
 盤形空玉、ガラス玉
 木更津の金鈴塚古墳とほぼ同時期の古墳であり、

 金鈴塚にも匹敵するような豪華な副葬品が眠ってい
 る可能性がある。

三条塚古墳


三条塚古墳に登る

6c末にかけて、墳丘長100mクラスの大型前方後円墳
を造り続けている地域は畿内を除けば当時、
毛野・武蔵・常陸・総など関東地方に限られていて、
当時の関東地方の豪族の隆盛を物語っている。
  (参考資料:富津市文化財ガイドブック)
                                                               以上
             小兵衛記


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