フリーライフ 第2話
しかし、ひどい男もいるもんだ。自分の不満のはけ口なのか、弱い者をいじめる性格なのか、私にはわからないけど、旦那さんが変わるとは思えなかった。だが、2,3日して、彼女はうちに飛び込んできた。
「高木さん」
「あれ、斎藤さん、いらっしゃい。」
玄関のドアを閉めたとたん、へたりこんだ。
「大丈夫?」
スカートから見えた足には、青い痣があった。彼女の唇からは血が見えた。私は洗面台へ連れていき、絞ったタオルを渡した。
ようやく、リビングの椅子に腰かけた彼女は、あまりに痛々しかった。顔や頭、腕に足に、打撲がたくさんあった。ひどく殴られたんだろう、唇は腫れていた。まともに食事でできてなかったみたいで、かなりやせ細っていた。このままだと本当に死んでしまうだろう。
「食べれる?」
「いいです。」
「ゼリーがあるから、口の中の傷を気にしないで食べれると思うよ。」
「・・・ありがとう。」
なんとか、ゼリーを食べて、スポーツドリンクを飲むと、そのまま気を失ってしまった。私は救急車が必要なのかもって思ったけれど、ちゃんと息をしていたので、彼女を抱いて、ベットへ連れていき、寝かせた。
しかし、なんてひどい旦那なんだろう。もう、絶対に戻すことなんかできない。前より、怪我が増えている。私は知り合いの弁護士に連絡した。翌日、彼女が目を覚ましたので、知り合いの弁護士を呼んだ。彼は証拠として、彼女の怪我の箇所、すべてを写真に収めた。そして、すべての怪我がいつどのようにしてできたのかを詳細に聞き出し、記載していった。
「離婚なさりたいですか?」
「はい、もう無理です。」
「傷害罪で訴えることもできますけど、どうされますか?」
「離婚できて、慰謝料がもらえればそれで・・・」
「そうですか、わかりました。」
「じゃ、お願いしますね。」
私は弁護士にお願いした。彼は早速、旦那の元に行ってくると家を出た。
弁護士がいると話は早い。旦那は観念して、離婚届にサインして、損害賠償と慰謝料を支払うことになった。ものの2週間ほどで解決することができた。その頃には、彼女の怪我も完治していた。食事もしっかり食べていたので、ちょっとふっくらして元の体形に戻ったようだった。
「いつまでもお世話になるわけにはいきません。住む場所を見つけます。」
「ゆっくりでいいですよ。」
「高木さんって、本当に優しいんですね。」
「まあ、みんなには無害と思われてますよ。」
彼女はニッコリ微笑んだ。
「仕事は、またクリーニングサービスへ行ってみます。」
「そうですか。じゃ、またうちをお願いしようかな?」
「はい、お願いします。」
彼女はうれしそうだった。
それから、斎藤さんは近くのマンションを借り、生活を始めた。仕事は自分に合ってると言って、クリーニングサービスに再度、勤め始めた。私はその会社にお願いして、斎藤さんに来てもらうことにした。なんか、もとに戻って、私としてはうれしかった。また、毎週金曜が待ち遠しい。話をすればするほど、斎藤さんはとてもいい子だということがわかる。それにとても要領よく仕事をこなし、いつも後半の1時間ほどは、お茶会になっている。
「高木さんは、本当にどんな仕事をなさっているんですか?」
「だから、無職ですよ。」
「そんなわけないでしょ?こんなところで暮らされて、家賃だって高いでしょうに。」
「まあ、正体を明かせば、投資家なんですよ。」
「投資・・・ですか?」
「そうです。だから、パソコン1台あれば、仕事できるんですよ。」
「時間的にかなり余裕があるんですか?」
「ですね、実際に仕事してるのは、1週間に2,3時間くらいですからね。」
「えっ、そんだけなんですか?」
「はい、興味あります?」
「はい、いったいどうやってるんですか?」
私はざっと自分の投資家への道を話した。会社勤めとネットビジネスで貯めた資金で、投資を始めたこと、ただそれだけ。あとは、世界経済を確認しているだけ。それ以外は自分の好きな時間に充てれるということ。彼女は目を輝かせて聞いていたが、なんか自分のやっていることは、まともな仕事ではない感じがした。今は年間の配当を月割りにして使っているだけだし、経済状況が荒れたら、元手がどうなるかわからない。とてつもないギャンブルなのだと説明した。
私は私のやり方を勧めない。やっぱり、これはギャンブルなのだから。すべての元手を失くしてしまってもいいくらいの覚悟がないと、できないことだ。これから先のことは何もわからない。過去の実績は、結果論なのだ。この実績が未来永劫続くというわけではないのだ。だから、私は3年間、何もしないで暮らせる貯金を持っている。これには手をつけないのだ。これがあれば、投資していたお金が全部なくなってしまっても、アルバイトでもすれば、なんとかなると思っている。
ある日、私はほとんど現金を持たないのだが、たまに現金をおろしてこようと、通帳を取り出そうとしたが、どういうわけだかそこになかった。この部屋を自由に出入りできる人物は、私と斎藤さんだけだ。一応、念のため防犯カメラを確認すると、斎藤さんが持ち出しているのが映っていた。なんで?
次の掃除の日、私は彼女に聞いてみた。
「通帳、返してもらっていいですか?」
彼女は急に青ざめ、ビクッとして、震えていた。
「ごめんなさい。」
そのまま、下を向いて震えている。そんな状態になるなら、なんでこんなことをしたんだろう?
「中を見たかっただけなんでしょ?」
「投資家の通帳の中身は、いくらくらいか興味があっただけなんでしょ?」
「・・・」
彼女は何も言わず、カバンから私の通帳とハンコを取り出して、私に返してくれた。中を確認すると、100万ほどおろされている。
「これは?」
「ごめんなさい。」
「ちゃんと返してくれるよね?」
「ごめんなさい。」
「そっか。」
多分、返ってこないだろう。何かに使ってしまっているんだと思った。
「じゃ、もう来なくていいよ。」
「ほんとうにごめんなさい。」
「お金の切れ目が縁の切れ目ということだね。」
「・・・」
私は本当にいい子だと思っていただけに、かなりショックだった。彼女を帰したあと、会社に電話をかけて、別の人に変えてもらうようにお願いした。営業マンが飛んできた。
「なにか不手際がございましたでしょうか?」
「いえ、別の方に変えて頂けたらそれでいいです。」
「今後のためにも、理由をお聞きしてもいいでしょうか?」
そりゃそうだよな。斎藤さんが別のところで同じようなことをしたら、信用問題になるし。
「実は、斎藤さんが私の通帳を持っていってしまって、100万円ほど使ったようなのです。」
私は通帳を見せて、説明した。
「なんという・・・お金は返金されましたか?」
「いえ、戻ってきてないです。」
「こちらとしても、厳重に処罰させて頂きます。大変申し訳ございません。」
「お金は必ず、返金させて頂きます。」
「いや、もういいですよ。だから、別の方に変えて下さい。」
「いえ、必ず、返金致します。」
その営業マンは飛んで帰った。こんなことは一気に信用を落とす。下手すれば、倒産の危機を招く。私はそんなことより、斎藤さんがそんなことをするなんて、思いもしなかった。見る目がないのだろうか。
翌日、クリーニングサービスの偉いさんと営業マンがやってきた。
「昨日は大変申し訳ございませんでした。」
「お客様の損害された金銭と慰謝料です。お納め下さい。」
私にはそれくらい、問題はなかった。でも、受け取らないと会社も問題になるのだろう。
「わかりました。迅速な対応ありがとうございました。」
「本当に、本当に申し訳ございませんでした。」
「もうこの件はここで終わりにしましょう。今週の金曜からは別の方をお願いしますね。」
「ありがとうございます。一度、連れてきますので、よろしくお願いします。」
私がいい人でよかっただろう。もうこれ以上文句は言うつもりもない。斎藤さんとも会うこともないだろう。
私は相変わらず部屋に閉じこもった生活をしている。まったく、閉じこもっているわけではなく、朝のランニングと買い物などでは、当然外出する。だけど、相対的に言って、外出しない方だろうと思っている。割と金銭的には自由なおかげで、1日の起きている時間はどういうことをしようか、検討している。まあ、最近は何か楽器をやってみたいと思うようになってきた。
楽器・・・ピアノなんかはこのマンションに入れられない。そんなに指が器用な方じゃないので、まず無理だろう。じゃあ、何がいいのだろうか。それならと思って、あらゆる楽器の音を聞いてみた。その楽器の音色を聞くことのできるコンサートなども行ってみた。私はどうやら弦楽器が好きらしい。だが、弦を抑える指があまりに難しそうなので、これもあきらめた。じゃあ、管楽器はどうだ?ということで、サックスを習ってみることにした。
ちょうど、マンションから5分のところに音楽教室がある。サックスもやっているみたいだったので、申し込んでみることにした。まったくの初心者だから、ハードルがとっても高い。
「あの、サックス、やってみたいのですが?」
「初めてですか?」
「はい。」
ここまで言うのが、かなりの冒険だ。
「じゃ、見学とか、無料体験レッスンとかもありますが、いかがですか?」
そうか、そういうのかあるのか。
「じゃ、見学からさせていただけますか?」
「レッスンは1時間で、月3回あるのですが、いつがいいですか?」
そう言うと、カレンダーを見せてくれた。早速、来週初めにあったので、それをお願いした。
「楽器はお持ちですか?」
あるわけないじゃん。
「いえ、持っていません。」
「この教室ではアルトサックスで行っていますが、テナーでもできます。楽器の購入方法もお教えできますよ。」
「そうなんですか?ぜひ、お願いします。」
なにはともあれ、来週は見学だけど、初めての音楽教室。なんか、ドキドキするなぁ。ネットでサックスを見ると、テナーとアルト、それなりにいい値段だった。そんなにするのか。おかげで、楽器購入の金額で、びっくりするようなことは、なくなった。
見学当日、私は初心者コースのレッスン教室に入った。生徒さんは全部で4名。年配のおじさん2名とアラフォーの女性1名と20代の女性1名。案外、いろんな年代の方がいるんだなと思った。先生は30前後の若い女性。私と同じくらいだ。サックスは案外、大きい音がする。まずは低音の練習らしい。すぐに音は出せそうな感じだった。にこやかに指導してされていたので、楽しそうな感じであっという間に1時間は経ってしまった。
これならやっていけそうだ。そう感じた。
「どうでしたか?」
受付の女性がニッコリ微笑んで言った。
「自分でもついていけそうな気がしました。」
「じゃ、申し込まれますか?」
「はい、お願いします。」
私は申込用紙に必要事項を記入して、渡した。
「楽器はどうされます?」
「そのうち、購入したいと思います。」
「教室でお貸しすることもできますし、あまり焦らない方がいいですよ。」
「そうなんですか?」
「ええ、何も知らないうちに購入されて、後悔される方も多いので。」
「わかりました。じゃあ、そうします。」
しばらくは教室のサックスをお借りすることにした。
さあ、いよいよ初めての練習だ。私は個人レッスンではなく、グループレッスンを選んだので、数人の生徒がいる中で練習するのだ。
「えっと、高木さんね。」
「あ、はい、よろしくお願いします。」
「今日はこのサックスを使って下さいね。」
「わかりました。」
そうこうしているうちに、他の生徒さんもやってきた。先生は前回見学の時にみた、私と同じくらいの年代の方だ。生徒さんは、60過ぎのおじさんと、もしかしたら50前後の女の人と私の3人だった。もしかしたら、若い可愛い女の子を期待していた私は、ちょっとがっかりしたが、まあ仕方がない。がんばって練習しよう。この日は楽器の使い方をメインに教えて頂いた。案外、大変なんだなと思った。でも、私より年配のお二人の方が時間がかかったので、私はちょっと暇を持て余していた。まあ、そんなもんだろう。
1時間なんてあっという間だ。次回は10日後だ。まっすぐ帰ろうとしたら、一番年長の近藤さんが声をかけてきた。
「ここで、ご一緒するのも何かの縁なんで、どうですか?一杯。」
「あ、いいですよ。」
「田中さんは?」
「私は晩の支度があるので。」
「そうですか、じゃ、高木さん、いきましょうか?」
60過ぎのおじさんと話をするなんて、あまりないので、いい機会かもしれない。私たちは近くの居酒屋へ行った。
(つづく)